鎌倉学園・保田監督、初の都大路 高校駅伝指導40年

 全国高校駅伝は23日、京都市の西京極陸上競技場発着コースで行われ、初出場の鎌倉学園高は16位と健闘した。過去に県大会で13度も2位に泣いた試練を乗り越え、たどり着いた大舞台。同高で40年指導してきた保田進監督(63)は、都大路を堂々と駆け抜けた教え子たちの姿に「本当に褒めてあげたい」と感慨を込めた。

 自身も長距離選手だった保田監督は日本大卒業後の1978年、23歳で同高に赴任。当初は陸上部員が2人しかおらず、ほぼゼロからのスタートだった。専用グラウンドなどはなく「何しろひどいもので、走る場所もなかった」。学校と材木座海岸、稲村ケ崎などを往復するなど、校外で練習するしかなかった。

 それでも何とか部員をそろえて県高校駅伝に出場。地道に力を付けたが、頂点だけには手が届かなかった。「よく言われましたよ。13回の準優勝のうち、1回くらい優勝するのは当たり前だって。でもやっぱり勝てなかった」

 一時は監督を辞めることも考えたというが、厳しくも温かい熱血漢は諦めなかった。県大会のゴール後、OBらに胴上げされ、「これまで涙を流した部員は140人いる。特にOBが喜んでくれたのがうれしかった」と、まず教え子たちを思いやった。

 部員13人の小所帯ながら河崎元紀主将(3年)を中心に挑み、この日はチーム歴代最高タイムの2時間7分38秒をマーク。初出場の気負いなく、伸び伸びと力を発揮した。よほどうれしかったのだろう。レース後、応援に駆け付けた多くのOBらの前で保田監督は「こいつらは最高です!」と叫んで目を真っ赤に腫らした。

 指導者として数え切れないほど味わってきた苦労が報われ、「またここに来たいと強く思った。目標ができたような気がします」。孫ほど年齢の離れた選手たちと、ここからまた走りだす。

指導歴40年で初めて全国高校駅伝に出場した鎌倉学園高の保田監督(前列中央)。レース当日は多くのOBらが集った=京都市の西京極陸上競技場

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