第20回 「アジアビジネス通信」「生で食べても安全で美味しい」インドネシアで野菜作りに挑戦する 日本人 海外で生活する日本人にとって日々の糧でもあり、また同時に楽しみでもある「食」。衣食住の中でも1日に3回、体内に摂取して健康を維持・促進するためにも「食」は大切な要素である。「水が合わない」「食べ物が好きになれない」「食事が楽しくない」などは、その国を好きになるか、疎ましく感じるかの重要な基準ではないだろうか。インドネシアでの毎日の食生活で日本人が渇望するものとして新鮮な野菜がある。農薬を使わず、獲りたての鮮度があり、安心して口にできる野菜作りに挑み続けている1人の日本人がいる。ジャカルタ南...

海外で生活する日本人にとって日々の糧でもあり、また同時に楽しみでもある「食」。衣食住の中でも1日に3回、体内に摂取して健康を維持・促進するためにも「食」は大切な要素である。「水が合わない」「食べ物が好きになれない」「食事が楽しくない」などは、その国を好きになるか、疎ましく感じるかの重要な基準ではないだろうか。インドネシアでの毎日の食生活で日本人が渇望するものとして新鮮な野菜がある。農薬を使わず、獲りたての鮮度があり、安心して口にできる野菜作りに挑み続けている1人の日本人がいる。ジャカルタ南郊ボゴールなどに専用の農地と水耕栽培施設を持ち、独自の流通ルートを確立して「朝獲りの野菜」を宅配サービスでその日のうちに消費者に届けるのだ。その野菜の最大の魅力は「生食が美味しい」である。

第20回 「アジアビジネス通信」「生で食べても安全で美味しい」インドネシアで野菜作りに挑戦する 日本人

主力は店舗での販売よりも宅配

ジャカルタ南部クバヨランバルのパングリマ・ポリム・ラヤ通りに面した「八百萩」は毎日午前9時の開店を目指し、朝は早朝から忙しい。特に毎週土曜日は近くのアパート(コンドミニアム)で「朝市」を開くために午前7時には従業員は仕事を始める。
「パクブウォノ・ハウス」は「日本人街」と称されるブロックMの西側に位置する高級アパート群の中でも最高クラスの1つで、駐在員事務所長クラスの日本人が多く居住しているアパートとして有名だ。
そのアパートの庭の一角に毎週土曜日午前7時半から10時ごろまで「八百萩」の朝市が開かれている。ニンジン、大根、ほうれん草、スイカ、レタス、トマト、かぼちゃ、かぶなどの新鮮な野菜は日本人の主婦に好評だ。日本人主婦の1人は「ニンジンは生で食べられるほど新鮮だし、なんといっても外出せずここで買い物できるのがうれしい」と話す。
店の名前「八百萩」は西村氏が広告代理店に勤める知人に依頼して考案したもので「八百=やお」とそのまま読み、「萩=はぎ」に半濁点の「゜」をつけて「パギ」と読ませ、「やおパギ」となる。「パギはインドネシア語の朝」であり、「もとも八百を使った名前にしたいと思っていたところ、パギであれば朝獲れの野菜でもあり、新鮮な野菜のイメージもあり、やおパギに決めた」と一風変わった店名の由来を西村氏は話す。
日本人のお客さんも説明を聞いて「あっ、そういうことね」と理解してもらい、変わった名前ゆえに一度で覚えてもらえるという利点もあるという。
「八百萩」は現在ジャカルタ市内に直営専売店を2店、さらに日本食料品店内に委託販売して、新鮮な野菜を販売している。だが、主力は店舗での販売より、宅配にある。
ジャカルタ市内の交通渋滞は年々悪化し、かつてのバンコクを抜いて今や東南アジア随一の渋滞都市とさえ言われている。主要幹線道を奇数日は車両ナンバーの末尾が奇数の車だけが通行可能とする「奇数偶数制度」は通勤ラッシュの朝と夕方に限定されていたが、8月18日から始まったアジア大会の前後には早朝から夜までに規制時間が拡大された。
加えて都市交通網の整備で高架鉄道、地下鉄の工事が各地で進んでいることも渋滞に輪をかけており、主婦は車での外出を控えるようになった。
そんな状況の中で、毎日午後3時までにインターネットや携帯電話などで「八百萩」のサイトで、品物・品数を注文すれば、その日のうちに自宅まで野菜が届く「宅配サービス」は在留邦人の間で人気となっている。
メールで注文を送ると折り返し金額を知らせる返信があり、代金の支払いは「クレジットカードやデビットカード」あるいは「代金引換払い」または「前払い」となる。日曜日と祝祭日は休業となっている。
宅配サービスの配達エリアはジャカルタと南部のデポック、西部のタンゲラン地区など日本人が多く住む地域となっている。
注文した日に保冷剤とともに届く野菜は、「八百萩」が持つ中部ジャワのウォノソボの5か所の農園、西ジャワのチアンジュールにある1か所の農園、さらにジャカルタ南郊ボゴールの山間部に所有する1か所の農地と水耕栽培所で収穫され、チビノンにある同社の野菜集荷場で洗浄、仕分け、梱包されて発送される。
「八百萩」の野菜の「売り」は、無農薬の有機野菜であるという安全性、多くは日本産の種で育てた日本品種の野菜という栄養価が高くて安心で親しみやすいこと、そしてなんといっても「朝獲り野菜」という新鮮さである。

原点はフェアトレード

事務所で働くインドネシア人は「おはようございます」「おつかれさまです」「ありがとうございます」と日本語のあいさつを元気良くする。これは西村氏の指導で、日本人のお客さんが多いことを念頭にしたものだという。
この日本語のあいさつは、店員、事務所スタッフだけではなく。運転手、農場スタッフなど45人の全社員に徹底している。
もともと西村氏はフェアトレードの会社で、コーヒーや紅茶、民芸品などの輸入販売を手がけていた。日本からの出張でアジアの生産者、農村地帯を訪れるうちに「もっと自分が関われることはないか」と自問を続けたという。そしてフェアトレード会社の北陸担当として1991年から1993年まで住んでいた福井で仕事の関係で知り合った農家の人からインドネシア人を紹介された。その人は後に西村氏がインドネシアで会社を設立する際の創業パートナーとなる人で、この出会いから農業研修で日本に来るインドネシア人の取りまとめなどに関わるようになり、そうこうしているうちにインドネシアで本格的に野菜作りをやることになったという。
「もともと学生の頃から音楽、民族音楽にとても興味があり、インドネシアは音楽的にも気に入っており、興味があった」ということもインドネシアでの野菜作りを決断した一因と西村氏は話す。
2012年に農産物を生産する会社「ビナデサ(インドネシア語で農村育成)」を立ち上げ、本格的な野菜作りを始めた。
インドネシアでは野菜は小さな屋台で町村の各家庭を行商するスタイルが一般的で、酷暑の中での行商で、売り物の野菜はしおれたり、悪くなったりで、日本人にはとても「新鮮で安心な野菜」とは言い難いのが実状だ。
さらにインドネシアでは流通の問題もあり、野菜の保存状態も良くなく、市場に早く出荷するために各種化学肥料がふんだんに使われることも多かった。
市中のパサール(市場)でも事情は似たようなもので、日系のスーパーや欧米系の食料品店には新鮮な野菜が売られているが、いずれも輸入品で価格は驚くほど高価だ。
西村氏は「安全で栄養価の高い、安心して食べられる野菜」をインドネシアで生産することを一念発起して、ほぼ独学で農業を学び、試行錯誤の実践を続ける苦闘が始まった。

野菜作りの情熱で邦人の信用を 勝ち取る

2012年から約3年半の間に日本から種を取り寄せたりしてインドネシアで栽培を試みたのは約130種類の野菜に上る。ところが気象条件や土壌、水など様々な困難に直面して最終的に「栽培、生産が可能だろう」と判断したのは約20種に留まった。
しかし、この20種を在留日本人などのニーズに応えるための品質を均一にし、量を生産して商業ベースで採算のとれるものにすることで期待に応えるべく本格的生産に着手した。
2015年7月25日には「ビナデサ」直営の販売店として「八百゜」の1号店をクバヨランバルにオープン。
1号店が工事の影響による交通事情の悪化で日本人たちのアクセスが難しくなった結果、2017年2月23日には中心部のアパート、スディルマン・パーク内に2号店を開店した。周囲にはやはり日本人が多く住むアパート、コンドミニアムが多く点在し、宅配を希望する在留邦人も多いことが同地への2号店設置の理由だった。
1号店、2号店には自前の農場で育て、夕方までに収穫した野菜が翌日の早朝に店に届き、売り場に並べられて販売される。このほかに協力関係にある農家が生産した日本品種の野菜(ネギ、ニラ、大葉など)の他、有機認証を得た米、椰子油、はちみつなどを店頭販売している。さらにコーヒーやドライマンゴーなども店頭には並んでいる。
1号店、2号店、そして朝市で野菜を実際に販売する「八百゜」のスタッフは洗濯が行き届き、店名が日本語で書かれた揃いのTシャツに紺色の帆前掛けやバンダナを身に着け、はきはきとした日本語のあいさつで心地良くお客さんを迎えてくれる。こうしたスタッフの細やかな心遣いにも西村氏の野菜作りにかける情熱と日本人を主にお客にしたビジネスに徹した「野菜作り魂」が感じられる。

山間部にある自社農園は新鮮な 野菜の宝庫

首都ジャカルタから南へ高速道路を約1時間、現在のジョコ・ウィドド大統領が週末を過ごし、有名な植物園があるボゴールの町の途中から山間部に入り約40分、未舗装ですれ違う車両もなくなり、ようやくたどり着いたメガムメガムンドゥンにある「八百萩」の農園。山の斜面を利用して直射日光が照りつける尾根沿いの標高約700メートルに広がる約8000平方メートルの農地には多種多様の野菜が育っていた。
トウモロコシ、かぼちゃ、バジル、ニンジン、大根、オクラ、さやえんどう、なす、長ネギなどが植え付けられ、収穫を終えた品種、まさに収穫を前にした野菜、ようやく芽を出した苗などが見事に手入れされた畑に整然と並んでいた。
場所が山の上にあるため、日照は申し分ないが、水が問題で谷あいの川からポンプで水を上げて小さな用水池に溜めては1日2回朝夕に水遣りをしているという。最もボゴールの山間部は雨期には降水量も多く、水遣りは5月から10月までの乾季の仕事となるという。
この農園にはインドネシア人の若者3人が配属され、ボゴールの町からバイクで通勤して日中は水遣り、野菜の収穫、農地の手入れなどの仕事をしている。
2017年2月に開墾に着手したときは荒地そのもので、草をむしり、石を除去してからトラクターを入れて整地作業を行なったという。
この農地では商品化の可能性を探る試しとして現在ハヤトウリも栽培している。
「どうですか。かじってみませんか」という西村氏の言葉に誘われて、引き抜いたばかりのニンジン、手でもぎ取ったオクラを直接口にしてみた。ニンジンはお世辞ではなく、ほんのり甘く、日本の緑色とは異なる暗赤色のオクラは歯ごたえよく美味しかった。生で食べる野菜本来の美味しさが口中に広がり、大袈裟な言い方をすれば「大地の恵みを蓄えた野菜から地球のエネルギーをいただいている」という感じがした。
山間部の農地をからボゴールの町に下り、シラギンガン地区のシダダップにある「水耕栽培施設(グリーンハウス)」に次に向かった。もともとは中国系インドネシア人の別宅で趣味でグリーンハウスをやっていたのを買い取り、約490平方メートルのグリーンハウスに手を加えて日本の野菜生産を可能な施設に再生させたという。
ケール、ロメインレタス、サニーレタス、プリーツレタス、水菜、パクチョイ、チンゲン菜、イタリアン・パセリ、三つ葉、薬用効果があるというハーブのセージなどが育てられている。水が命の水耕栽培だけにここでも自前のポンプで川の水を引き込み、24時間365日流し続けている。
現在豆苗とルッコラ、日本の緑色のオクラを栽培試験中で上手く行けば、今後、大量生産に入る予定という。
水耕栽培は主に葉物野菜で、水菜はそもそもインドネシアにはない野菜で、かぶと並んで「八百゜」が唯一生産している品種といい、日本人消費者の間では水菜は長ネギとともに鍋物に最適の野菜として、かぶは漬物、味噌汁の具などとしてともに人気商品となっているという。
こうした農場では日本の品種を主に使っているため、インドネシアの地場の大根には辛みはほとんどないが、「八百゜」の大根は白首夏大根という品種でしっかりと辛みがあり、栄養価も高いという。キュウリも薄緑色で太くて短いインドネシア産に比較すると深緑色で長細いキュウリでまさに日本のキュウリそのものである。
インドネシア特有の気象への対応も当初の課題で、ひと冬を越すと香りが鮮やかな三つ葉には、冬どころか長時間高温のインドネシアの日照時間が大敵だった。このため西村氏は「わざと日陰を作って日照時間を調整した」という苦労談も。有機野菜とはいえ、害虫はおかまいなくつく。農薬を使うわけにはいかないので、唐辛子やニンニクを液状にして使用して害を防いだという。

本格的な日本そばの生産を 目指す

野菜の生産現場を後にして次に向かったのはチビノンにある集荷・配送施設で中国系インドネシア人の屋敷を2014年4月に改造して野菜の倉庫、洗浄室などを作り、稼働開始。スタッフ4人が各農場などから届く収穫されたばかりの野菜を洗浄して、配送トラックに積んで各店舗や直接納入しているレストランなどにここから向かう。
集荷・配送施設の一室に包装されたそば粉が置かれていた。ウォノソボの農園ではそばを栽培しており、丁寧に育てたそばの実を収穫し、製粉したものという。
「たぶん今インドネシアでそばを栽培しているのは他にないはずです。製粉はしたものの、これをそばにするそば打ち職人がなかなか見つからず、製麺して生そばとして売り出すまでに至っていない」と西村氏。そば粉を販売しても買うお客さんはまずいないことから、なんとか職人の手で打ったそばを届けたいというのが西村氏の目下の夢である。
確かにジャカルタ市内には駐在する日本人の増加に連れて多種多様の日本食レストランがある。たこ焼きから超高級日本食まで「ピンからキリ」まで存在する。日本人の麺好きは有名でラーメン屋は日本の有名店からインドネシア人が作る「怪しげなラーメンもどき」まであちこちに雨後の筍のようにある。うどんも日本のチェーン店が出店しており、それなりの日本人が好きなうどんを食べることが可能である。
ところが、そばに関しては専門の「そば屋」は寡聞にして知らず、日本食レストランがメニューの一部として「そば」を提供しているに過ぎない。その大半は乾麺という。一部では日本から直行便で仕入れた「生めん」を提供しているところもあるというが、当然輸送コストなどが跳ね返って「高級そば」になるのを覚悟しなければならない。
やはり、そばは、熊さん八っつぁんが「べらぼうにうめぇな」などと言いながらすする庶民の味であってこそ美味しいというものだろう。
ブロックMにある日本食レストランでベテラン日本人シェフが常識的な価格で手打ちそばを提供していて、これがジャカルタでナンバーワンのそばと言われていた。だがそのシェフも病で世を去り、以来、適正価格のおいしいそばは消えた状態だ。
「そばは寒いところのイメージがあるが、実は暑いところでも育ちます」(西村氏)というから、近い将来、インドネシア産の本格的なそばがジャカルタで味わえるようになるかもしれない。

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