特集 単純労働者受入れの「新入管法」は移民政策ではないのか 曖昧な対応で外国人労働者の人権、権利の軽視は止めよ 少子高齢化で深刻な労働力不足に直面している日本で、外国人労働者の受け入れ拡大を目指す「出入国管理及び難民認定法(入管法)」が、今月12月に成立の見通しである。政府は「移民政策」ではないと言い張るが、対応を誤ると現行の「実習生制度」の二の舞になりかねない。ミャンマーを含め、労働者の主力となる東南アジアの若者の人生をも左右するこの改正案を、諸外国の例を踏まえて検証してみた。

少子高齢化で深刻な労働力不足に直面している日本で、外国人労働者の受け入れ拡大を目指す「出入国管理及び難民認定法(入管法)」が、今月12月に成立の見通しである。政府は「移民政策」ではないと言い張るが、対応を誤ると現行の「実習生制度」の二の舞になりかねない。ミャンマーを含め、労働者の主力となる東南アジアの若者の人生をも左右するこの改正案を、諸外国の例を踏まえて検証してみた。

特集 単純労働者受入れの「新入管法」は移民政策ではないのか 曖昧な対応で外国人労働者の人権、権利の軽視は止めよ

「技能実習制度」の移行を 目指す新改正法案

今回の改定案では「特定技能1号」および「特定技能2号」の2つの在留資格が新たに設けられ、業種についての限定はあるが、前者は最大5年、後者は期限のない滞在が可能になる。
新設される在留資格「特定技能1号」の大半は「技能実習生制度」が移行するとの見解であるが、永住資格取得への道が開かれる後者をめぐっては、実質的な「移民法」ではないかとの論議が与野党で激しく行われた。この法案は来年4月から施行されるが、向こう5年間で14業種約35万人の労働者を受け入れる予定であるという。特に30数万人の人手不足が続く介護福祉業界では6万人の受け入れを予定しているそうだ。
しかし、「技能実習制度」の移行という「特定技能第1号」は、期限が5年で家族の帯同は認められない。実はここが今一つよくわからない。新しい資格をつくるのなら、現行の「特定技能実習制度」を廃止するべきではないのか。技能実習を移行する形で「特定技能1号」を制度化するなら、その内容と違いを明確に説明をすべきだろう。
国際貢献を旗印に今から25年前の1993年にスタートした「技能実習制度」だが、現状は低賃金で働く単純労働者集めの状況になっているのは否めない事実だ。この制度の運営支援を行っている国際研修協力機構(JITCO)の調査では、初年度の実習生の時間給は「714~800円」が全体の5割を占め、901円以上は10%にも満たない(2017年5月時点)。
このため失綜者が跡を絶たない。毎年8000人前後の失綜者が出ているが、今年は上半期ですでに4279人と過去最多を記録している。山下貴司法相は11月の参院予算委員会で実習生の失踪理由を問われ、「現状の賃金等への不満からより高い賃金を求めて失踪する者が87%」と、法務省による調査結果の一部を公表した。「多額の借金をしてきたのに、来てみたら話が違う」という切実な問題に直面する実習生がいかに多いかを物語るデータである。

改正法案が明治維新に 続く第二の開国になるか

日本が外国人を実質的に受け入れ始めたのは1990年の出入国管理法の改正以降である。このときからブラジルの日系三世までが合法的に就労できるようになった。そしていわゆる「出稼ぎブーム」が起きた。つまりこの法改正を契機に実質的な移住政策が始まっていたといってもいいだろう。
出稼ぎ労働者は2008年までに約32万人まで増えたが金融危機で大量失業し、困った日本政府は帰国支援策まで実施してブラジルへ帰国させ、17万人まで減少した。現在では20万人近くまで回復しているが、反対に日本国内の人手不足は益々深刻になっている。
来年4月に導入を目指す新制度で外国人労働者の受け入れを拡大した場合、5年間で約35万人の労働者を受け入れる予定だというが、同じ5年間で約130~135万人の人手が必要で、2019年には約60万人の人手が不足するという試算が政府から出されている。
だから、現状では実質的な移民労働者である「技能実習生」や「留学生」の枠を広げ、前者が現在約27万人、後者が約31万人と飛躍的に増えてきているのだ。つまり、この20年間、日本は移民は受け入れ難いが、経済産業界は低賃金労働者が欲しいというジレンマの中、「移民ではない」という建前で、日系人や技能実習生、留学生を増やす試行錯誤を繰り返してきた。その窮余の策というべき法案が、今回の新入管法である。
しかしこの外国人労働者受け入れ論議は今に始まったことではない。2008年2月、人口減の日本の未来は外国人材の導入にかかっていると考える自民党の国会議員約80人で「外国人材交流推進議員連盟」(中川秀直会長)が設立された。そのときに同議連の講師役を務めた元東京入国管理局長の坂中英徳氏は、日本独自の「育成型移民受け入れ制度」を提案した。
その中で氏は、なぜ「外国人労働者」ではなく「移民」なのかについて、「国家の構成員(国民)が減ってゆく国のとるべき外国人政策は、将来国民になってもらう外国人を確保する『移民の受け入れ』しか考えられない」と強調した。この提言は自民党国家戦略本部「日本型移民国家への道プロジェクトチーム」が取り入れ、最終的には「人材開国!日本型移民国家への道」という名の報告書が当時の福田康夫首相に提出された。そのとき福田首相は同議連幹部に対し、「検討する必要がある」と述べたという。こうして日本の外国人政策史上初めての包括的な移民政策が、政治の表舞台に躍り出たのである。
坂中氏はこう言ったという。「明治維新は外国人に国を開いた第一の開国だった。今われわれは第二の開国の扉を開けようとしている。」2007年2月の朝日新聞が「移民50年間1000万人」の坂中構想を公にしたときから、移民開国こそが究極の日本改革であり、国際社会は「世界に開かれた移民国家日本」を歓迎し、「日本買い」へ向かうだろうと考えていた。取材で訪れた外国メディアも、長期的には人口秩序の全面崩壊の危惧すらある日本が「移民鎖国」を続けているのを不思議がっていた。

こうした経緯があるにも関わらず、現在の自民党は「入国した時点で永住を許可されているごく一部のもののみを移民と呼ぶ」と決め、返す刀で日系四世、技能実習生、留学生は移民じゃないから増やす方針だと言い訳している。
だがOECDでは「一年以上外国に居住している人を移民」と定義している。このOECDの定義はやや大まかすぎるが、今回の改正案の定義では「移民ではなく一時滞在者」という認識だったから、これまでの出稼ぎ労働者が公的な教育などでで阻害されてきたことを見ると、「一時滞在者」では本来受けられるべき「住民」としての待遇が保証されない。

400万人のトルコ移民を 受け入れたドイツ

今から52年前の1966年8月に、筆者は当時最安で行けた欧州ルートのシベリア経由でフインランドからドイツの西ベルリンに入った。まだ東西冷戦の最中で、あの「ベルリンの壁」は現存しており、ビザを取って地下鉄で東独(東ベルリン)へ入国するという特異な体験もできた。
しかし驚いたのは西ベルリン市内の飲食店で多くの外国人が働いていたことだった。のちにトルコ人と分かったが、この2年前に100万人目のトルコ人一時労働者が入国したというニュースをしばらくしてから知った。
戦後ドイツは、急激な経済発展で不足した労働力をイタリア、スペイン、ギリシア、トルコなどから補充した。中でも人口が一番多かったトルコが突出した。英仏は、(旧)植民地から移民を受け入れたので、植民地経験のないトルコ人の行き先が、必然的に植民地を所有しなかったドイツになったという事情もある。第1時世界大戦でトルコはドイツの同盟国だった因縁もあった。こうして両国は「ガストアルバイター(Gastarbeiter)」と呼ばれる「外国人労働者派遣協定」を1961年に締結した。
ガストアルバイターとは、「お客として招待された労働者」という意味のドイツ語であり、ドイツにやってくる合法的な労働者・外国人労働者を指していた。この言葉は、ゲストワーカー(Guestworkers)という訳語を得て世界中に広まった。
ドイツへ移住し、そのまま残留した外国人労働者の多くは、それまでのバラック生活から住宅などへ転居し、家族を呼び寄せたり、現地で結婚したりしてドイツ人と共存するようになった。雇用する企業側も、せっかく技術を身に付けた外国人労働者を辞めさせてまで、新たな求人や新規従業員に対する職業訓練の追加費用負担を避けたため、彼らの滞在は長期化し、人数も増え、受入れに伴う諸問題などが浮上するようになった。このような状況下で1973年11月、世界的な石油危機が契機となって協定による外国人労働者の募集が停止された。停止後、ドイツの外国人数は、1970年代末までほぼ一定で推移した。
ガストアルバイターは低賃金で労働力を補う外国人労働者と考えられることが多いが、制度上では労働力として非常に尊重され差別はされないことになっている。実際にドイツでは、同一労働同一賃金の原則が適用されるだけでなく、適切な住居や各種社会保険も保障されている。そのため、高度な技術を持つ労働者が好待遇を求めて大量に移入し、結果として受け入れ国内では熟練労働者が増加し、経済発展に繋がった側面はある。
ドイツに移住したガストアルバイターの多くは、入国翌日には建設現場や工場の流れ作業に配置された。彼らの労働力率は当時のドイツの平均を上回っていた。所得面では、平均時給はドイツ人労働者の平均を下回っていたが、特別手当が支給される危険な仕事等を引き受けることでそれを補填していた。また、「短期間で可能な限り稼ぐ」という目的から、大半が超過勤務をいとわず、男性の月間労働時間は36%が200時間を超え、さらに20%は220時間を超えていた。こうした長時間にわたる超過勤務の結果、外国人労働者の平均総月額賃金は1972年にはドイツ人とほぼ拮抗していた。
協定によってドイツに移住し、残留した者の多くは、ドイツ人が嫌がる仕事(石炭採掘やゴミ収集等)を引き受け、それによって、多くのドイツ人は社会的な昇進が可能になった。しかし、これはドイツ社会と一線を画する外国人の下層階級を生み出す結果にもなったといわれる。

日本の衰退を防ぐには 「移民政策」の制度化を

ドイツのメルケル首相は2015年に100万人のシリア難民をドイツに受け入れる決定を下した。彼女の支持者はこれを社会的連帯として歓迎したが、反対派は見通しの甘い文化的自殺行為と批判した。
その3年後、メルケルのキリスト教民主同盟(CDU)と姉妹政党のキリスト教社会同盟(CSU)は重要な地方選挙で相次ぎ敗北。この結果を受けて、メルケルは2021年の任期切れとともに首相を退任すると発表した。シリア難民受け入れに、今回は国民がノーを突き付けたのだ。
一方、日本政府及び政権与党の政治家たちは、かなり前から少子高齢化社会到来への危機感を認識していた。そのため慎重に少しずつ外国人労働者の受け入れ策を講じてきた。そして現在の安倍晋三首相の下で、初めて今回事実上の移民受け入れに舵を切った。
現在、日本国内に居住する外国人の総数は、1985年の85万人から250万人に増えている。しかし、とはいっても日本国民の多くは、長らく鎖国していた江戸時代を例にとるまでもなく、伝統的に外国人に対して畏怖の念を抱き続けてきた。だから政府は「移民」という文言を正面切って盛り込めなかった。しかし今回新入管法が中途半端な対策になったら、迫り来る危機にほとんど対処できないかもしれぬ。
2010年には8170万人だった15~64歳の生産年齢人口は、2030年には6875万人に減る統計がでている。人口年齢の中央値も2012年には45歳だったが、30年には52歳に伸びて、世界で最高となると予測される。

19歳以下の若者も30年までに600万人減り、全人口に占める比率は15%まで低下するという。その結果、年金受給者を支える働き手が不足し、国の財政がひっ迫する。むろん国民1人当たりの生産性は他国に劣り、経済成長率も低下してしまうという深刻な予測が出されている。ドイツは全人口の約5%を占めるトルコ系住民約400万人の同化に四苦八苦しているが、この事実とシリア難民受け入れで失敗したメルケルの運命を見れば、日本政府が外国人の受け入れに慎重になり、警戒心を抱くのは当然かもしれない。
歴史的に検証してみると、外国人移民の大規模な流入は一定のパターンをたどる場合が多い。第1世代の移民は「異邦人」のままだが、第2世代は両親の文化と自分が育った国の文化の両方に慣れ親しむ。そして第3世代になると、育った国の文化と完全に同化する。
移民が受け入れ国のGDP拡大に貢献することは間違いないが、国民の移民に対する文化的あるいは慣習的、または異宗教への抵抗感は増していく。しかし教育やさまざまな生活経験の共有を通じて親近感が増していけば、次第にこの感情は消滅していくものだ。
今、日本国民は、外国人労働者のおかげで低コストの商品やサービスを受けられる現実が存在する。それを黙認しながら、「移民はノー」と言うのは、経済産業界の思惑に加担していることにならないだろうか。
安定的な安いサービスを受けたいと思えば、外国人労働者を居住民として認識すべきだ。「嫌な仕事は外国人に任せる」という妙な優越感を持つのはいかがなものか。現在、外国人が行っている単純労働を、低賃金しか払う価値がないと軽視することは、本来の日本人の道徳感から外れている。
現在、日本で暮らす外国人数は、約256万人(2017年末、法務省の在留外国人統計)。これは日本の総人口、約約1億2660万人の約2%が外国人となる勘定だ。しかも20歳代では5,8%となり、東京都の20歳代では10人に1人が外国人となる。この数字はドイツ、アメリカ、イギリスに次ぎ、先進国では4番目に高い。だから統計上では、もはや日本はすでに立派な「移民大国」といっていい。
ちなみに日本のコンビニ大手3社だけで「5万5千人」(2018年8月末現在)の外国人が就労しているという。都市部のコンビニでは
ほぼ外国人だけという店舗すらあるという。今年1月時点で、東京の新宿区では新成人の45%が外国人、住民全体でみても12%が外国人だという。余談ながらブラジルは移民大国というイメージが強いが、実は総人口約2億700万人に対して、外国人人口は75万人しかおらず、公式な外国人比率はたった「0,3%」に過ぎない。つまり、割合としては日本の7分の1なのだ。
考えてもみたい。昔、日本が貧しかった時代に、ブラジルには日本人が大量に移住した歴史がある。ハワイや北米も同様だ。その時に一世たちがどれほどの苦渋をなめたか。筆者はかって米国滞在中に下宿先の家主の日系2世の方から、戦時中の強制収容所の過酷な話や、親世代の1世たちの血のにじむような苦労話を何度も聞かされた。
だから「日本人が外国に移住した時にどう受け入れてもらいたいのか」をまず想像し、外国人労働者受け入れを考えるべきだろう。今、日本にいるブラジルの3世、4世の出稼ぎ労働者たちでさえ、満足な保護を受けていないと聞く。しかし彼らとて、かつての日系移民の子孫たちではないのか。
現在の技能実習生や、労働を前提とした留学生のような制度は、抜け道だらけだが、今や日本社会は彼らの労働力なしでは成り立たなくなってきている。だから日本に移民が必要なのは明らかだ。
問題は「移民の受け入れ方」である。日本らしく、世界の模範となるような方法をとるべきだろう。移民の受け入れは、日本人がこれまで経験したことがない社会的・文化的変化を想起させるというが、果たして本当にそうだろうか。
社会的・経済的にプラス効果をもたらす移民は、全人口の約10%を大きく超えない限り、通常は社会に温かく受け入れられている。だから、今の日本に他の選択肢はない。出生率の微々たる向上もAIの開発も、少子高齢化がもたらす社会的・経済的問題を解消できるとは思えない。人口減少と労働力不足を補う唯一の方法は移民受け入れしか残されていない。

<参考文献>
「在日外国人」(岩波新書・一橋大学名誉教授田中宏著)
「日本型移民国家への道」の(東信堂、坂中英徳著)
「News Week」(日本版2018年11月13日号)
「諸外国の外国人労働者受入れ制度と実態」(2008年独立行政法人労働政策研究・研究機構資料)、法務委員会調査室資料 他

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