スーパーフォーミュラ王者山本が鉄則を破ってたどりついた頂点。ガスリーに「ボロボロに負けたことで自分を変えられた」

 2018年の王者が決まる鈴鹿の地に、山本尚貴は“いつもと違う相棒”とともに乗り込んでいた。鈴鹿は山本が得意としているサーキット、さらに開幕戦で勝利した地だ。その開幕で勝ったクルマを気象条件に合わせて持ち込むことがセオリーで、それこそがタイトル獲得への近道だった。

 しかし、レースウイークに入り、金曜日の走行直前の段階になって突如、阿部和也エンジニアから「クルマを変えてきた」と伝えられた。それは5年前に「獲れてしまったタイトル」とは違うアプローチだった。

「もともとセクター1は速いけど、セクター3で失う部分が多かった。それはクルマが悪いのか、ドライバーがイケてないのかが阿部さんも僕も分からなかった。僕自身苦手なのかなとも思っていた」

 もともとオーバーステア傾向の強かった山本のマシンは、よく曲がることでセクター1の速さをモノにしていた。しかし、それは同時にセクター1、セクター2でリヤタイヤを酷使するセッティングでもあった。

 最終戦に持ち込まれたのは懸念であったセクター3に照準を合わせたアンダー傾向のマシン。いつもの感覚とは違う。大好きなセクター1では物足りなさも感じた。しかし、タイムシートを見ると、苦手と感じていたセクター3が人並みのタイムで走れるようになっていた。

「もちろん僕が乗って感じたフィーリングは伝えて、リクエストはしましたよ。一番速かった時期に比べると、セクター1だけで言えばタイムは落ちている。でもそのリクエストを鵜呑みにしてセッティングを変えてしまうと、せっかく考えてきたものがダメになると阿部さんは分かっていた。だから聞いたところであまり変える気はなかっただろうし、逆に僕がそう言ってくるだろうって予想できてたんでしょう。阿部さんとしてはしてやったりの部分はあったかもしれない」

 絶大な信頼を置いている阿部エンジニアとは8年前に初めて出会った。当時、ナカジマレーシングでエンジニアとして駆け出しだった阿部エンジニアと山本はコンビを組む。たった一年だけだったが、そのエンジニア力に魅力を感じていた。

 翌年、山本はチーム無限に移籍するも11年、12年と苦戦が続いた。そんなとき再び阿部エンジニアと組みたいと自ら懇願したのだ。阿部エンジニアがチーム無限に移籍し、ふたりは再びタッグを組むと、いきなりタイトルを手にした。それが2013年のことだ。

 それから5年、苦楽をともにしてきた阿部エンジニアが、もう一度タイトルを獲るために「なんとかセクター3を速く走れないか」と考えて持ち込んでくれたマシン。これまで苦手としていた部分をプラスに転じてくれるセットとどう向き合うか考えた。そして、自分のドライビングをよく理解したうえでセッティングを変えてくれたマシンなら「自分が何かを変える必要はない」と、あえてドライビングは変えずに走ることにした。

 そのドライビングも、自分はオーバーステア傾向が好みかもしれないと気づいたのはつい最近のことだ。

「去年の中盤からもしかしたらと思いはじめて、今年とくに実感しました。去年、ピエール(ガスリー)が中盤戦以降うまくいっていたときに、彼のクルマに魅力を感じました。でもいきなりそこに合わせる勇気はなかった。ただ一度だけ、SUGOでピエールのセットにして走ったときに全然乗れなかったんです。彼が速く走れるセットだと、僕はうまく走れない。それが最初のヒントでした。さらに今年スーパーGTでジェンソン(バトン)と組んだことで、自分のスタイルがはっきりと理解できたんです」

 2010年からトップフォーミュラを戦うようになって9年。山本はいつしかステアリングを切らなくても、勝手に曲がっていくクルマを求めるようになっていた。そのことに気づかせてくれたのは、海外から来たふたりのドライバーだった。

山本尚貴が絶大な信頼を置く阿部和也エンジニア

■ピエール・ガスリーに負けた2017年

 見事、二度目のチャンピオンの座を手中に収めた山本はレース後の会見で「ガスリーと組んだ去年がすごくつらかった」と語った。

 所属するチーム無限は2010年からチームとしてフォーミュラ・ニッポンに参戦。これまでのほとんどが1台体制で、2台体制として機能しはじめたのは去年のことだ。そのチームメイトとしてやってきたのが、現F1ドライバーのガスリーだった。

 しかし、この体制が山本の歯車を少しずつ狂わしていく。

「ピエールは当時、GP2でタイトルを獲って日本に来ました。いくらそれがすごい成績であっても、自分のほうが日本で戦ってきた経験も長いし、タイトルも獲っている。だからどこかで自信と、彼に負けるわけにはいかないという気持ちが当然ありました。その気持ちのおかげでモチベーションを上げられた部分もあった。でも、それ以上に彼を意識しすぎて見失ってしまった部分があったのも事実です」

 開幕戦はガスリーの前でチェッカーを受けた。しかし第2戦岡山のレース2以降、決勝レースのリザルトでガスリーの前に出ることはなかった。

 17年シーズン、スーパーフォーミュラに参戦していたホンダのドライバーのなかで、タイトル獲得経験があるのは山本だけだった。5年前のタイトル獲得以降、少しずつ自分のなかに芽生えた自覚とプライド。それはガスリーというライバルを目の前にして逆に山本のメンタルを崩した。意識しすぎるあまり、気持ちの切り替えもうまくできなくなっていた。

「僕は彼とだけレースをやっているわけではなかった。彼に勝つことで得られることよりも、もっと別のところに視野を広げないといけなかったんです。でも、絶対に彼に負けちゃいけない、彼の前に行かないといけないという気持ちがずっとあった。その思いが強くなればなるほど、逆にピエールは好成績を残していったんです。正直やられちゃっていましたね。だからと言って、気持ちを切り替えてレースを純粋に楽しもうという思いに持って行くこともできなかった」

 海外からやってきた20歳そこそこのチームメイトが自分とは対照的に好成績を収めていく現実……。ガスリーの好調を横目にしながら何かに逃げたい、何かを変えないといけないという衝動にもかられた。ガスリーをサポートしているフィジオが気になって、メンタルトレーナーに興味を持ったこともあったという。

「ウイダーさん経由で相談したこともありましたよ。何か役に立つのかなと思って。もっと気持ちに余裕を持ってレースができるかもしれないので、興味はありました。でも僕の場合はそれを聞いてしまうと、言われたことはちゃんとやらないといけないと考えすぎてうまくいかないかもしれないとも考えていた」

 結局、メンタルトレーナーをつけることはなく、ほかに何か打開策はないかと探し続けたが、一度噛み合わなくなった歯車を元に戻すことはできなかった。そうした結果、17年シーズンは「もっともつらい1年」となってしまったのだ。しかし、この敗北は「必要だった負け」と山本は位置付ける。

「去年の結果だけを見ると開幕戦以外はすべて負けていたし、これは言い訳のしようがない。結果がすべての世界なので彼より劣っていたというのが答え。でもそれによって何かを変えないとこの先がないと思えたのも事実です。負けたことが良かったとは思わないけど、あれほどまでボロボロに負けたことで自分を変えられた。過去勝ったことよりも負けたことのほうが圧倒的に多いけど、過去のどの負けよりも去年味わった負けは自分を見つめ直すきっかけになったと思います」  

■舞い降りた夢と目標

 18年シーズンがはじまる前のオフにはゆっくり自分と向き合った。

「いったんレースから離れた間に何がダメだったんだろうってずっと考えていました。この世界は道具と機械を使っているスポーツなので、必ずしも自分の技術や才能、努力だけでは得られない結果もある。だけど、じゃあ自分に何ができるのかって考えたときにひとつの答えを出したんです。『負けず嫌いすぎないようにしよう』って」

 負けず嫌いは山本の強さではあったが、同時に弱さでもあった。負けたくないという思いがときに周りを見えなくし、自らを空回りさせていた。

「負けたくないのは当然みんな負けたくないんです。でも本当はそんな気持ちはどうでもよくて、速く走ることに撤することが何よりも集中できるし、そのほうが余計なことを考えずに走れる。去年は足りていなかったその一番大事なことに気づいたんです」

 考えを新たにして臨んだ18年シーズンは意識的に気持ちのメリハリもつけた。自分にはチーム無限のスタッフと、信頼できる阿部エンジニアがついている。誰よりも速く走れる体制と環境づくりは、周りに任せてみよう。結果がどうであれ、家に帰ればいつもと変わらずに接してくれる家族がリラックスできる環境を作ってくれる。

 すべてのバランスがとれた環境を作り出せたとき、自分でも驚くほど集中力が増した。最終戦では、予選Q1、Q2、Q3とすべてトップタイムでポールポジションを獲得。決勝でも一度もトップの座を譲ることがなく、獲るべくしてタイトルを獲った。

 すべてのレースを終えたあと、F1という遠かったはずの世界が一気に山本のもとに近づいてきた。タイトルを獲る前と後では置かれた状況も、世界に対する認識もこれまでとは変わり、さまざまな思いが駆け巡ってアブダビにも足を運んだ。しかし、チャンスはあっけなく若手の手に渡ってしまう。

「F1を目指してる人には申し訳ないけど、僕はこれまでF1に乗りたいとアピールし続けてきたわけではない。スーパーフォーミュラのタイトルを獲れば権利を得られると分かって戦ってきたわけでもないんです。権利を得たからと手を挙げて乗れるほど、F1の世界は甘いものではないことが分かりました。いまは仕方ないと思える部分と、当然だよなと思う部分があります。ただ、手を挙げたからには身構えていられる状況にはなったし、来年は今までにないぐらい重要な1年になる。夢を持ち続けられるいまは幸せも感じています」

 4歳のときに初めてシケインで見たF1。もちろんヒーローはアイルトン・セナ。レーシングドライバーを目指す誰もが、一度はヒーローになりたいと思う夢に少しだけ触れられた。そしていま「幸せ」を感じながら、山本は2連覇に向けて歩みはじめる。

2018年はスーパーGTでもチャンピオンを獲得して、一躍時の人となった山本尚貴

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