子育てブロガー 豪雨直後に「自分のできること」

ブロガー・二宮麻衣子さんに、平成30年7月豪雨の直後についてお話を聞いた

二宮さんは岡山県総社市に住み、2人の娘さんを育てながら、子ども英語講座「FUN!MUSIC!」や「子育てはもっと、楽しめる」をコンセプトにした団体「SOSU(そすう)」の活動をしている。子育て・読書・ゴスペルやスピリチュアルなことまで、自分の視点を大切に発信する場として、2016年からブログ「マイコイズム」を始めた。

今回、「共にブログを学んで楽しむ」をコンセプトに活動する「岡山ブログカレッジ」で、11月18日、「災害と情報発信。『信頼』ってなんだ!?ブログが繋ぐもの」をテーマとして開催。県内外から10名の参加者が駆けつけた。同イベントの主催者は、被災直後から二宮さんをツイッターやブログで見ていたので、今回の企画に至ったという。

 

7月8日、社会福祉協議会で情報発信ボランティアを始めたキッカケは?

雨の降り続いた7月7日の夜。時間を追うごとに水位の上がる高梁川をインターネット上で見ながら、緊張感が増していったことを覚えている。この日の雨で総社市内にも被災したエリアがあった。日頃からSNSの発信をする片岡聡一総社市長のツイッターを見ていると、学生との間で「6時からボランティアに行く」という会話がなされていた。私と同じようにツイッターを見た人たちが、情報を拡散しく。ただ、それは「らしい」と言葉が使われる不確かな情報にすり替わり危険なものだった。
「総社市は明日ボランティアが来るらしい」、「学生だけ行くらしい」、「6時30分に行くらしい」と。

緊急事態だから正解な情報を

翌朝、正しい情報を得るためにボランティア運営をしている総社市社会福祉協議会に話を聞くことにした。昨晩発信された片岡市長のツイッター社会福祉協議会のことはほとんどの人が知らなかった。この情報が、錯綜し混乱していることを非常事態だと思い、社会福祉協議会に提案することにした。非常事態だからこそ、公式の立場から正確な情報を発信することが混乱を避け安心につながること。また、ブロガーをやってきたことで情報の扱い方、ツイッターでの拡散力を持っていることを伝え、情報発信のボランティアをすることになった。当初は公式アカウント作成をお願いしたが、担当者が決まるまで作成できないということから、個人アカウントを使い、被災地や避難所で必要な物資や被災地の現状など社会福祉協議会から聞きたい情報を随時SNSで発信していった。

 

情報発信の役割分担

情報の正確性を知ってもらうためにも、総社市の社会福祉協議会からの情報発信ボランティアとして情報発信をしていることを記載した。被災地から発信されるツイッターを見ながら、どんな情報を求めているのかを探しながら発信していった。後日、社会福祉協議会の情報発信担当者が決まってからは、私と公式のアカウントを相互リツイートし、社会福祉協議会からは言いづらい内容を代わりに発信することもあった。その結果、支援物資が集まり、喜んで頂いた。SNSの影響力の強さを実感した。

 

真備町でもできること

真備町の被害を知り、薗(その)小学校近くにいる友人の元へ。そこでは、専門知識を持ったボランティアさんが集まり、緊急支援を行っていた。私は、困っていることや足りていないことを被災した人たちから聞き、各避難所との情報交換、SNSでの発信をした。

 

被災地では、停電していて充電ができません。インターネット環境もなく、情報収集は聞いてまわるか、張り紙を見るしかありません。どの情報を発信するかは悩むこともあった。被災地では情報の鮮度がすぐに奪われる。刻々と変化する状況の中、言葉のエネルギーやできるだけ情報源が確かなものだけを発信した。

 

避難所になっていた岡田小学校では特に電波状況が悪く、電話は使えず、繋がってもすぐに切れてしまうことも多かったようだ。避難所では、衛星電話を導入してやり取りをしていた。そんな中でも、場所探せばツイッターが使えた。求めていることを拡散して、物資の支援やボランティア支援をお願いする場合は被災地外の多くの人に見てもらうため、ツイッターやフェイスブックを使った。被災地の人に知ってほしい情報はラインを使って伝達。SOSUで行ったイベントなど、活動報告はブログでまとめていった。

 

正しい情報を伝えることが最優先

社会福祉協議会からボランティアを派遣するには、被災者からのニーズを社会福祉協議会につたえることが必要。初めての災害、そんなルールは誰も知らない。若い世代はSNSや友達伝いで知ることができるかもしれない。高齢者になればなるほど、ルールや連絡先を知る手段を持っていない。社会福祉協議会の使っている「ニーズ受付調査カード」を手に、被災者のところへ伺った。SNSの力が及ばないときは、そこまで歩いていくしかないことを知った。

「自分ができること」をするには

被災した直後は混乱の中にいる。誰からの指示もない。「自分にできることをしたい」と思っても、自分で考え解決方法を探し行動できる人でないと何もできない。「自分は主婦だから」と責任から逃げていた私でしたが、真備町で専門分野を持ちプロ意識のあるボランティアに会った時、使命感と責任感を持った活動こそ、本当の力を発揮できるものだと痛感した。

 

いまできること取材班
文章:山口百香
写真:山口百香、二宮麻衣子さん提供
編集:松原龍之

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