9月に名古屋で開催された世界ボクシング機構(WBO)フライ級タイトルマッチで、当時の王者木村翔(30)を破り世界最速タイのプロ12戦目で3階級制覇を達成した田中恒成(23)。日本人同士の対戦となったこの試合は、パナマで開かれたWBO総会で年間最高試合に選ばれた。9月には中京大を卒業。前哨戦を経てフライ級を制覇するまでの半年間を取材した。
▽メンタルの強化
「プロになるなら毎日走れ」。元世界王者の畑中清詞会長(51)は、当時小学校5年だった恒成と初めて会った時にそう伝えた。
9月の木村戦の1カ月前、恒成は「メンタルで勝てるかどうかが勝敗を決める」と話した。つきまとう不安を払拭するために苦手な走り込みの練習に集中した。
「寒い冬でも朝起きてすぐに走る。トレーナーが見ていない時でも走る。心肺機能や筋力を鍛えるだけじゃなく、嫌だと思うことを続けることがメンタルを鍛える上では大切」。畑中から受け継いだ教えを徹底して守り、試合に向けての強いメンタルを作り上げた。
試合直前になっても戦い方に迷っていた恒成だが、ゴングが鳴ると王者木村を攻め立てた。「腹くくったんじゃないかな。良い出だしだった」と畑中は振り返る。
両者譲らぬ攻防が続き、試合は終始激しい打ち合いとなった。
▽負けられない理由
恒成には負けられない理由があった。9月には4年半通い続けた中京大を卒業した。世界戦の直前に試験勉強を強いられることもあったという学生生活。プロボクサーと両立する覚悟を決め入学しただけに、試合に負けて卒業を迎えたくなかった。
そしてもう一つはここまで支えてくれている人たちのためだ。
黄色いグローブを使用する木村のイメージ対策で、畑中は練習用のグローブに黄色いテープを巻いてくれた。フィジカルを担当するトレーナーは仕事の前に毎朝ジョギングに付き合ってくれた。そして仕事を辞め、専属のトレーナーをしてくれている父斉(ひとし)(51)は、練習を終えると、アイシングの氷を準備するなど雑用も引き受けてくれていた。些細な優しさが嬉しかった。
試合中盤、ポイントの優勢を感じた恒成だが、守りに徹することはしなかった。「ここで引いたら自分に負ける。最後まで行くしかない」。驚異のスタミナを誇る木村を相手に、心を折られることなく立ち向かった。
▽3階級制覇
最終ラウンドは圧巻だった。互いに息を合わせたかのような3度に渡る右ストレートの打ち合い。会場の声援も最高潮に達した。試合終了を告げるゴングが鳴るとリング場の2人には笑みがこぼれ、抱き合いながら健闘をたたえ合った。会場からは2人に割れんばかりの拍手が巻き起こった。
116―112、115―113、114―114。激闘を裏付けるかのような僅差の判定で、恒成は3階級制覇を達成した。23歳3カ月での到達は日本人最年少。見る者を魅了したこの試合は、まさに年間最高試合と呼ぶにふさわしいものだった。
▽覚悟と責任
3階級制覇から2カ月後の11月末、恒成は岐阜県多治見市の母校で中学生を前に講演した。チャンピオンベルトの重さや部活動での悩みなどさまざまな質問に答えながら、進路の選択について「他人に決められた道ではなく、自分自身が選んだ道を進んでほしい。そこには覚悟と責任が生まれる」と話した。言葉には3階級制覇を達成した風格がにじんでいた。
2019年春には防衛戦が予定されている。相手として名前が挙がるのは、昨年対戦を願いながらも恒成のけがで実現できなかった田口良一(32)だ。「難しいと思われることでも、諦めずに取り組めば周りも手を貸してくれる。だから俺は自分が実現したいことを誰よりも信じている」と話す恒成。先に見据えるのは5階級制覇。どこまで行くのか誰も予想もつかない田中恒成の今後から、目が離せそうにない。(敬称略、年齢などは取材当時、共同通信・写真部=稲葉拓哉30歳)
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