西武初のGMに就任する渡辺SD フロント入り後から意識し続ける人物とは…

来年から球団本部ゼネラルマネージャーに就任する渡辺久信SD【写真:荒川祐史】

辣腕振るった根本陸夫氏「一番強烈に印象に残っている」

 西武は、来年1月1日付で球団本部の組織改正を行うことを25日に発表した。これに伴い、渡辺久信シニアディレクター兼編成部長(SD)は、球団本部ゼネラルマネージャー(GM)就任する。

 GMと言えばメジャーでおなじみの役職で、最近では日本でもGMを置く球団が増えてきた。「私がこの5年間にやってきたことは、ある程度それ(GM)に近いもの」と言う渡辺SDは、「日本のGMはアメリカのように球団予算を全て扱うようなところまでではないので、ちょっと違うんですけどね」としながらも、「チームの編成部門や育成、強化などを全部取りしきるという、チーム作りをしていく上で一番重要なポジションであることは確かなので、心してやろうと思っています」と襟を正した。

 西武では球団史上初のGM誕生だが、過去に呼称こそ違えど同様の役割を果たした人物が1人いる。40年前の1978年、クラウンライター・ライオンズの監督に就任した故・根本陸夫氏だ。西武が球団を買収した同年オフには管理部長を兼任し、選手獲得などで辣腕を振るった同氏は、退任後にダイエー(現ソフトバンク)の基礎を作った。

 渡辺SDが1983年ドラフト1位で西武に入団した際も、管理部長を務めていたのは根本氏だった。「選手時代に一緒にやらせてもらっていたが、プロ野球の世界に入って一番強烈に印象に残っているのが根本さん」と話す渡辺SDは、「根本さんの感覚であったり、立ち位置であったり、そういうものはずっとこの仕事(SD)を始めてから頭の中にあります」と、その存在を常に意識していることを明かした。

 また、現役時代には根本氏と、こんなやりとりがあったという。

入団4年目、チームの主力となった渡辺SDがとった行動とは…

 まだ寮生活だった入団4年目。すでに最多勝を獲得するなどチームの主力投手となっていた渡辺SDは、寮を出ようと根本氏の自宅へ直談判に向かったという。「高卒入団は5年間は寮で」という球団の決まりもあって、約2時間掛け合ったものの色よい返事をもらえず。1週間いろいろ策を練った挙げ句、マンション購入を決断。「契約上自分が住まないとダメなんです」と再交渉に向かうと、根本氏は「お前、考えやがったな!」と白旗を上げたという。

 この秘話を単なる笑い話に終わらせないところが渡辺SDだ。「頭を使わないとダメだってこと。その人にはどういう攻め方でいったら攻略できるかっていうのを考える。いろんな物の見方をした方がいいなと、今はこの経験からも思いますね」。懐かしそうに振り返る根本氏とのやりとりから「何事にも工夫が必要」ということを肌で感じ取っていた。

 チーム編成の辣腕ぶりから「球界の寝業師」の異名を執った根本氏を目標とするが、そこには時代に即した渡辺流の解釈も加えていくつもりだ。

 かつては渡辺SDも住んでいた選手寮は、来年6月には新たに生まれ変わる。室内練習場も建設中で、メットライフドームでは着々と工事が進んでいる。組織改正が行われ、「新たなライオンズ」のチーム作りを任されることとなる新GM・渡辺久信。根本氏の流れを汲む男は、「1つ1つ勉強していきます」と、成長しながらチームを作り上げることを誓った。(岩国誠 / Makoto Iwakuni)

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