AFCカップ出場!プロとして歩んだ2シーズン。

流通経済大柏高校時代に全国優勝、その後は流通経済大学に進学。しかしJリーグからのオファーは無く、地域リーグのボンズ市原で2シーズンプレーした。その後シンガポールで、ラオスでプレー。AFCカップに出場し選手として伸び盛りの時期に"現役"を引退。

高校で全国優勝、大学も流通経済大学のサッカー部でプレーされていますがJでプレーするという選択肢は無かったのですか?

4年時にトップチームに入ることができなかったので、Jの選択肢はありませんでした。

JFLのチームに行きたいとスタッフに申し出ましたが、実力がなく練習参加も行けませんでした。

この時点でサッカーのみで生活はできないと思い、正社員で働きながらサッカーを続けることにし、ボンズ市原への入団が決まりました。

ボンズ市原での待遇やサッカー環境を教えて下さい!

.僕がボンズ市原に入団時、千葉県リーグから関東2部に上がった時でした。

僕自身大学時代に関東1部リーグで戦った経験があるので、正直周りのレベルは高いとは思いませんでしたが、チームのレベルは高かったと思います。

試合に絡むメンバーはJリーグ経験者やJFL経験者ばかりでしたので!

当時は専用の練習場はありませんでしたが、昔のジェフユナイテッドの練習場の天然芝で練習していたので環境面も悪くなかったです。

待遇としては、サッカーとは別に介護系の仕事を斡旋してくれました。

チームとしてプロ契約はありませんでしたが、勝利給はあり1勝1万円ですが、計算方法が特殊で月の試合数で金額が変わりました。

例として、月に4試合あった場合、

3勝1敗ですと3-1で2なので2万円です。

2勝2敗ですと2-2で0なので勝利給は無しです。

2勝1敗1分だと1分はカウントされませんので、2-1で1なので1万円です。

4敗の場合は-4ですがお金を払うことはありません。笑

2015年にセレクションを経て、プロサッカー選手になった訳ですがどうでしたか?

まず飛行機に乗ることが2回目なので、1人でシンガポールに行けるか不安でした。笑

シンガポールを良く知らなかったため、東南アジアだから街は汚く物価は安いのだろうと思っていましたが、全く違くて驚きました。

街は綺麗で物価が高いと思い日本に似ていると感じました。

アルビレックス新潟シンガポールに合流した初日は非常に緊張した記憶があります。

JリーグやJFL等の練習参加などしたことありませんでしたし、遅れての合流だったので緊張しながら練習していました。

シンガポールリーグのレベルは低いとは感じませんでした。

高いとも思わなかった理由としては僕自身地域リーグでしかプレーしていないため高い基準が良くわからなかったためです。

待遇面では一般的に悪いと思われるかもしれませんが、プロとしてサッカーだけでお金をもらい生活できることだけで嬉しかったです。

仕事しながらサッカーしていた時は仕事が休みでも試合がある。練習がない時は仕事がある。休む暇もなければデートすらできないぐらい時間がなかったです。

そういう面では贅沢はできなかったかもしれませんが、好きなサッカーを仕事にできることはとても嬉しかったです。

その後はラオスに移籍されていますね!ラオスというとイメージが湧かない人もいると思いますが・・・

僕が所属していたラオトヨタFCのローカル選手は代表選手も多く所属していたので、上手いなと感じましたね。

ラオスに行く前はローカル選手のレベルは、想像出来ず正直下手だと思っていました。初めて練習参加した時は「上手いなぁ」とびっくりしました(笑)

待遇はどこからが良いか悪いかはわからないですが、良くはなかったと思いますが、受け入れるしかないと思いました。

(シンガポールの時にサッカーだけで生活できるだけで嬉しいと言いましたが、慣れって怖いですね。笑 欲が出てきましたね。)

住む家は日本人4人で住んでいましたが、1人1部屋あり、リビング、キッチンは共有でしたが十分な家に住んでいました。(ハーフシーズンで1人増えました)

給料としては基本給約6万でしたが、物価が安いため生活は出来ました。

贅沢としては試合後にみんなで外食すること。普段の食事は屋台のご飯を食べていたので1食約200円〜約300円ぐらいでした。

現在がは現役を引退されていますが、引退を考えるようになったキッカケなどありますか?

引退を決めた理由が3つあります。

まず1つ目は怪我です。膝の状態が悪く、手術をしてリハビリをするという選択肢を考えていませんでした。

2つ目はタイのクラブに移籍を考えていたのですが、チーム事情により移籍することができませんでした。

3つ目はセカンドキャリアについてです。

僕自身、勉強が苦手で英語はほとんど話すことが出来ませんでした。英語を話すことが出来れば引退した後に語学力を活かして仕事が出来ますが、サッカーが無くなってしまったら僕が会社に対してメリットを出すことがあるのか考えた時に何もないと考えるようになったためです。

会社にメリットを出せない20代と30代では大きく違うと僕自身思いました。(採用不採用含め)

また、30代は会社としても即戦力として仕事していただきたい。20代ではまだ若いからこれから覚えていけばいい。多少ニュアンスは違うことはあると思いますが、実際にサラリーマンとして働いて言われましたのでセカンドキャリアの事を考えた上での結果、引退することに決めました。

最後にプロを目指している選手にアドバイスを宜しくお願いします。

今はSNSで色々な情報収集できると思います。良くも悪くも色々知ることができますが、自分の意志が第1優先だと思います。

人の意見ですので、『ここの国のご飯が美味しい、美味しくない』それはその人の意見ですので、他の人からしたらまた違うと思います。自身がその国に行ってプレーしてみたいと思えば行ってみるといいと思います。

様々なところから海外でプレーしてみたいなーと聞いたことがあり、代理人に繋いで行けそうなら行ってみる?と提案したことがありますが、現実的になると、『俺は自信がない。生活できるか不安。言葉が話せない。』と言い、口だけで言ってるんだなと思いました。

僕は上記に書いてあるように生活できるか不安でしたし、言葉が話せない不安がありましたが、シンガポール、ラオスに行ってしまえば、吹っ切れますし意外と生活することが出来ましたし、行動しなければ何も始まりません。

最終的に決断するのは自分自身ですので、自分を信じて行動することが成功への第一歩だと思います。

最後に僕が思ったこと、感じたことを話しましたので、他の方と違うことがあると思いますが、ご理解の程、宜しくお願い致します。

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