掛布氏以外にも過去は個性派揃い 阪神新助っ人マルテが背負う「虎の31番」

阪神入りが発表されたジェフリー・マルテ【写真:Getty Images】

掛布を発掘した名スカウト・河西氏、V9時代の巨人と戦ったカークランドも

 阪神の新助っ人として、前エンゼルスのジェフリー・マルテ内野手の加入が決まった。今季、大谷翔平投手とチームメートだったマルテ。背番号は、「ミスター・タイガース」掛布雅之氏のイメージが強い「31」を背負うことになった。

 虎の「31」と言えば、やはり掛布氏の存在感は別格だ。「31」と聞いて、掛布氏を思い浮かべる人は多いだろう。2016年から2年間、金本監督の下で2軍監督を務めたが、その際も31番を背負った。現役時代も1974年の入団から1988年の引退まで15年間「31」を背負っており、掛布氏の代名詞となったのもうなずける。

 しかし、虎の「31」は掛布氏のほかにも個性的な選手が揃っている。歴史を紐解くと、これまでに、以下の選手たちが背負っていた。

1939-1941 堀尾文人
1941-1943 玉置玉一
1950-1952 森田忠勇
1953-1957 河西俊雄
1958-1965 戸梶正夫
1966 滝川博己
1967 平山英雄
1968-1973 カークランド
1974-1988 掛布雅之
1992-1997 誠
2000-2003 広澤克実
2004-2005 濱中おさむ
2006-2013 林威助
2016-2017 掛布雅之

 初代の堀尾文人は日系米国人で「ジミー堀尾」の名で知られた選手。玉置玉一は、一塁手のレギュラーとして1940年代の「ダイナマイト打線」で下位打線ながら打棒をふるった強打者だ。森田忠勇はのち阪神2軍監督、セ・リーグ公式記録員をつとめ、河西俊雄はのちに阪神と近鉄の名スカウトとして、掛布の獲得に尽力したほか、江夏豊、野茂英雄などの選手を獲得した。

 戸梶正夫は、当時阪神のレースだったバッキ―の“専門捕手”として活躍。外野手の滝川博己、投手の平山英雄が1年ずつ着けた後、外国人選手のウィリー・カークランドが1968年から73年まで6年間背負った。爪楊枝をくわえて打席に入る姿から、人気時代劇になぞらえ「木枯らし紋次郎」と呼ばれ、加入初年の68年には37本塁打を記録。しかし三振も多く、勝った方が優勝という状況で対戦した1973年10月22日の阪神-巨人戦で、0-9の9回、高橋一三の前に空振り三振に倒れて巨人のV9が決定。本拠での惨敗、V逸に怒った観客がグラウンドになだれ込み、巨人の胴上げができない暴動となったのは今も語り草となっている。

掛布氏以来強打の野手の背番号だった31番

 カークランドは、後のバース、マートンと並んで球団最長の6シーズン在籍した外国人選手として親しまれ、その後に31を背負ったのが掛布氏。バース、岡田とともに阪神のクリーンアップを担い、85年、巨人・槙原からの伝説的な「バックスクリーン3連発」を叩きこみ(実際はバックスクリーン横の観客席)、球団史上唯一の日本一に貢献した。

 掛布氏の引退後は、強打の野手に背番号31が託されることになった。特に地元大阪出身で高校野球のスター選手だった誠(萩原誠)、同じく生え抜きで人気が高く、2003年の星野監督時代、2005年の岡田彰布監督時代のリーグ優勝に貢献した濱中おさむ(治)らは右打者ながら「掛布2世」として期待された。誠と浜中の間には、ヤクルトからFA移籍した巨人を退団した広澤克実が背負い、ヤクルト時代の恩師・野村克也監督と再びプレーした。広澤は、巨人と阪神で4番をつとめた唯一の選手でもある。

 濱中の後は、台湾籍で外野と一塁を守った林威助(日本の高校、大学出身のため日本人扱い)が8年間背負った。2013年オフに林が退団した後、2016年に掛布氏が2軍監督として再び背負うまで31番は空いており、掛布氏の退任後の今シーズンも空き番となっていた。

 マルテが着けることにより、阪神の現役選手としては5年ぶりに「背番号31」が復活することになる。掛布氏の現役時代にもランディ・バースという阪神史上最強の助っ人がいたが、果たしてマルテは「ミスター・タイガース」並みの活躍を見せることができるだろうか。(Full-Count編集部)

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