一杯のかけそば

 大みそかの夜、2人の子どもを連れた母親がそば屋を訪れ、1杯のかけそばを注文した。店主はそっと半玉をサービス。3人は「おいしいね」と1杯を分け合って食べた▲夫を亡くし苦しい生活をしている母と子の、年1回の楽しみ。来店は数年続いたが、ある時からぷっつり来なくなった。そして十数年後の大みそか、立派な社会人になった子ども2人と母親が、昔のお礼にとそば屋を訪れる-▲ご記憶の方も多いだろう。「一杯のかけそば」。昭和から平成に変わった年に、「泣ける話」として一世を風靡(ふうび)した童話だ。物質的に豊かになって心の豊かさを求めたバブル絶頂期の日本人に、けなげで貧しい母子を巡る人情話が響いた▲それから30年。社会状況は変化し、誰もが経済的に豊かになれると希望を持てた時代の空気は徐々にしぼんでいった。格差が広がり、シングルマザーや子どもの貧困が社会問題として浮かび上がった▲平成最後の大みそかの夜、1杯のかけそばを分け合うような心細い食事をしている母と子が、現実にどこかにいるかもしれない▲貧困や格差を生み出す社会を根本から変えていくことは、そう簡単ではないだろう。だが、母子をさりげなく気遣う店主のような振る舞いは難しくないはず。新しい年は、そんな優しさが満ちる年にしたい。(泉)

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