『あなたの愛人の名前は』島本理生著 あなたとわたしの恋愛について

 恋愛短編集である。でも「ラブストーリー」なのかというと、ちょっと違う気がする。描かれるのは、男女の駆け引きではない。不器用な登場人物たちの、心象であり、格闘であり、自問である。

 特に印象に強く残るのは、こんなヒロインの物語だ。婚約者がいるのとは別に、強く惹かれる異性がいる。抱き合い、指を握りあいながら、でも、この関係をどうこうするつもりは少しもない。この関係を「恋愛」と呼ぶのかどうだかも定かではない。だから対策を講じようとは特に思わない。

 相手の男側の見解もつづられる。彼女との関係を、彼もまた、どう呼んだらいいのかわからない。だから駒を進めようとか、次の新展開を引き寄せようとかいう気持ちはなく、だから巻き起こる出来事を、黙って享受するしかない。

 大人になるにあたっては、とかく「自覚的であること」や「能動的であること」や「責任を取ること」がよしとされる。ビジネスマン向けの自己啓発本とかを開くと、あまりにもそんな価値観が羅列されすぎていて、ちょっとのけぞる。しかし、この本に出てくる人たちは、おそらくそれらが苦手である。これは恋愛なのかそうでないのか、二者択一で断じることができない。その、できなさ加減が、この本の吸引力である。

 前述の男の、妹の物語も登場する。描かれるのは恋愛ではなく、彼女の自立へのグラデーションだ。兄からお金を渡されて、ひとりでマカオに行ってみる。その、びびり具合と、暖かな顛末が微笑ましい。

 その妹の女友達は、行きつけの居酒屋の店主に恋をする。過去に受けた仕打ちから、男が恐ろしかったけれど、この人のぬくもりは、その仕打ちとはまったく違った。

 店主の見解も明かされる。彼もいつの間にか、彼女を好きになっている。けれど相手の心のありようを感じて、深く踏み入ることはしない。

 恋愛って、美徳とされることもあれば、「ゲス」呼ばわりされることもある。分かれ道はひとえに「どちらかが結婚(婚約)しているか否か」である。人と人との関係なんて、正か否か、白か黒かでは判じきれないことどもの集積なのに。——本書を読むと、「正しい」とされているものたちの方が、どうも不思議に思えてしまうのだ。

 その判然としなさについて、見て見ぬふりをすること。それを人は「大人になる」と言うのかもしれない。

(集英社 1500円+税)=小川志津子

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