「沢村栄治対策」の秘密特訓が春季キャンプの原型? 阪神キャンプ地の歴史

阪神・矢野燿大監督【写真:荒川祐史】

高知・安芸では今年で55年連続の春季キャンプ

 巨人に次いで2番目に誕生したプロ野球チームである阪神タイガースは、草創期から巨人にライバル心を燃やしていた。

 阪神の2代目監督・石本秀一は、プロ野球開始年である1936年に歯が立たなかった巨人のエース・沢村栄治を打ち込むために、1937年2月11日、甲子園球場に阪神ナインを招集し、「沢村対策」の秘密特訓を行った。

 発案者は主将の松木謙治郎。投手の青木正一と加藤信夫にピッチャープレートの1.5メートル手前から全力投球させ、打者陣がこれを打ち込んだのだ。澤村の剛速球にタイミングを合わせるために、編み出された秘策だった。当時、春季キャンプという概念はなかったが、シーズンオフに選手が全員集まって、練習をしたという点では、これが春季キャンプの原型と言えるだろう。

 阪神は戦後になって、春季キャンプを本格的に始めたが、当初は、本拠地である甲子園球場がキャンプ地だった。1953年には鹿児島県立鴨池野球場、1957年には徳島県徳島市にある県営蔵本球場で二次キャンプを行っている。1963年には、フロリダ州のレイクランドで初の海外キャンプ(二次キャンプ)を実施。しかし、これらは1年だけで終わった。

 1965年、阪神は高知県安芸市の安芸市営球場で春季キャンプを開始した。太平洋に面した安芸市は2月でも最高気温が20度になることもある温暖な地であり、春季キャンプには適していた。安芸市も受け入れに当たって球場を改修するなど全面的に協力した。

 高知市で春季キャンプを行ったのは、1961年から高知市営球場でキャンプを開始した阪急ブレーブスに次いで、阪神が2球団目。以後、阪神は現在まで55年連続で安芸市営球場でキャンプを行っている。

星野監督時代に沖縄・宜野座にキャンプ地を変更

 1969年には法政大学からドラフト1位で入団した大物ルーキー、田淵幸一がキャンプに参加。報道陣の大きな注目を浴びた。1974年には掛布雅之も、プロ生活のスタートをこの地で切っている。1981年にはアリゾナ州テンピ、1984年にはハワイ・マウイ島で海外キャンプを行ったが、安芸市でのキャンプも並行して行われた。

 阪急、阪神に次いで、1969年には南海ホークスが高知県大方町などでキャンプを開始、1980年には西武ライオンズも高知県春野町でキャンプを開始した。高知県は、宮崎県に次ぐ「春季キャンプのメッカ」となる。球団が同じエリアに集まってくれば、練習試合やオープン戦も組みやすくなる。そういうメリットもあって、高知県に春季キャンプが集中したのだ。

 今は、球場の前に土佐くろしお鉄道が走り、球場前駅で降りればすぐにキャンプ見学ができるが、この鉄道が2003年に開通する前は高知市からの鉄道の便はなく、野球ファンや報道陣はバスやタクシーで球場に駆け付けた。高知市のタクシー運転手は「野村克也監督の時代(1999年~2001年)には、2月の売り上げが一年で一番多かった」と話した。安芸市は阪神タイガースの「第2のホームタウン」になった。

 2002年に就任した星野仙一監督は、さらに温暖な沖縄県に春季キャンプを移した。沖縄県宜野座村では当時、日本ハムが2軍キャンプを行っていたが、注目度を高めるために1軍キャンプの誘致活動を行っていた。阪神と宜野座村の思惑が一致し、2003年から宜野座村での春季キャンプが始まった。

 安芸市や高知県は市、県を挙げて引き留め活動を行い、2軍キャンプはそのまま安芸市で存続され、1軍キャンプのみが沖縄で行われるようになった。阪神のようにキャンプ移転に際して元のキャンプ地の要請で、2軍だけキャンプを存続するケースは散見される。

 宜野座村は2006年には室内練習場「宜野座ドーム(現かりゆしホテルズボールパーク宜野座DOME)」を建設。宜野座村営球場(現在はかりゆしホテルズボールパーク宜野座)には、1月には甲子園球場を管理する阪神園芸のスタッフもサポートし、入念に整備される。今では、宜野座村は、阪神ファンの巡礼地となっており、2月には関西弁が飛び交うようになった。ブルペンに観客席が設けられるなど、見ごたえのあるキャンプ地だ。(広尾晃 / Koh Hiroo)

© 株式会社Creative2