『理性主義と排除の論理』 「私たち」のありよう探索

 私たちが差別や抑圧に苦しむ人の生きづらさに向き合うのは思いのほか難しい。差別や抑圧は「私たち」から「誰か」に向けられるものだからである。私たちは常にそのような「誰か」になる可能性をはらみながら、何らかの「私たち」の一員として「私」であるしかない。

 本書の眼目は、ハンセン病とともに生きてきたさまざまな人々の歩みを丹念にたどることで、こうした「私たち」のありようを探索し問い直すところにある。探索の出発点とされるのは、個々の当事者が(どこかの「誰か」ではなく)「私」として語る具体的なライフストーリーである。

 証言集や聞き取りなどを踏まえて事実が平明かつ詳細に描き出される。だが無造作にニュートラルな装いで描写がなされているわけではない。「差別」「不安」「隔離」といった(事実を捉えるための)概念の枠組みが繰り返し原理的に考察され、そこから「私」とせめぎ合う「私たち」の姿があぶりだされる。

 療養施設「愛楽園」の設立に至るまでの沖縄本島において、ハンセン病とともに生きた人々は、地元への療養所建設に反対・抵抗する住民の迫害や恐れ、安住の地での人間らしい暮らしを求める当事者の努力や思い、ハンセン病の殲滅(せんめつ)を目指す国家による強制収容・隔離政策のせめぎ合いのただ中にあった。

 迫害や政策は科学的に無知であったことに基づくものだともいわれる。しかし、ハンセン病の感染力の弱さは医学的には既に知られていたし、自らの集落に属する病者との関わりは拒まれていなかった。排除の基底には、むしろ既存の「秩序」への拘泥があったのではないかと筆者はいう。

 すなわち、住民や国家は、自身がよりどころとする「私たち」の秩序が脅かされるのを恐れ、病者を自分たちとは違う「誰か」として排除した。こうした「私たち」のありようは人間存在の真実なのか。ハンセン病問題は「自身にとっての問題」だという筆者は、「人間の真実を理解する歩み」から「自らの生を導く思索」を練り続けることを求める。

 (小柳正弘・沖縄国際大学総合文化学部教授)

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 しもむら・ひでみ 1954年、山口県生まれ。沖縄大学人文学部教授。西洋近代の哲学思想専門。著書にハンセン病療養施設である星塚敬愛園(鹿児島県鹿屋市)を描いた「星ふるさとの乾坤」など。

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