海外生活、不登校、受け入れた先に  アルバム「平成」に歌手折坂悠太が込めた思い 元年生まれ、私のリアル

By 関かおり

折坂悠太

 米同時多発テロが起きたころ、翌年にイランへの引っ越しを控えていた。

 父の転勤に伴い、家族で2回目の海外生活を始めようとしていたときだった。シンガー・ソングライターの折坂悠太(29)はテロ発生当時、小学6年。日本では「なんとなくあのへんの怖い感じ」みたいなあいまいなイメージが広がっており、出発前は「大丈夫なの?」と周囲に心配された。しかしいざ行ってみたら、少なくとも自分の周囲は「穏やかな感じ」。実際に体験した人/していない人の間には、こんなにも隔絶があるのか。

 一方で、イランの町で聞いたコーランになぜか懐かしさを覚えた。人間の中に脈々と流れ、深い部分で共有されているものの存在を感じた。でも、そこへたどり着くためには、自分以外の世界を見るだけじゃなくて、自分の内面を掘り下げていかなければならないのではないか。しかも、誰にでも分かる言葉で表現しなきゃ伝わらない。

 度重なる引っ越しや不登校で、「出身地」や「出身校」という意識を持てなかった折坂にとって、「平成」とは「誰にでも分かる言葉で言い表せる自分の出自」だった。

 ▽みんなと一緒、耐えられず

 

飼い猫とモスクワの自宅にて=1997年8月

 小学3年生のとき、学校に行けなくなった。父の転勤についてロシアへ行き、約3年間暮らして帰国した後のことだった。

 クラスに溶け込めなかったわけでも、いじめられたわけでもなかった。ただ「教室に同い年の子がみんなで座って、休み時間になると遊んで、どの時間に何をしなきゃいけないのか決められる」ことに耐えられず、学校という「形」にどうしても合わせられなかった。

 朝になると絶望感で涙があふれ、行こう行こうと思うのに続かない。母が悩んでいる様子や世間の目が後ろめたくて、1年ほど家に閉じこもった。

 小学4年のときに千葉県内のフリースクールに通うようになった。このスクールにはカリキュラムも時間割もなく、それぞれが興味のある活動に取り組んでいた。障害のある人もいたし、年の離れた人もいた。初日に「この子、偏食なんです」と伝えた母に、園長は言った。「そんなの当たり前。食べたくなければ食べなくてもいい」。ここにはやりたくないことを強いる大人はいない。「好き嫌いするな、食べるまでそこにいろ」なんて言われない。「これでいいんだ、自分は」。やっとそう思った。

校外学習、ダマバンドにて=2003年

 中学に上がって、再び父の転勤でイランへと渡った。少人数で構成された学校はスクールに近い環境で、楽しんで通えた。「自分はもう変わった! 学校へ行ける!」。2年後に帰国。やっぱりだめだった。

 「この時間は何?」。同級生がわーっと並んで、休み時間に入り乱れて遊ぶ…。どうしていいのか分からなかった。学校へ行こうと思っても、体が動かなくなった。2日ほどで登校をやめ、再びフリースクールへ通った。絵を描く趣味を生かして美術科のある高校に入学したものの中退し、その頃から徐々にバンド活動を始めた。

 ▽「自分」と向き合う

 最初は仲間内のおふざけの延長だった。フリースクールの友達やスタッフと結成したパンクバンドで「柏と松戸が全面戦争!」みたいな曲を書いていたという(何の話だろう…)。

 当初はドラムを担当していたが、曲作りのためにギターも覚え、その曲を思い通りに表現したくて自分がボーカルのバンドを作った。だんだんのめり込み、2013年にはスクールを飛び出して人前に立って歌った。東京都三鷹市のライブハウスで、初めて知らない客の前で自分の曲を披露した。好評を得て自信をつけ、翌年には自主制作のミニアルバム『あけぼの』をリリースした。

 プロとして音楽活動を続けながら、今もフリースクールには顔を出している。14年にはスタッフだった女性と結婚し、子どもも生まれた。家庭を持つ立場になって振り返り、絶望のあまり泣いた朝も、海の向こうの町で「踏ん張っていた」生活も、「これでよかった」と思えている。多感な時期に、立場や年齢の違う人と関わった経験は「この人と自分は違う」「では何が違って、自分とは何だろう」と自問するきっかけになった。

 今は、小学4年のときに「これでいいんだ」と受け止めた自分の内面を見つめ、他者との間の断絶を飛び越えて共有できるものを探している。歌とはそのための手段だ。

 たとえば誰もが分かる「日付」という記号も、誰かにとっては大切な人が亡くなった日で、別の誰かにとっては初めて好きな人に告白した記念日かもしれない。その両面性は「すごく個人的なことを歌っていても、そこを深く掘り下げることで別の誰かにとっても共感できるものになる」という歌の両面性にも通じている。

アルバム「平成」

 同年代には「元号が変わるなんて別にどうでもいい」と言う人もいる。が、折坂にとってこの30年はこれまでの人生であり、肩書の一つだった。「そこに立ち返って向き合わないと、僕が表現者である意味がない」

 その思いを昨年リリースした最新アルバムにこめた。タイトルは『平成』だ。(敬称略、共同=関かおり28歳)

 ▽取材を終えて

 伏し目がちで、迷いながら言葉を探す。大勢の前で歌うような人にはとても見えない、おとなしい方でした。

 折坂さんは「平成」という時代について「たとえばオウム真理教事件があったとき、単に宗教アレルギーを起こしてしまっただけで、その中身を見ようとしなかった。社会が発してきた警告を受け止められないままここまで来てしまった。もちろん僕も含めて。それが僕らの『リアル』だったと思うんですよね」と振り返ってくれました。静かな語り口でした。

 ちなみに折坂さんが関わった2つのバンドの名前はいずれも「内緒」だそうです。バンドやってた人って、みんな過去のバンド名を隠しますけど、なぜなんでしょうか。(終わり)

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