今月の視点 もう「皆で渡れば怖くない」的思考をやめ、「渡ると恐ろしい」という意識を徹底させよ 「新年明けましておめでとうございます。」とご挨拶しても、毎度ながらミャンマーにいると,やはりお正月気分には浸れない。昨年のクリスマスもそうだった。商業施設にはツリーが飾られ、サンタの帽子をかぶったスタッフに「メリークリスマス」と笑顔で迎えられても、コートに手を突っ込んで白い息を吐きながら冬化粧した街角を足早に歩く、あの雰囲気と状況にならないと、やはり気分が今いち盛り上がらない。

「新年明けましておめでとうございます。」とご挨拶しても、毎度ながらミャンマーにいると,やはりお正月気分には浸れない。昨年のクリスマスもそうだった。商業施設にはツリーが飾られ、サンタの帽子をかぶったスタッフに「メリークリスマス」と笑顔で迎えられても、コートに手を突っ込んで白い息を吐きながら冬化粧した街角を足早に歩く、あの雰囲気と状況にならないと、やはり気分が今いち盛り上がらない。

今月の視点 もう「皆で渡れば怖くない」的思考をやめ、「渡ると恐ろしい」という意識を徹底させよ

微妙な季節の変化があるミャンマー 「四季制」がある日本人は幸せ者

「新年明けましておめでとうございます。」とご挨拶しても、毎度ながらミャンマーにいると,やはりお正月気分には浸れない。昨年のクリスマスもそうだった。商業施設にはツリーが飾られ、サンタの帽子をかぶったスタッフに「メリークリスマス」と笑顔で迎えられても、コートに手を突っ込んで白い息を吐きながら冬化粧した街角を足早に歩く、あの雰囲気と状況にならないと、やはり気分が今いち盛り上がらない。
ミャンマーに来た当初は、年がら年中「夏」だと思っていた。しかし長らく暮らしていると、季節の微妙な変化を感じられるようになった。ことに12月あたりからは、日中の最高気温はともかく、最低気温が16度なんていう表示をTV の予報で見かけるようになる。
むろん、これはミャンマー北部の高原地帯の観測だろうが、南のヤンゴンでも夜明け直後は湿度もなく、我々日本人にとっては20度前半の「晩秋」のような本当に清々しい気候になる。
だから少々強引なこじつけをすると、12~2月が「晩秋」、3、4月が「真夏」、6~9月が「雨季」、10.11月は「晩夏」という風に表現できるかも知れない。
その点、四季制の日本は幸せである。気温、気候の変化の妙はもちろん、季節によって「旬」と呼ばれる食材が登場し、伝統祭りやイベントも目白押しになる。浴衣姿でうちわと生ビールをを片手に壮麗で芸術的な花火見物を気楽に楽しめる国が、一体、この世界のどこにあろうか。
衣服にしても、ミャンマーではよほどの寒さになるか、北部の山岳地帯にでも行かない限り、冬物とは無用だが、日本は季節ごとに「衣がえ」という生活パターンが定着している。これは気温、気候に対処する日本人の日常的な習慣だが、一方では季節ごとに「けじめ」をつけ、気分を一新して生活に入る、という意味合いもこの慣習の中に込められているような気がする。

日本人は「けじめ」という規範の中で生活 目に余るヤンゴンバスの乱暴運転の数々

この「けじめ」という言葉はきわめて日本的である。辞書によると「道徳や規範によって行動・態度に示す区別。節度ある態度」とあるが、ある方は子供に説明するときに「して良いこと悪いことの区別を、態度・行動ではっきりさせる」と諭し、問題が起きればこの基準で自分で判断させる方向に持っていくと言った。
今、日本人の間でもこの「けじめ」に対する意識が希薄になってきていて偉そうなことはいえないが、ミャンマーに暮らしていると、どうしてもこの「けじめ」への意識の曖昧さ、いい加減さに腹が立つことが多い。
最近特に目に余るのはヤンゴンのバスの運転手さんの態度である。のろのろ前を走っていると必ずクラックションであおられ、威嚇されることが多くなった。陸橋の側道が渋滞していると、直進道路から回り込んで強引に先頭部分に割り込もうとするバスは日常茶飯事だ。
左折レーンでも同様の行為を目撃するし、道路が渋滞していると見るや車線変更を繰り返し、他車を蹴散らすようにバス停に持っていこうとする。ひどいのはバス停でもない中央車線で乗降客の乗り降りをさせていることだ。いずれの場合も後続の車は停止状態になり、乗り降りをしているなどと知らない車は人身事故を起こしかねなくなる。そしてすぐに渋滞、混乱状態になる。
ヤンゴンのYBSバスは、2年前に中国から500台ものバスを輸入し、バス会社や系統を整理し、運転手の報酬はそれまでのノルマ制から固定給制に移行改革が行われたのではなかったか。だから移行直後はノルマに必死にならずに済むのでバスの乱暴運転は減った、かに見えた。それがどうして再び目に余るようになってきたのか。

東南アジア各国のバスは安全運転を履行 取り締まり強化だけではなくならない

ここ2年の間に、タイ、カンボジア、マレーシアに行く機会があったが、人命を軽視するこんなでたらめな運転するバスはついぞ見かけなかった。もちろん各国とも同様の渋滞問題を抱えており、こうした国の首都は、バイクやバイクタクシーなども解禁され、共存しているにも関わらず、それでもバスと一般車との間には、何か「譲り合う」あうんの呼吸のようなものを感じた。
ヤンゴンには「サイカー」という自転車タクシーはあるが、走行範囲は規制されており、むろん中心部はバイク禁止。車両台数が5年前の30万台から倍以上に増えたとはいえ、ヤンゴンの悪しき交通渋滞はこうしたバスの安全走行、そして同様にタクシーのマナーの向上、さらにUターン禁止場所を厳格化し、割り込みを厳しく取り締まっていけば、かなり改善されていくのではないか。交通問題は人命に直結するだけに、これは何をさておいても早急に対策を立てるべきではないか。
しかしこうした改革は、いくらルールを厳格化して取り締まりを強化しても、やはり最終的には国民全体が「けじめ」への意識を高めていかないと根本的には解決できない。
ミャンマー政府は減少した外国人観光客の誘致に必死だが、こうした交通インフラが是正されない限り、ヤンゴンに来てみて落胆するか、2度と来たくないということになりかねない。金のかかるハード面ならともかく、意識改革というソフト面なら交通キャンペーンや標語で徹底させていけばかなりの効果が期待できるし、大金を投じる必要もない。
満月祭やその他のイベントで、国民が一丸となって寄付金集めや社会貢献活動に行動を起こす心優しきミャンマー人である。
「道徳や規範によって行動・態度を示す」ことなどその気になればたやすいことだろう。だから、もう、「みんなで渡れば怖くない」的思考をやめ、「みんなで渡ると恐ろしい」という意識を徹底させていただきたい。それが年頭にあたっての当方の願いである。

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