ライター・清藤秀人が語る“ヒストリー・オブ・オードリー”!

ライター・清藤秀人が語る“ヒストリー・オブ・オードリー”!

母国・イギリスで女優として活動していたオードリー・ヘプバーンが、23歳の時にカメラテストに合格し、見事勝ち取ったのがハリウッドデビュー作「ローマの休日」(1953)のアン王女役だった。テスト終了後もカメラが回っていることを知ってか知らずか、緊張から解放されたオードリーはレンズを覗き込み、「ねえ、まだ撮ってるんでしょう?」といたずらっぽく囁きかける。その少女のような笑顔と子鹿のような動きが監督のウィリアム・ワイラーを魅了し、女優・オードリーの華々しい20代が幕を開けた。

劇中でオードリーのアン王女は、公務に辟易してベッドの上で泣き叫んだり、夜中に飛び出したローマの街角で思わず寝転けたり、偶然出会った新聞記者・ジョーの狭いアパートをエレベーターと間違えたり、ジョーとの間にいつしか芽生えた恋心に戸惑ったり、立場の違いを理由に別れを決断したり、等々。目まぐるしい心境の変化を体験するが、それらすべてを、オードリーはあのカメラテストの時と同様、思わず吹きこぼれる生の感情をそのまま演技に置き換え、監督を含めてスタッフ全員をとりこにしてしまう。そして、もちろん、世界中の映画ファンも。同時に、彼女は24歳でアカデミー主演女優賞に輝いた。それは、オスカー史上5番目に若い(24歳と325日)受賞者として記録される。今はやりの実物なりきり演技とは無縁の、プリンセス役での受賞はオスカーではまれなケースで、当時、いかにオードリーの演技が新鮮だったかが分かる。正しく紛れもない快挙だったのだ。

そして、30代。女優として絶頂期に出演したのが、後年、本人も大好きな作品に挙げている「ティファニーで朝食を」(61)だ。ニューヨークのアパートで1匹の猫を相棒にパーティーに明け暮れるコールガール、ホリー・ゴライトリー役は、オードリーのフィルモグラフィーの中でも異質中の異質。しかし、彼女は流れるようなセリフと動きで自分とは真逆のパーティーガール役を好演。特に映画の前半、作家・ポールの前で大急ぎで歯を磨き、服を着替え、メークしながらもしゃべり続ける数分間は、流麗そのもの。ジバンシーがデザインしたミニマムなドレスも含めて、当時のオードリーは女優としても、ファッションアイコンとしても、まさに頂点に達していた。

「暗くなるまで待って」(67)以来、スクリーンから遠ざかっていたオードリーは、「ロビンとマリアン」(76)で9年ぶりに女優復帰を果たす。その時、46歳だった彼女は、ショーン・コネリー扮するかつての恋人、ロビン・フッドと再会し、互いに刻んだ年月の重さを実感し合う尼僧・マリアンを演じて、そこはかとない哀愁を漂わせる。役に自分のキャリアを重ね合わせるようなその風情は、女優としての健在ぶりを実感させるものだった。

そんなオードリーにとって、結局、最後の映画となったのが、59歳で出演した「オールウェイズ」(89)だ。役柄はなんと、リチャード・ドレイファス扮する死亡した消防士を、天国で勇気づける天使・ハップ役。見渡す限りの草原を背景に、死者を現世に戻すその役柄は、妖精とか、天使のようだとか言われ続けたオードリーならではのはまり役。劇中で、彼女の出演シーンだけが別世界のごとく詩的で、美しかったのは言うまでもない。

街に飛び出した王女、摩天楼の隙間から幸福をうかがうパーティーガール、若かりし頃に思いをはせる女性、そして、後悔を胸に天国にやって来た人間に再びチャンスを与えるミラクルメーカー。20代から50代に出演した代表作には、女優オードリー・ヘプバーンの目まぐるしい変貌と成長の足跡が刻まれている。

【ヒストリー・オブ・オードリー】


「ローマの休日」

「ティファニーで朝食を」

「ロビンとマリアン」

「オールウェイズ」

文/清藤秀人

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