柏レイソルU-18のGK小久保玲央ブライアンが、ベンフィカと契約を結んだ。
先日18歳になったばかりの小久保は年齢的に今年がトップ昇格の年であったが、日本でプロ入りせず、いきなり欧州ビッグクラブの門を叩くこととなった。
そこで今回は、「Jリーグ入りが可能な状況でありながらそれを断って欧州へ渡った選手たち」を特集しよう。その選択は成功であったのだろうか。
伊藤 翔(鹿島アントラーズ)
中京大中京→グルノーブル(フランス)
Jリーグを経由せず渡欧する選手の先駆けとなったのがこの男だろう。
大器と騒がれた高校時代にアーセナルの練習に参加し、アーセン・ヴェンゲル監督(当時)からアンリのようだと喩えられた彼は、「和製アンリ」として知名度を獲得した。
そしてJを経由せずに日本人オーナーが所有するフランスのグルノーブルへ。しかし公式戦の出場は4年間でたったの5試合に終わり、2010年に日本へ帰国した。
Jリーグでは地味ながらも着実にステップアップを果たしており、昨年末、アジア王者である鹿島アントラーズからオファーを受け移籍している。
木下 康介(シント・トロイデン)
横浜FCユース→フライブルク(ドイツ)
先日、シント・トロイデンに移籍した大型ストライカー。
188cmの身長にして足元の技術にも優れる彼は、横浜FCユース時代に各大会でゴールを量産。当時マンチェスター・シティから正式オファーを受けたほどの逸材だった。
しかしシティ入りを断り、外国籍選手の育成に定評があったドイツのフライブルクに。リザーブからキャリアを始めたが、トップチームに上がることはできなかった。
2017年にスウェーデンへ。1部では活躍できなかったものの昨年2部で13ゴールを記録し、今回、ベルギー挑戦の機会を与えられている。
長澤 和輝(浦和レッズ)
八千代高校→専修大学→ケルン(ドイツ)
高校時代に選手権で優秀選手に輝き、大学時代にはユニバーシアード代表にも選出された長澤。
2013年に横浜F・マリノスから特別指定され、同年のナビスコカップで1試合に出場した彼は、当然そのままJリーグ入りするかと思われた。
しかし同年末、ブンデスリーガ2部のケルンと契約し海外へ。初年度から昇格に貢献すると、1部でも主に攻撃的なMFとして一時は大迫勇也とともにポジションを掴みかけた。
ただ左膝靭帯断裂という大きな怪我を負ったこともあり2016年に帰国。翌年、浦和の主力としてACLを制覇し、ハリルホジッチ体制の日本代表でデビューも飾っている。
平山 相太
国見高校→筑波大学→ヘラクレス(オランダ)
選手権で史上初となる2年連続得点王に輝き、文字通り“怪物”として日本中を騒がせた平山。
Jクラブはもちろん欧州からも関心を寄せられたが、プロ入りせずに進学の道へ。しかし成長の鈍化に危機感を抱いた彼は休学してオランダのヘラクレス・アルメロと契約を結んだ。
ヘラクレスでは1年目から8ゴールを記録したものの監督が代わった2年目に信頼を失うと、あっさり退団して日本へ帰国。以後、再び欧州の地を踏むことはなかった。
帰国後は約12年Jリーグでプレーしたが輝きを放つことは少なく、一昨年限りで現役を退いている。
宮市 亮(ザンクト・パウリ)
中京大中京→アーセナル(イングランド)
宇佐美貴史、柴崎岳と同じ「プラチナ世代」の一員で、U-17日本代表や選手権で活躍した宮市。
その異次元のスピードは世界のスカウトをも唸らし、高校在学中にアーセナルと正式に契約。即レンタルで渡ったフェイエノールトは当時、大不振で降格の危機に喘いでいたが極東からきた18歳の救世主的な働きもあって免れた。
ただその後のキャリアは順風満帆とはいかなかった。大怪我と復活ということを何度も繰り返しており、出場さえ満足にできていないのだ。
現在はアーセナルを退団し、ドイツ2部ザンクト・パウリから再起を目指している。
林 彰洋(FC東京)
流経大柏→流通経済大学→プリマス・アーガイル(イングランド)
2007年U-20ワールドカップでベスト16入りした“調子乗り世代”の守護神を務めた林。
190cm台の身長は日本人離れしており、当時まだ大学生だった彼を当時のイビチャ・オシム監督は日本代表の候補に選出したほどだった。
もちろんJクラブからオファーも舞い込んだが、林は日本人がオーナーを務めたプリマス・アーガイルに加入することに。しかし欧州では右手首の怪我に悩まされるなど限られた出場にとどまった。
2012年からは日本に拠点を移し、清水エスパルス、サガン鳥栖で安定した働きを見せたことによって日本代表に復帰している。
伊藤 達哉(ハンブルガーSV)
柏レイソルU-18→ハンブルガーSV(ドイツ)
小久保の前に全く同じ経緯で欧州へ渡ったのが伊藤だ。
「柏から世界へ」を掲げる柏レイソルのアカデミーで育った小柄なアタッカーは、国際大会での活躍が海外スカウトの目に留まり、2015年にドイツの古豪ハンブルガーへ移籍した。
2シーズンBチームで経験を積んだ後、一昨年、ブンデスリーガでデビュー。チームは降格の憂き目にあったものの、伊藤は今季より11番の背番号を与えられ期待を集めている。
昨年には宮市以来となるJリーグ未経験でのA代表招集を受けており、東京五輪代表の有力な候補となっている。