江戸中期の実物か 南足柄・福沢神社ののぼり旗

 酒匂川の文命東堤近くにある福沢神社(南足柄市怒田)ののぼり旗が、17世紀後半の江戸中期のものである可能性が高いことが分かった。足柄平野を度々襲い、地域住民を悩ませてきた水害を抑止する願いが込められている。文献にも1726年の酒匂川の堤防修復後、地元の名主にのぼり旗が下賜されたとあり、郷土史家はその実物ではないかと見ている。 

 のぼり旗は麻でできており、縦144センチ、横65センチ。白地の中ほどが藍色で染められ、白い文字で「文命」と書かれている。2009年に南足柄市千津島の旧家の倉庫で発見され、同神社に奉納された。文命とは治水神である古代中国の帝王・禹(う)王の名。同神社も1909年に周辺神社と合祀(ごうし)される前は文命社といった。

 1779年の記録などには、決壊した酒匂川の堤防を修復した田中丘隅(きゅうぐ)が「文命」と書かれた旗を千津島村の名主だった瀬戸文右衛門家に下賜したとある。発見された旧家は文右衛門家の執事を務めた家柄だったという。

 禹王を研究している郷土史家の大脇良夫さん(77)は、のぼり旗の発見時から丘隅下賜のものとにらみ、昨年秋に福沢神社総代代表の山口冨美男さん(83)と相談して山形大に年代鑑定を依頼。その結果、1641~70年に収穫された麻である可能性が高いことが分かった。大脇さんは「丘隅が下賜した年代と矛盾しない。実物である可能性が高まった」と話している。丘隅の時代とは少し間隔があるが、「幕府が原料の麻を大量に長期間、貯蔵しておいたのかもしれない」と推測する。

 のぼり旗は戦前までは5月の同神社の例大祭で掲揚されていたという。戦後は見られなかったが、昨年は久しぶりに社頭にひるがえり、多くの見物人を集めた。山口さんは「歴史的に価値があるものだと分かると、劣化の関係からそう外には出せない。今年の例大祭は周りと相談したい」と話しており、レプリカの作製も考えている。

 文献では、のぼり旗は2りゅうあったとされる。大脇さんは、地元の6カ村に持ち回りで保管するよう下賜されたとされる残る1りゅうの行方を探している。

 古来、暴れ川として知られていた酒匂川は、1707年の富士山噴火以降は川床にたまった火山灰で水害が多発した。中でも11年の大水害では川の流路が変わり、26年の丘隅の修復までそのままだった。丘隅は水防の大切さを忘れないように、堤防上に文命宮を造り、地元住民に年ごとの祭礼を命じた。これが現在の福沢神社と例大祭の元となっている。

のぼり旗を広げる山口さん(右)と大脇さん=福沢神社

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