パラリンピアン2人 長崎で教員向けに講演 思いや覚悟伝える 「スポーツ、教育で社会変えたい」

 東京パラリンピックを1年後に控える中、障害者スポーツの魅力や競技者の気持ちを知ってもらおうと、長野大会金メダリストのマセソン美季さん(日本財団パラリンピックサポートセンター推進戦略部マネージャー)とリオデジャネイロ大会で銅メダルを獲得した芦田創さん(トヨタ自動車)が25日、長崎市内で講演した。
 県教委が実施する「オリンピック・パラリンピック教育充実事業」の一環。東京大会を契機に、学校教育を通じて五輪の精神や多様性尊重の考えを子どもたちに伝える狙いがある。県内小中高校の体育担当教員約500人が参加した。
 マセソンさんは大学1年時に交通事故に巻き込まれて下半身不随に。その後アイススレッジスピードレースと出合い、長野大会では3種目で優勝した。現役引退後は夫と暮らすカナダで教員を務め、現在は国際パラリンピック委員会の教育委員としても「健常者と障害者を分けない社会」の実現に向けて世界中を飛び回っている。
 講演で、差別や偏見は「教育から生まれている」と問題提起したマセソンさん。カナダでは車いす姿の自身に子どもたちが興味津々で寄ってくるのに対し、日本では「社会教育、無言の教育も含めて、じっと見たらいけない、質問したら失礼という雰囲気。こちらの方が申し訳ない気分になる」と指摘し「裏を返せば、教育次第で差別や偏見を軽減できるはず」と続けた。
 5歳の時に右腕の病気を発症した芦田さんは、走り幅跳びで7メートル15の日本記録を持つ現役アスリート。健常者に比べて記録が伸びず落ち込む時期もあったが「右腕以外をフル活用すればもっといける」と考え方を変えて一流選手に成長した。最大の目標である東京大会に向けて「金メダルを取れば、誰よりも甘えに負けない生き方をした証明、自己肯定になる」と強い覚悟を語った。
 2人に共通するのは、失ったからできないと諦めるのではなく、残されたものを最大限に生かそうとする姿勢。マセソンさんは「パラリンピックのキーワードは『可能性』だと思う。スポーツの力、教育の力で社会を変えたい」と呼び掛けていた。

パラリンピアンとしての競技、人生、社会との向き合い方を語ったマセソンさん(左)と芦田さん=県立総合体育館

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