東海テレビドキュメンタリー劇場 第11弾「眠る村」、阿武野勝彦プロデューサー&齊藤潤一監督、公開直前インタビュー 【前編】「昭和のミステリーの正体」

東海テレビドキュメンタリー劇場 第11弾「眠る村」、阿武野勝彦プロデューサー&齊藤潤一監督、公開直前インタビュー 【前編】「昭和のミステリーの正体」

東海テレビドキュメンタリー劇場の待望の新作、第11弾「眠る村」が、2月2日(土)から公開されます。昨年4月に同局で放送したテレビ版(東海地区ローカル)に追加取材を加えた劇場版です。戦後唯一、司法が無罪から逆転死刑判決を下した名張毒ぶどう酒事件。時が過ぎるのを静かに待つ地元の村、風化をもくろむ司法当局。発生から57年、いまだ解決を見ない事件に、東海テレビドキュメンタリーチームが世代を越えて取材に取り組んできました。その集大成となる映画「眠る村」の公開を目前に、齊藤潤一監督と阿武野勝彦プロデューサーにお話を伺うことができました。名張毒ぶどう酒事件の報道に関わってきた思い、司法シリーズをはじめ東海テレビドキュメンタリー劇場の常に中心にいたお二人の歩みを語っていただきました。ドキュメンタリーファンにとって興味の尽きない話題を、前後編2回にわたりお届けします。前編は劇場版「眠る村」と名張毒ぶどう酒事件の取材背景から。

──1961年に起こった名張毒ぶどう酒事件で奥西勝死刑囚の冤罪(えんざい)を疑った先輩・門脇康郎ディレクター(映画では監修)から取材を受け継いだ齊藤潤一監督ですが、こんなに長きにわたって事件に携わるとは思ってないですよね。

齊藤「これほど長く関わるとは思いませんでした。僕は2001年から2年間、三重支局で記者をしていました。当時も名張事件のことは時々話題にはなっていましたので概要ぐらいは知っていましたが、2005年に再審開始決定が出た時に阿武野から『これをやりなさい』と言われた時は、ちょっと嫌だなと。難しそうだし、最初は厄介な題材を振られたなと思いました(笑)。再審開始決定が認められて再審になって、恐らく奥西さんが無罪で出てくる、そこまでは追えるだろうなと。たぶん数年はこの事件を取材するだろうなと思っていました。まさか再審開始が取り消され、奥西さんが亡くなって、ここまで作り続けるとは思いませんでした」

──プレス資料で齊藤監督は、初代・門脇ディレクターを「先発」、ご自身を「中継ぎ」、共同監督である三代目の鎌田麗香ディレクターを「リリーフ」と、野球の投手に例えています。そして、さらに延長戦に入った。いかに長い取材であるかが伝わります。戦争であれば、戦後60年、70年という長い月日を経て今だからこそ話しておきたいという人も出てきますが、この事件ではそうはならない。この事件ならではの取材のご苦労もあったかと。

齊藤「村をもう一回描こうという時に、奥西さんが亡くなっているので、もしかしたら村人が『犯人は奥西さんじゃないんだよ』とポロっと言ってくれないか淡い期待はありましたが、さすがにそれはありませんでした。ですが、村人たちも時間が経つにつれてカメラの前では答えないんですが『自分は違うと思う』という人も現れたり、『彼が犯人だ』と口にはするもののインタビューしていると少しぶれてきたり、表情が変わったりなどが見えてきました。それは、最初に門脇が掘って、その後僕が引き継いで少しずつ人間関係を作って、鎌田が引き継いでグイっていくという、長い流れだからこそ少しずつしゃべり始めてくれた。(映画の)最後に出てくる(事件発生時)お腹の中にいたという57歳の人がお母さんから当時のことを引き出そうとこちら側の意図をくんでくれたり、世代が変わって事件についてちょっと違った見方をする人も出てきました。それでもやっぱり村人は奥西犯人説にしておかないと村が崩壊してしまうので基本的には奥西犯人説なんですが、長い時の流れの中での少しずつちょっとした変化を今回見つけることができたのが、この作品の大きな意義のあるところかなと思っています」

──齊藤監督は司法シリーズをはじめ、事件の取材をこれほど長く継続できたのはどうしてでしょう?

齊藤「原点は名張事件ですし、奥西さんが再審無罪になって生きた姿を取材したいというのが根底にずっとありました。それをモチベーションとしてやってきました。それが前作『ふたりの死刑囚』(2015年)を放送した直後に亡くなられて、映画版(2016年)は亡くなったシーンも使っているんですけれども、前の作品まではいつか奥西さんが出てきていつか取材したいというのが、この仕事の集大成だと思ってきました」

──奥西さんにはお会いできなかった?

齊藤「そうです。一度も会えなかったですね。主人公をずっと取材できないままここまできましたからね。その夢がかなえられなかった。そういう意味で今回の作品のモチベーションは取材を始めた時は無かったのですが、これまでマスコミにほとんど出ることがなかった妹の美代子さんが(再審請求を)引き継いで、奥西さんの死をきっかけに全面的に前に出てくる姿を見て、これはやっぱり作品として最後まで作り続ける必要があるなと思いました。司法シリーズの原点は名張毒ぶどう酒事件なので、いつか奥西さんを取材したいというのが源ですね」

──その美代子さんが最後に葛尾村に向かいます。村が近づくにつれ見ているこちらも緊張してきました。

齊藤「村に帰りたかった、ずっと葛尾を見たかったと思います。でも、そこに足を踏み入れることはできなかった。しかし、もう高齢になりましたし、最後に目に焼き付けたかったのだと思いますね」

──葛尾を訪ねるシーンは映画版のハイライトですね。ではあらためて、「眠る村」で訴えたかったことは。

齊藤「奥西さんが亡くなってから、マスコミの取材が無くなっています。それまでは東海地方では注目の再審事件だったものですから、特に再審の決定が出る前後は各社、新聞もテレビも相当取材をしたわけなんですが、亡くなったことによってマスコミが引いていった。あたかも事件が終わったかのような現状がありました。でも妹さんが引き継いで、懸命に兄の名誉回復をするためにやっているということがあるので、まだ名張毒ぶどう酒事件は終わっていない、続いているということをこの作品を通して訴えたかったですね。それにまだまだ事件そのものも全国的に知られていないと思いますので、昭和、平成と来て、こんな事件があったということを多くの人に知ってもらいたいですね」

──「眠る村」のタイトルは葛尾村の意味だけではなく、とても奥が深いと思いました。命名されたのは?

齊藤「東海テレビのドキュメンタリーのタイトルはすべて阿武野が付けています」

阿武野「そんなことないよ(笑)。でも、スタッフみんなで考えたけどなかなか出なかった。頭の中でもう一度編集した映像を反すうしてみたら、鈴木泉弁護団長が最初に『村人もまた被害者なんですよね』と言ったことがこの作品の発端にあったことを思い出しました。我々は村や村人に向かって矢を打とうとしているのではなかったはずだ。村人の過去と現在の取材を重ねて、偽証していたじゃないかと刃(やいば)を向けるつもりは毛頭なかったんだと。では何だったんだろうと思ったら、このつながった映像の流れの中にしっかり刻まれているじゃないか、作品そのものが語っているのは、司法という『ムラ』に対するベクトルなんだ。あれもまた“村”だね、と。で、考えてみれば、日本の社会が随分劣化が激しくなっている。官民こぞってデータ改ざんや報告書の偽装など、こんな時代を迎えてしまった。これは日本的組織のあり方に根底的な問題があるのではないだろうか。そういう意味でも、この名張毒ぶどう酒事件を扱っているものだけれど、この時代の節目に昭和のミステリーというか、平成でも解答できなかったというか、ことによると私たちの日常の『根っこ』が見えてくる可能性があるよ、と。ベクトルが村に向かっているのではないとあらためて思えた時に、ああ司法に、そして自分の心の中に向いているんだなと。それで『眠る村』と――。私たちの社会、もしかしていろんな所で寝てないか? 眠ったふりしていないか? 名張事件の第3弾ということはもちろんあるんですけど、作品そのものはもうちょっと大きいイメージを持ったもので、この作品が、シリーズではなく単体で見てもらえるものになっていると思います。だから、サブタイトルにも『名張毒ぶどう酒事件』を付けていないんですよ」

──確かに「眠る村」だけですね。

阿武野「これが、名張毒ぶどう酒事件だけしか見えないのだったら、どうなんだろう? 三本目をやる必要があるのかないのか。いや、やっぱり東海テレビのドキュメンタリーの背骨を真っすぐに通しているのは、名張事件であることは間違いないのでやるべきだと思うけれども、名張事件しか見えないものだったら、もしかすると映画にはしなかったかもしれない。この作品は、日本社会の深層が見えているような気がするんですよ。ここ(フライヤー)に『昭和のミステリーを揺り起こす』と書いてある。入り口は名張毒ぶどう酒事件ですけれども、もうちょっと広い、1、2本目(の映画)を見ていなくても分かるように作られている。これが、我々の社会に打ち込まれた、我々の精神構造の中に巣食う、何かに気付きがあるということが大事なのだと思います。今、眠っていては駄目なことがあるよと。ぐじゅぐじゅと考えた挙句に、ああ『眠る村』だと」

ドキュメンタリー映画としては空前の観客動員25万人という大ヒットを記録した前作「人生フルーツ」の次の作品が「眠る村」と知った時は、正直意外な気がしていました。しかし、「眠る村」に込められた思いを伺って、このタイミングで公開する意味に納得することができました。まさにこの作品こそ、東海テレビドキュメンタリーの本流だったのです。 <後編につづく→>

<名張毒ぶどう酒事件と東海テレビ>

1961年 3月28日 事件発生
1961年 4月 3日 奥西勝逮捕
1964年 12月23日 一審 無罪判決
1969年 9月10日 控訴審 死刑判決
1972年 6月15日 最高裁上告棄却 死刑確定
1978年 初代・門脇康郎ディレクターが取材を開始
1987年 6月29日 「証言~調査報道・名張毒ぶどう酒事件~」放送
2005年 4月 5日 再審開始決定
2005年 5月 第2代・齊藤潤一ディレクターが取材を引き継ぐ
2006年 3月19日「重い扉~名張毒ぶどう酒事件の45年~」放送
2006年 12月26日 再審取り消し
2008年 2月23日「黒と白~自白・名張毒ぶどう酒事件の闇~」放送
2010年 6月19日「毒とひまわり~名張毒ぶどう酒事件の半世紀~」放送
2012年 6月11日 奥西 八王子医療刑務所へ移送
2012年 6月30日「約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯」放送
2014年 7月 第3代・鎌田麗香ディレクターが取材を引き継ぐ
2013年 2月16日「約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯」劇場版公開
2015年 7月 5日 「ふたりの死刑囚~再審、いまだ開かれず~」放送
2015年 10月 4日 奥西 肺炎により死亡(89歳)
2015年 10月 5日 緊急報道特別番組「名張事件奥西死刑囚死亡“獄中死”が問うこと」放送
2015年 11月 6日 妹・美代子が引継ぎ第10次再審請求
2016年 1月16日「ふたりの死刑囚」劇場版公開
2017年 12月 8日 10次再審請求 棄却
2017年 12月11日 異議申し立て(現在も審理が続く)
2018年 4月 1日 「眠る村~名張毒ぶどう酒事件 57年目の真実~」放送
2019年 2月 2日 「眠る村」劇場版公開

【プロフィール】


阿武野勝彦(あぶの・かつひこ)
1959年生まれ。静岡県出身。81年東海テレビにアナウンサーとして入社。ドキュメンタリー制作に転じ、「村と戦争」(95年)、「約束~日本一のダムが奪うもの~」(07年)などでディレクターを。「ヤクザと憲法」「人生フルーツ」などプロデュース作品は東海テレビドキュメンタリー劇場作品ほか多岐にわたる。日本記者クラブ賞(09年)、芸術選奨文部科学大臣賞(12年)、放送文化基金賞(16年)など個人賞も数々受賞。

齊藤潤一(さいとう・じゅんいち)
1967年生まれ。愛知県出身。1992年東海テレビ入社。営業部を経て報道部記者。ニュース編集長、報道部長を歴任。「重い扉~名張毒ぶどう酒事件の45年~」(06年)をはじめ、司法シリーズ作品で数々の賞に輝く。東海テレビドキュメンタリー劇場は第1弾「平成ジレンマ」(11年)から「眠る村」まで5作で監督・プロデュースを担当。昨年暮れに放送したドキュメンタリードラマ「Home」では監督・脚本を担当した。

映画「眠る村」


■2018年 制作/東海テレビ
ナレーター/仲代達矢 監督/齊藤潤一 鎌田麗香 プロデューサー/阿武野勝彦 監修/門脇康郎
*三重県と奈良県にまたがる葛尾(くずお)の村は、57年前、女性5人が死亡した名張毒ぶどう酒事件が起きた現場。逮捕された奥西勝が自白すると、村人の証言は二転三転した。無罪を訴えた奥西はついに無念の獄死。警察や検察が作り上げた事実で村を守る村人たち。かたくなに再審を拒む司法。半世紀以上を経て、あらためて事件の闇を見つめる。

2月2日(土)より、東京・ポレポレ東中野ほか、全国順次公開

*東京・ ポレポレ東中野では2/2(土)12:30の回上映後、齊藤潤一監督・阿武野勝彦プロデューサーによる初日舞台挨拶、愛知・名古屋シネマテークでは、2/9(土)10:50の回上映後、齊藤潤一監督・鎌田麗香監督による初日舞台挨拶が予定されています。

http://www.nemuru-mura.com/

Y・I


株式会社東京ニュース通信社 コンテンツ事業局担当
1988年入社。30代から放送局担当記者に転身、後にTVガイド編集部。同副編集長、デジタルTVガイド編集長ほか番組表・解説記事制作の部門長、西日本メディアセンター編集部長などを歴任。全国各地で放送されている質の高いドキュメンタリー番組と、精魂こめて地道に番組作りに勤しむ制作者の姿に注目してきた。人生の糧となるドキュメンタリーの名作・力作の存在を、より多くの視聴者に知らせるべく、日々ネタ探しの歩みを続ける。

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