カタール代表が帰化させた・帰化させそこなった“反則”外国人5名

アジアカップの決勝で日本代表と対戦することが決まったカタール代表。

彼らは近年、国立の養成機関であるアスパイア・アカデミー出身の選手を登用することで目覚ましい躍進を遂げているが、一方で、有名・無名を問わず外国人選手を帰化させることでチームを強化してきたこともまた事実であろう。

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そこで今回は、過去にカタールが帰化させた、あるいは画策したものの実現しなかった“反則級”の外国人を紹介しよう。

セバスティアン・ソリア

カタールを代表する、そして最も成功した帰化人選手といえば「セバスティアン」の名で知られたこの男だろう。

ウルグアイのリヴァプールことリーベルプールでデビューした歴としたウルグアイ人だが、2004年にカタールへ。それからたった2年後、カタール代表の一員としてアジア大会に出場する彼の姿があった。

今でいうと「中東のカバーニ」というような選手で、そのスピードと強力なフィジカル、決定力はアジアレベルを超越しており、日本からも2ゴールを記録した。

35歳となった現在は代表から退いているが、出場123試合40得点はどちらも同国史上最多の記録となっている。

エメルソン・シェイキ

40歳になるまでプレーし、昨年、現役を引退したエメルソン。

彼は10代(後に年齢詐称が発覚したが)の頃に来日し、Jリーグの札幌、川崎、浦和でプレー。その全てのクラブで驚異的な得点力を発揮し、Jリーグ史上最恐・最狂外国人の一人と考えられている。

欧州でも成功するのではないかと思われたものの、若くしてカタールへ。そこで帰化を勧められて代表デビューしたが、彼は過去にブラジルのユース代表経験があり、FIFAは公式戦の出場を認めなかった。

なお、「シェイキ」はアラブの長老や首長などを意味し、この頃から登録名などで用いられるようになった。

アイウトン

1990年代~2000年代にかけてブンデスリーガで活躍したブラジル人ストライカー。

およそサッカー選手とは思えないずんぐりむっくりの体型ながら恐ろしいほどのスピードと決定力を持っており、特にカウンターから独力でゴールを奪うことにかけては天性のものがあった。

彼はブンデスの歴史に名を残す外国人だが国内での実績がなく、また、素行などの問題を抱えていたことからセレソンに呼ばれず。ドイツ代表入りも噂されたが実現はしなかった。

そんな彼に対して声をかけたのがカタールだったが、FIFAは同国でプレーしたことも居住したこともない彼に国籍を与えて代表入りさせようとする行為を“悪質”と判断し却下している。

デデ

「ロベルト・カルロスの後継者」の候補に挙げられた元ブラジル代表の左サイドバック。

ロシツキーやコレルらと並ぶ2000年代のドルトムントを象徴する選手で、クラブが財政難で転落した時期にも残留して活躍したことから、サポーターから最も愛された外国人選手の一人となっている。

元日本代表の信藤健仁氏が「もしブラジルにロベカルがいなければ、代表のレギュラーになっていてもおかしくない」と語ったように、ロベカルの壁に阻まれブラジル代表では親善試合1試合の出場にとどまった。

そして当時カタール代表の指揮官を務めたフィリップ・トルシエが前述のアイウトン、デデ、デデの弟であるレアンドロの3人を同時に代表へ招こうとしたがFIFAが却下。この一件はルールが見直されるきっかけにもなった。

ホドリゴ・タバタ

あのペレやネイマールを輩出した名門サントスで「10番」を背負った攻撃的MF。トルコの強豪ベシクタシュにも在籍した。

自らボールを奪ってはドリブル、パス、シュートを放つアグレッシブな選手で、鋭く落ちるFKの名手としても知られている。

彼はその名前の通り日系3世のブラジル人であり、母国と祖国が対戦することになった2006年ワールドカップ当時には、将来的に日本国籍を取得して日本代表として出場したい旨を語ったことがある。

しかしキャリアとしては日本と縁がなく、最終的にはカタール国籍を取得して同国の代表に。ただこの時既に35歳を越えており、今回のアジアカップにも選出されなかった。

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