トランスジェンダーの彼女が手に入れたもの  戸籍は男性、コスプレをしてみたら 平成元年生まれ 私のリアル

 年の瀬も押し迫る2014年12月、横浜市の会社員結木ひろみ(29)=仮名=が大学院の授業から帰宅すると、自宅に1通の封筒が届いていた。差出人は数週間前に訪れた家庭裁判所。「あ、きた」。書類には「博巳(ひろみ)」から「ひろみ」への名前の変更を認める、と書いていた。
 
 ひろみは、戸籍上は男性だが、性自認は女性のトランスジェンダー。家裁に認められたことで、戸籍や免許証など自分を証明する書面の名前を、女性らしい平仮名に変えることができる。「一歩が踏み出せた」。うれしさがこみ上げた。
 
 ▽性への違和感

 小学生の時は自分のことを「俺」と呼んでいた。「男の子は『俺』って言うんだよ」と周りから言われていたからだ。男女の違いを意識したことは、特になかった。

 小学校の高学年に入るころから体毛が濃くなり、声が低くなり始めた。それが嫌で、生えてくる毛は全て抜き、少しでも高い声を出せるよう毎日練習した。中高一貫の男子校に進学すると、体育の授業は隠れて着替えた。水泳はほぼ見学、放課後に誰もいないプールで泳ぐことで、先生が単位を認めてくれた。

(一部を加工しています)

 男であることをはっきり嫌だと感じ始めていた。通学途中の電車で見かける多くの女性から、しぐさをまねた。「見た目も近づきたい」という気持ちは膨らんでいった。
 
 ▽コスプレとの出会い

 転機は、04年に友人と参加した、国内最大の同人誌の展示即売会「コミックマーケット」(コミケ)。

 1975年から開催され、平成に入るころから10万人規模にまで拡大した。近年では外国人も含め、数十万人が訪れる一大イベントだ。

 そこで見たのは、性別に関係なく、自分のお気に入りの漫画やアニメの登場人物に扮するコスプレの参加者たち。「コスプレなら堂々と女性の格好ができるのでは」。そんな考えが頭をよぎった。

 それから、毎年コミケに参加した。17歳の時、見るだけでなく、思い切ってコスプレをしてみた。選んだのは白と黒が基調のメイド服。大勢の前で女性の格好をしたのは初めてだった。

 やってみると、正直、思ったほどの大きな感動はなかった。でも、とてもしっくりくる感覚が残った。

 大学に進学してから本格的にコスプレを始めた。衣装は業者に注文したり、一から自分で作ったりした。コスプレを楽しんでいる時、周りから見える自分の姿は女性。「やっと自然な感じになった」。そう思えた。

 ▽「私」スタート

 コスプレは、本当の自分を表現するためのツールだった。イベントや撮影会は楽しかった。一方で、普段の生活でも女性として生きたい思いが強まっていった。「格好だけではなく、男性に見られる名前を変え、ホルモン治療を受けたい」。自分で調べ、この先の生き方をどうしたいか決めた。
 
 ただ、両親に黙ったままでいるのは嫌だと思った。「長男なのに、孫の顔を見せられないけど良いかな」。それを確認したい気持ちもあった。
 
 自宅で母親と2人きりになった時、打ち明けた。驚かれなかった。「そうだろうと思った」。髪を伸ばし、女性らしいしぐさの息子の様子に気付いていた。父親にも、後日話した。「自分の好きに生きなさい」。そんな風に両親に受け入れられたことも、背中を押した。
 
 大学院に進学するために留年。同じ学年の友人たちは卒業し、誰も自分を知らない環境になった。

 自分を「私」と呼び、スカートをはき始めた。
 
 就職活動では履歴書に「結木ひろみ」「女」と書き、3社に内定をもらった。トランスジェンダーであることを伝えると、1社から採用を取り消され、もう1社は音信不通になった。現在は、受け入れてくれた1社で働いている。
 

 ▽いろんな生き方がある

 16年に性同一性障害と診断を受け、ホルモン治療を続けている。性同一性障害特例法で戸籍の性別変更が可能になったが、そのためには手術が必要になる。「体にメスを入れずに戸籍を女性に変えられるなら、そうしたい」。だから、まだどうするかは決めていない。

 
 性同一性障害特例法 04年に施行され、心と体の性が一致せず、体の性別に強い違和感を抱える性同一性障害の人たちの戸籍の性別変更を可能にした。(1)20歳以上(2)結婚していない(3)未成年の子どもがいない(4)生殖腺や生殖機能がない―などの要件を規定している。(4)を満たすためには、事実上、性別適合手術を受ける必要が生じる。
 最高裁はことし1月、性別適合手術が必要となる同法の規定は「現時点で合憲」との初判断を示した。規定は、親子関係の問題などを避ける配慮に基づくと指摘。こうした配慮の必要性は、社会的状況の変化に応じて変わりうるもので「合憲かどうかは不断の検討を要する」とした。2人の裁判官は補足意見で「違憲の疑いが生じている」と言及した。

 「平成」がもうすぐ終わる。コスプレは今、純粋に楽しめる存在になった。

 「私は自分を押さえつけたり、偽ったりせずに正直に生きてきた。だからこれまでの人生に満足しているし、自信があります」
 
 トランスジェンダーを含め、性に関する世間の理解は進んできたと思う。とはいえ、心ない言葉をネット上で目にすることもある。そういう時は、やっぱり悲しい。「自分の近くにいろんな生き方の人がいる。記事が、そういう想像力の助けになれば良いかな」

 お気に入りだというピンク色の口紅を差した唇に、笑みを浮かべながら、その瞳はまっすぐ前を見据えていた。(共同=大友麻緒28歳)

▽取材を終えて

  喫茶店で初めて会ったひろみさんは、手入れが行き届いた長い黒髪にナチュラルメイク、ブラウスにチェックのスカートを身につけていた。笑うたびに口に手を添え、時折、髪の毛先を指でもてあそんでいた。「戸籍上では男です」と言われなければ、私は彼女がトランスジェンダーだと気付けなかっただろう。実際、周囲の人は気付いていないということで、今回の記事には匿名で登場してもらった。

 取材が終盤に近づいたころ、彼女はぽつりと「私は『女性らしさ』とか『男性らしさ』という言葉に抵抗したいんですが、社会の中で女性として生きるためには、誰よりも意識せざるをえないんです」と話した。

 「周りがどう言おうが、私は私」といくら思っていても、この社会で生きていくためには周りの目を気にせざるを得ないというジレンマ。その人がどんな人間か、どんな生き方をしてきたかは、ぱっと見ただけでは分からないことが多い。それだけに、一人一人が少しでもいいから、相手への想像力を働かせるが大事なんだろう。様々な考え方があっていい。だけど、同じ社会で生きているなら、誰もが生きづらさを感じないようになれば良いな、と思っている。(終わり)

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