元日ハムエース西崎幸広氏が振り返る「別格」野茂英雄と「天才」イチロー

日本人メジャーリーガーのパイオニアとなった野茂英雄氏(左)とイチロー【写真:Getty Images】

1990年代初頭に野茂、イチローの好敵手として活躍

 デビューした1987年にいきなり15勝をマークし、近鉄の阿波野秀幸と熾烈な新人王争いを繰り広げた元日本ハムの西崎幸広氏。プロ1年目から5年連続2桁勝利を挙げたエース右腕だが、同時期にプレーした選手の中で異彩を放っている2選手がいた。それが、近鉄の野茂英雄であり、オリックスのイチローだった。

 1990年にプロデビューし、いきなり18勝を挙げて最多勝、最多奪三振、最優秀防御率のタイトルを獲得。さらには、新人王、MVP、沢村賞をトリプル受賞した野茂だったが、この頃、日ハムのエースとしてチームを牽引していた西崎氏は「同じ時代に投げていた投手の中でも別格でしたね」と振り返る。

「何がすごいって、全てすごいですよ。打者はみんな、野茂のフォークが来るって分かっていて打てないんですから。フォークを待っていて打てない。日本球界にいたのは5年ですけど、その間に4年連続で最多勝を飾った。ちょっと違いましたよね。

 ただ、野茂がすごいのは、あの時代にメジャーに行ったこと。日本人メジャー1号は村上(雅則)さんがいますけど、現在の日本人メジャー選手の流れを生み、架け橋となったのは野茂ですよ。あの時代に、僕らはメジャーに行くなんて考えたこともなかった。選択肢としてなかったんです。でも、野茂が『こういう選択肢があるんだ』って示してくれた。僕はもう年齢もいっていたから、今から冒険してまで……っていうのはありましたけど、もし若い頃だった行きたいって思ったかもしれませんね」

 ドジャースと契約した野茂は、1995年にメジャーデビューを果たすと、12シーズンで通算323試合(318先発)に投げ、123勝109敗、防御率4.24の成績を残した。レッドソックス時代の2001年には220奪三振でタイトルを獲得。また、1996年と2001年には2度ノーヒットノーランを達成し、メジャー史上4人目の両リーグでの偉業達成となった。

 西崎氏は「今の子供たちは、最初から選択肢としてメジャー行きがある。その道を作ってくれたのは、やっぱり野茂。彼のおかげですよね」と、その功績を称えた。

日本ハム・西武で活躍した西崎幸広氏【写真:編集部】

イチローは「やっぱり天才」、対策は前後の打者を抑えること

 もう1人「やっぱり天才ですよ」と脱帽するのが、今季も45歳で現役を続行するイチローだ。1992年にオリックスでデビューしたイチローは、3年目からレギュラーとして定着。その後は「安打製造機」の名をほしいままにした。何度も対戦を繰り返した西崎氏は「あのバットコントロールは本当に素晴らしい」と大絶賛するが、「実はどうやって抑えるとか、考えたことはありません」と明かす。

「イチローには打たれても仕方ない(笑)。だから、その前後の打者を抑えればいいと考えていました。イチローは長打ではなく、足はあっても単打ばかりだったので、まずは彼の前の打者をどう抑えるか。ノーアウト一塁でイチローを迎えるよりも、1アウト走者なしで迎える方がいいですから。3割、4割打つバッターを抑えようと思うのではなくて、その前後で勝負する。そう考えるとすごく楽でしたね。ホームラン打者だったら、打たれたら1点取られてしまうけど、単打だったらつながれなければいい話ですから」

 現役時代に数々の名打者と対戦を繰り返した西崎氏だが、バットにうまくボールを当てる打者よりも、フルスイングしてくる打者との対戦に手を焼いたという。1980年代から90年代に黄金期を築いた西武打線は、中軸に秋山幸二、清原和博、デストラーデを擁するなど、その典型だった。

「本当にフルスイングをしてきたんで嫌でしたね。でも、フルスイングをする打者はホームランを打つけど、穴もある。例えば、内角寄りで腰の高さがホームランコースだとすると、その周りの球は結構苦手なんですよ。少しずれると凡打に変わる。その駆け引きなんです。得意なコースからボール1個分ずらすことを狙う。こちらがコントロールミスすればホームランですから、自分に絶対ミスするなよって言い聞かせていました」

自分なりのデータを整理「打者の直近データより対自分のデータを重視」

 各打者の特長や得手不得手を探るため、西崎氏は自分なりのデータブックをまとめていたという。

「スコアラーがつけたデータを試合後にもらって、この打者にはどこを打たれた、どこを抑えたと、コースを9分割した図に自分用にまとめ直して整理していました。対清原(和博)とか対デストラーデとか、1年分溜めると、打たれるコースと打たれないコースがはっきり見えてくるんですよ」

 現在の野球はデータ全盛期。投手であれば、ボールの回転数や変化する角度なども、細かな数字になって表れるようになった。もし、現役当時に今のようなデータシステムが導入されていたら、「間違いなく活用していますね」と話す。

「僕は、打者の直近のデータよりも、対自分のデータを重視していました。一応ミーティングでは、直前の3試合はこんな成績で、どのコースを苦手としていた、という資料をもらうんです。でも、大事なのは対自分のデータ。投手の配球や決め球が違えば、打者の対応も変わってくる。例えば、野茂のフォークを待っていたからインサイドのストレートで打ち取られたかもしれないけれど、僕のスライダーを待っているのであればインサイドのストレートは打てるかもしれない。だから、打者の直近の調子は参考程度に聞いていましたね」

 現代のデータシステムがあれば、対自分のデータもより多くの要素が加わっていただろう。となると、かつて繰り広げられた名勝負は、違った展開を見せていたのだろうか。野球に限らず、スポーツに「たら・れば」はないが、もしかつての名勝負を現代で再現することができたら……。そう考えるだけでも、ファンは心躍るに違いない。(佐藤直子 / Naoko Sato)

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