「分かる」とは何か 写真家・長島有里枝さんが横浜で個展

 言葉をつづることと写真による創作で、独自の世界観を発表している写真家、長島有里枝(45)の個展が、横浜市民ギャラリーあざみ野(同市青葉区)で開催中だ。自伝的な短編小説「背中の記憶」(講談社)を起点に、視覚障害者との対話から生まれた新作を展示。「見えること」や「分かること」といった感覚や認識についての考察を深めている。

 「背中の記憶」は長島が自らの幼少時の出来事を、家族の思い出とともにつづったもの。雑誌で連載し、2009年に単行本化された。

 視覚障害者の美術鑑賞を研究する全盲の半田こづえさんが同書を点訳で読み、気に入った箇所を長島に点字で示した。「本来、文字や記号は分かるものだが、点字という“分からない記号”があるのだと思った」と長島。

 提示された点字を、同書に登場する父母や息子が触る手の表情を撮影し、新作「本を感じる」シリーズとして展示している。

 「半田さんは両手で読まれるが、点字が分からない父母たちは片手で触っていた。そんな様子を写真にすると、(視覚障害者にも)触ることができず、読めない記号に変換される」

 分からないという感覚に長島は敏感だ。隣のスペースに並ぶのは、英国の植物園で撮影した植物。学名を記したラテン語の名札が写っているが、専門家でない限り、どんな名前なのか、どんな植物なのかは明確に分からない。

 「写真を見たけれど、何なのかは分からない。その先、その人がどう思うかは勝手で、分からないままでいいのではないか。そもそも分かるとは、どういうことなのか」と疑問を投げ掛ける。

 「写真にとって言葉とは何か、というのは、私のテーマの一つ。例えば雑誌などで、写真と文章を載せると、写真が挿絵になってしまって、見る人の想像力を止めてしまうのではないかと思う。文章には文章、写真には写真の豊かな世界があるのに、もったいない」

 「本を感じる」シリーズは、ロール状の長い印画紙にモノクロでプリントしている。横浜美術館の暗室で2カ月にわたり、長島自身が現像作業を行った。

 「暗い中で紙を切るのも手探りで、端がぎざぎざになっているものもある。あえて残したのは、半田さんに見てもらうため。手で触る立場になってみた」

 視覚障害者が触ることを前提にしたインスタレーションも並ぶ。苦労して自ら板材にプリントし、それらを組み立てて、テーブルやたんす、ソファ、ピアノといった自宅の家具に模した。たんすの前面には、かつて撮ったことも忘れていたスイスの風景が粗くプリントされている。

 「印画紙という物質である限り、写真は立体。半田さんにとっての記憶は立体で、例えばテレビを見たことは、四角い箱という記憶になる。同じ立体という捉え方に共感し、半田さんも見えているんだな、と感じた」という。

 「私たちは見えることで簡単に分かったつもりになっているけれど、一体、見えていないことって何だろう、と思える」

 個展「知らない言葉の花の名前/記憶にない風景/わたしの指には読めない本」は24日まで。入場無料。問い合わせは同ギャラリー電話045(910)5656。

「本を感じる」シリーズを背にした長島有里枝さん=横浜市民ギャラリーあざみ野

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