飛び級招集の若きFW サッカー・田川亨介 2020に懸ける長崎県勢 File.4

「日本のために戦えるのは誇り」と語る田川=諫早市内

 原則23歳以下の選手が出場する五輪のサッカー。2020年の夏を21歳で迎える田川亨介は2017年から、飛び級で日本代表に招集されてきた。国際大会でゴールも決めた。「でも、もっと有名になりたい」。俊足で屈強なレフティーは「東京五輪は絶対に出たい」と自らの武器を磨き続けている。

 ■プラス思考で

 ボールを蹴り始めた6歳ごろから、ゴールにこだわってきた。注目されるようになったのは高来中時代(長崎県諫早市)。長崎県内の強豪校からもスカウトされたが、当時所属していた雲仙アルディートの山口宇喜和監督から「プロを目指すならJの下部組織がいい」と助言を受け、隣県の鳥栖U-18を選んだ。

 ユース時代は故障が多かったが、逆に「けがをして良かった」と振り返る。足首や腰を痛めている間、動かせる部分のフィジカルを鍛えた。厳しい韓国人監督の指導を受けて「取り組む姿勢も変わった」。心身ともにたくましくなった。

 鳥栖でプロデビューした2017年は、50メートル6秒のスピードと身長181センチの高さを生かしてJ1で4得点。東京五輪世代の日本代表に招集され、U-20ワールドカップ(W杯)も経験した。だが、2018年は厳しいシーズンになった。「結果を残していない。浮かれていたんじゃないか」。そう感じるほどだった。

 6、7月に元スペイン代表のフェルナンドトーレス、元日本代表の金崎夢生や豊田陽平がFW陣に加わり、出場機会も減った。ただ、ここで腐らなかった。「むかつくけど吸収しなきゃ」。プレー面に限らず、謙虚な姿勢、必要に応じて感情をあらわにするメンタル面などを学んだ。逆境をプラス思考で過ごせた2年目は「これから成長するために生きてくる」1年となり、今季はその成果をよりピッチ上で発揮するために、FC東京への完全移籍を決めた。

 ■大迫から刺激

 昨季は日本代表としての活動も多い1年だった。W杯ロシア大会を戦った西野ジャパンとも一緒に練習した。長崎市出身で東京五輪代表の森保一監督から「ポストプレーの向上」を求められる中、特に大迫勇也(ブレーメン)から刺激を受けた。「どんなに重圧を受けても、前線で収めて攻撃につなげる」。そんな「濃い時間」を過ごし、将来は「日本代表のエースに」という意識も芽生えた。

 当面の目標は「U-20W杯(5、6月・ポーランド)で大活躍」。2年前の同大会でブレークした堂安律(フローニンゲン)に続く好機と捉えている。昨年10、11月のアジア選手権、年末のブラジル遠征でのハイレベルな経験は“大活躍”への一歩だと思っている。

 「いつかは海外のクラブで挑戦したい」という夢も持っている。そのための大きなステップとなるのが東京五輪。「大観衆の前で思い通りプレーできるようになる絶好の機会」で、お気に入りの背番号「11」をつけて躍動する姿を思い浮かべる。若きストライカーは日本中が注目するスタジアムをゴールで沸かせる。

 【略歴】たがわ・きょうすけ(雲仙アルディート―鳥栖U―18―鳥栖―FC東京)
 湯江小1年時に雲仙アルディートでサッカーを始め、高来中まで同クラブでプレーした。高校からJ1鳥栖の下部組織に入り、2016年に2種登録選手に。2017年にトップチームに昇格し、プロ2年でJ1通算47試合6得点。各種世代別日本代表に選ばれた。181センチ、70キロ。19歳。趣味はテレビゲーム。「コールオブデューティー」がお気に入り。長崎県諫早市出身。

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