植えられない花

 「花」という一編が詩人の工藤直子さんにある。〈わたしは/わたしの人生から/出ていくことはできない/ならば ここに/花を植えよう〉。ここで言う「花」とは「生きている証」のことだろうか▲かれんな花が植えられ、育つべき家庭は、女の子の父親によって辛苦の充満する場にされたらしい。そこから「出ていくことはできない」と、10歳にして望みを失ったのかと思ったら胸がふさがる▲千葉県野田市の小学4年の栗原心愛(みあ)さんが死亡し、両親が傷害の疑いで逮捕された事件は、知るたびに心の凍るような事件経過が日ごと明るみに出ている▲学校のアンケートで「先生、どうにかできませんか」と求めたが、救われなかった。父親にはアンケートのコピーが渡された。逆上したらしく、父親は娘に「お父さんにたたかれたのはうそ」と書かせ、児童相談所に出した。学校はその書面の存在を知らなかった…▲父親は心愛さんの母親を服従させ、虐待に同調を強いていたらしい。家庭を「出ていくことはできない」、辛苦の場にしたのは父親だとしても、第三者が“脱出口”へと導く手だてもあったはずだと悔やまれてならない▲育つべくして育たずにいる小さな花は、ほかにも数知れずあるに違いない。社会全体、か細い「助けて」の声に耳をそばだてたい。(徹)

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