第十回 「西郷隆盛」も「真田幸村」も実は本名じゃなかった!?

はいどうも。今回はですね、我々が当たり前に思ってたことが実は違ってた! てヤツをいってみたいと思います。それはまさかの「名前」っす!

去年の大河ドラマは『西郷どん』でしたね。西郷隆盛が主役の。そう! まさかの西郷隆盛って名前、本当は違ってたんですな。隆盛じゃないんすよ。

普段は「西郷吉之助」て通り名で自分でも周りも呼んでましたが、明治2年に天皇から西郷さん、官位をもらうことになったんです。その正式な書状に通り名じゃなくてちゃんとした名前で書かないといけないと。

そんでその正式な名前を急ぎで朝廷が聞きに来たんですけど、西郷さんは函館戦争から鹿児島に帰る途中で連絡つかず。そこで西郷さんの友達の吉井さんが「えーと、本名なんだっけな、吉之助どんの。うーんん…。あ! 隆盛だ! そうだ、隆盛だったわ!」と代わりに返答しちゃったんです。

で、ちょっと経って西郷さんに吉井さんが「吉之助どん、俺が代わりに本名は隆盛、って朝廷に伝えときましたわ!」と報告。

と、ここで西郷さん、「え! 俺、隆永〈たかなが〉だよ、本名! 隆盛は父ちゃんだわ! …ま! いっか! 隆盛で! ガハハ!」

と、ここで西郷隆盛になっちゃいました。ざっくりした性格と時代でウケますね。

ちなみに西郷さんの弟の西郷従道さん。この人も名前が違います(笑)。本当の名前は「隆道」なんですけど、戸籍係の人が名前登録に聞きに来た時、〈りゅうどう〉ね! と伝えたんすけど、独特な薩摩訛りで担当の人、〈じゅうどう〉と聞き違えて登録しちゃいます。そんで「まぁ、従道もなんかカッコイイから、ま! いっか! ガハハ!」

と、ここで「西郷従道」になっちゃいました。ざっくりした兄弟でウケますね。

続きましても3年前に大河ドラマ『真田丸』の主役、真田幸村さん。

この人も名前が違うんですなぁ。本当は真田信繁さんです。もともと真田家は武田家の重臣でした。武田信玄の弟、武田信繁さんて優秀な人がいたんですけど、4回目の川中島の戦いで討ち死にしてしまいます。その優秀な信繁さんの名前をもらった説がありますね。

で、なんで「幸村」になったのか。これ、真田信繁が大坂夏の陣で討ち死にした何十年もあと、江戸時代中期のことなんですね〜。当時、講談や出し物で真田十勇士(当時は八勇士らしい)が上方、つまり大阪とか関西圏で人気だったみたいです。上方では、大阪と言えば豊臣、それに最後まで義理堅く従った真田は好まれてたんですな。

とは言え、世は徳川の時代。あんまでっかい声で徳川家康を追い詰めた真田信繁を賞賛するてのもどうか、てなったみたいで、やんわり名前を変えたみたいです。信繁の爺さんは「幸隆」、父ちゃんは「昌幸」と「幸」て名前を入れる傾向があり、姉ちゃんの「村松」を合わせて「幸村」にしちゃったんじゃないかと。

真田信繁の兄ちゃん・真田信之さんは大坂夏の陣でも徳川陣営について、江戸時代にも松代藩として真田の家を残してます。真田家としても「幸村」てことにしてくれたほうが「創作の物語で、真田に幸村てヤツはいないんでウチは関係ないっす」と言えるんで都合良かったでしょうな。

てな感じで真田幸村は「信繁」て本名より世間に浸透し、定着したんすな。なんか幸村のほうがやっぱカッコイイし!

ひとつの説として、大坂夏の陣の2カ月くらい前に、本当に「幸村」て改名した説がありますが、その頃の書状にも「信繁」て署名してるみたいなんで可能性は低いです。大河ドラマの『真田丸』ではこの説を採用してましたな。

はい。今回は「名前、ホントは違うじゃん!」特集でしたー! でもどっちもいま定着してる名前のほうがしっくりきますね。「西郷隆盛」のほうが上野や鹿児島の銅像を見てもハマるし、「真田幸村」のほうが赤備えの真田軍団のイメージに合致しちゃいますもんね。ほなほな、また次回!

挿絵:西 のぼる 協力:新潮社

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