第22回「人類が持てる最大限の寂しさを呼び寄せてしまうようなランチタイム」

ひとりごはん、お好きですか? こんにちは、朗読詩人の成宮アイコです。

昔から、ボーっとすることができないので、1駅しか乗らない電車でも調べ物をしてしまうし(だいたい乗り過ごす)、お風呂の中では本を読んでいるし(本棚の本はだいたいしわくちゃ)、ドライヤーをしているときでも、歩きながら音楽を聴いているときでも、テレビや映画を見ているときでも、他人から見えている行動のほかに脳内ではまた別のことを考え続けていて、だいたいいつも頭の中が大忙しです。それは、ごはんを食べているときだろうと同じ。

たぶんこれは頭の中が忙しい人あるあるだと思うのですが、頭の中がひとりで忙しいと、人と会話をしている最中でも気が散ってしまいます。ひとりでいても充分忙しいのに、他人の思考をうまく噛み砕き、自分なりの解釈やときにはユーモアをまじえて打ち返すのは匠の技で、決して人が嫌いなわけでも自分のことを話したくないわけでもないのに一言二言しか返せずにいます。

たとえば、おいしいケーキ屋さんの話をするときに、いちごが上にのっていることを言えばいいのか? でも中に別の果物がはさまっていることのほうが重要だろうか、でも見た目のことではなくてスポンジがふわふわとかのほうが一般的には知りたいだろうか、水色のお皿がおしゃれというほうが引きが強いか、作っている人が海外で修行していた話のほうがそれっぽいかな、いや、だけどでも…と、脳内ディスカッションが繰り広げられているため、結局どこからどのあたりまで話せばいいのかわからないのです。

結果、「あの…えっと…おいしいケーキ屋さんです」

ライブに行って「今日はどうだった?」と聞かれれば「ああ、うん。楽しかったよ。」 ……終わり。

映画に行けば「うん、良かったよ」、ライブに行けば「うん、良かったよ」、ご飯に行けば「うん、楽しかったよ」。バリエーションなんてせいぜいこのくらいのものです。なにがあって、誰とこんな話をして、これがおいしくて、という実際の出来事を伝えるのがどうしても難しい。

結果、忙しい頭を飼いならしてひとりでごはんを食べることが丁度いい。しかし、ごはんを食べるということは食物を消費するということで、頭が忙しすぎる日(メンタルの調子が悪めの日ほど脳内が忙しい)は、「人と楽しくごはんが食べられないなんてごはんに失礼」「生産性のない自分なんかがごはんを食べて消費しても無駄なのに図々しい」なんて罪悪感を感じてむなしくなることがあります。

そんな日はまるで、自分自身の感情のキャパシティを最大限まで広げて、むなしくて寂しい気持ちだけをつめこんでいるような気分です。

食事の咀嚼をむなしく感じるようになってきたら、それは「自分なんかごはんを食べる価値がない」のではなくて、ただ「メンタルの調子が悪い」という合図。けれど、喉もと過ぎればナントカと言うように、調子が戻ったとたんにそんなことは忘れてしまって、コンビニでおにぎりひとつ買うのにも「自分なんかが…」と思う。冷静に書いているとバカみたいですけど、本気で思ってしまうのですよね。

今日も、ひとりで食べたタイ料理はちゃんとおいしかった。おにぎりを買う権利がない人なんていないんだよ、とあのときの自分に言いに行ってあげたいくらいです。

Aico Narumiya

朗読詩人。朗読ライブが『スーパーニュース』や『朝日新聞』に取り上げられ、新潟・東京・大阪を中心に全国で興行。2017年に書籍『あなたとわたしのドキュメンタリー』(書肆侃侃房)刊行。〈生きづらさ〉や〈メンタルヘルス〉をテーマに文章を書いている。ニュースサイト『TABLO』、『EX大衆 web』でも連載中。

© 有限会社ルーフトップ