『MIURA ACONCAGUA 2019トークショー』開催!
2019年1月、南米大陸最高峰のアコンカグア登山とスキー滑降に挑戦した三浦雄一郎さんと息子の豪太さん。残念ながら今回はドクターストップにより、雄一郎さんの挑戦は中止になりました。しかし、そのバトンを託された豪太さんが、アコンカグアに登頂成功。親子で挑戦する姿に、心打たれた人も多いのではないでしょうか?
そんな勇姿がまだ記憶に新しい2月19日。ノースフェイス主催で『MIURA ACONCAGUA 2019トークショー』が開催。
三浦さん親子の「遠征の様子」や「登頂を断念した時の想い」などが語られました。
アコンカグア遠征の映像で開幕
最初に今回の遠征の映像が上映。登山や食事風景など、遠征全体の様子がわかる内容でした。
特に印象的だったのは、豪太さんとチームドクターの大城さんが、雄一郎さんにドクターストップを伝え説得するシーン。トークショーの中でも、当時の想いが語られました。
映像が終わると雄一郎さんと豪太さんが登場し、トークショーがスタート。
雄一郎さんを登頂させるための作戦!
もともとはヒマラヤ山脈にあるチョ・オユー(世界で6番目に高い山)で、エベレストを見ながらのスキー滑降を考えていた三浦さん。しかし、登山許可が降りず断念。
そこで、アジア大陸以外の最高峰である”アコンカグア(6,960.8m)”でのスキー滑降に、挑戦を変更しました。
ヘリや酸素を積極的に活用した理由とは?
現地での気象の状況を見ながらルート変更を行うなど、一筋縄ではいかない模様。今回は『頂上』を優先し、一般登山(ノーマル)ルートでの登山を行いました。
豪太さん
86歳という年齢で登山をする時に、一番考えるべきは「体力の温存」。体力がある登山家であれば、体力を残したまま高度順化が可能です。
ただ、高度順化は体力との兼ね合い。父が6,900mに行く体力を残しておくため、ヘリと酸素を使用する選択をしました。
このような選択は高所登山では特別なことではなく、一般化しつつあります。
※高度順化:酸素が薄い環境に体が慣れること。高所登山では、それを促すために高いところに上がり、少ない酸素の環境に体をさらし、下に降りることを行う。
高所登山の新しい選択肢
伝統的な考えを持つ人の中には、下から無酸素で登山という考えの人もいると言います。しかし、高所でのダメージは恐ろしいようです。
豪太さん
アコンカグアに20回以上登っている倉岡さんがいうには、初期の間に無酸素で登った人の多くが、その後1~3ヶ月くらいの間、高所の影響で仕事に戻れないそうです。
そういったことも踏まえて、ヘリと酸素を使用して5,580mの地点のキャンプコレラに行くことを選択。
こういった登山が、今後登りたい人に新たな選択肢を与えるんじゃないかとも思いましたね。
雄一郎さん
毎分2Lの酸素を吸いながら登るのは気分的にも楽でしたね。6,000mまで上がった時も、こんなに体力を残して登れたんだと思いました。
”ドクターストップ”の裏にあった想い
ヘリで5,580mまで行き、登山隊のメンバーと合流。そして、1月18日にプラサ・コレラ(6,000m)地点まで登山をした雄一郎さん。そこでは手巻き寿司を楽しむなど、大盛りあがりの様子。
しかし高所にて強風が予想されたため、登山プランを変更。2日間プラサ・コレラでの滞在を行い、21日に登攀再開するようにしました。
そして20日、大城先生による判断で、ドクターストップとなったのです。
雄一郎さん
酸素なしで、かがんだりすると苦しいわけ。その苦しい息遣いを大城先生が聞いて、「これは危ない!」と思ったみたい。「ここに居続けたら、この心臓がいつ止まってもおかしくない」と先生が豪太に相談して、ドクターストップ。
体は全然大丈夫で「俺は行ける!絶対登れる!」と、思ってましたよ。でも、自分の心臓のことを一番知っている大城先生や豪太が泣きながら説得してくれるから、これ以上行ったらダメだと。
副隊長としての判断
大城先生からの相談を受け、雄一郎さんの説得をした豪太さん。チャレンジをしたい父の気持ちも知りながら、どのように判断をしたのでしょう。
豪太さん
大城先生が、ドクターストップと判断してくれた。この判断は、僕からでは下せないものですよね。
例えば、僕とお父さんだけの二人のプライベートなら、相談の上で(先へ進むことを)考えたかもしれない。この判断を僕ができないから、隊を結成したんです。
ルートや気象状況を兼ねての判断は倉岡さん、健康チェックは大城先生。僕は美味しい食事を食べるための食料計画くらい。(笑)そして、もう一つは緊急ボタン的な役割。これが、三浦隊としてのリスクマネジメント。
息子が父親のことを判断するのではなく、客観性を持って判断を下すしかなかった。
説得している時の気持ちって?
涙ながらに雄一郎さんを説得した豪太さん。その時の気持ちはどんなものだったのでしょうか?
豪太さん
最初は理詰めで説得しました。そしたら目をつぶったまま「んー大丈夫だ。もうちょっと上がろう」というんです。
計ってないけど、時間にして20~30分、体感だと半日くらいテントにいた気持ちになって・・・。もう体当たりで行くしかない!という気持ちになりました。
父親の「行きたい」という気持ちは、痛いほどわかって。これが三浦雄一郎の真骨頂だと思いました。冒険心や挑戦心以前に、何かに対して挑むというコアがすごい強い!だから、ああいうカタチでしか説得できなかったんです。
副隊長の判断として、本当に正しかったかな?というのはずっとありますよ。でも、ここで降りるのが一番安全という判断しました。
大城ドクターとの関係性
雄一郎さん
日本でも年に4.5回は、チェックを受けています。ただ、今回の大城先生の勇み足じゃなかったかな?と思っています。(笑)
豪太さん
それを言ったらお終いよ!(笑)
雄一郎さん
日本に帰って、友達からも「よく帰ってきた」と言われました。中高年の登山者の無理のしすぎや、その結果の突然死ということを含めたら、余裕があるうちに帰ってこれたのはよかったと思います。
それと同時に、中高年登山者への一つの指針や警鐘という意味で、無理しないで帰ってきてよかったと思いました。
豪太さん
突然死の100%は、主観と客観性の乖離によって起きるんです。
自分は大丈夫と思っていても、客観的に見たら判断つきにくいことが、山岳の突然死につながると言われています。少なくとも自分の健康は念頭に入れながら、山に登りましょう。
登頂に成功、そして次の挑戦とは・・・。
登山隊として、信頼関係や絆を強く感じる三浦隊。その後、豪太さんは雄一郎さんのサングラスなどを身に着け、倉岡さん、平出さん、中島さん達と共に山頂を目指しました。
高齢者登山隊から一転、日本屈指のエリート登山隊へと変わったのです。
豪太さん
あの三人について行くんじゃなかったと思いましたね。(笑)僕のペースで登っていっても、なんとなくペースが早くなっていくわけですよ。
そしたら、頂上目前で動けなくなってしまったんです。酸欠になって倒れると、足が本当に動かないんですね。倉岡さんから酸素をもらって、なんとも情けない気持ちで登りました。(笑)
豪太さん
この写真もこれ以上、手が上がらないんですよ。(笑) 酸素のありがたみもわかりましたね。
気になる次のチャレンジは?
最後に今後の挑戦について、話がありました。
雄一郎さん
今回も「90歳でエベレストに登れるか」というテストのために、登りました。
6,000mの高さを登りながら、「90歳でもエベレスト登れるぞ!」という錯覚を覚えましたよ。
豪太さん
80歳から今回のアコンカグアまでに大きな遠征を入れいなかったので、ロシアのエルブルス(5,642m)にスキーも含めて行ってみたいということと、一昨年登ったデナリでスキーをしていないので、スキーをしに行きたいと思います。
アコンカグアで自分はスキーヤーということがわかったので、スキーを含めたチャレンジを考えたいと思います。
まだまだ三浦さんたちの挑戦は続きそう!
和やかなムードで終わったトークショー。今回、特に印象的だったのは、冒頭のムービーで流れた豪太さんが雄一郎さんを説得している時の言葉でした。
お父さんの意志は、絶対に死なないと思うんだ。お父さんの意志は死ななくても、お父さんの肉体がもしそこで終わってしまったら、僕はすごく残念。
山の上にお父さんの行きたい気持ちだけ行っちゃって、体だけが僕たちに残されてしまったら、多分僕はずっと自分を許せないと思う。
僕の気持ちだけじゃ、絶対にお父さんを止められないと思うんだけど・・・。
お父さんの気持ちは辞めないと思う。だからあえて僕はここを降りる。
この言葉の後、雄一郎さんはチャレンジを豪太さんに託しました。
今回の二人の話の中から、何よりも生きて帰るということの大切さが伝わってきました。
次の挑戦が90歳でのエベレスト登頂になるのか、それとも別の内容なのかはわかりませんが、その日まで楽しみに待ちたいと思います。
会場にはレアな展示も
会場の外には、三浦さん親子が遠征の時に使用したウェアの展示がありました。
こっちが雄一郎さんの着ていたウェア。
この青いウェアが豪太さんが、着用していたウェアと使用したスキー板です。