被爆国こそが

 五輪の聖火リレーの最終ランナーは、過去の大会のメダリストが務めることが多い。1964年の東京五輪でも、スポーツで名を残した人が候補に挙がっていたが、選ばれたのは広島原爆が落とされたその日、広島県に生まれた青年だった▲その人、坂井義則さん(故人)は海外メディアに「アトミック・ボーイ(原爆の子)」と呼ばれたという。聖火台の脇に掲げられたトーチは「平和の祭典」の幕開けを告げたことだろう▲来年の東京五輪の閉会式は8月9日で「長崎原爆の日」と重なる。それを知ったときは、鎮魂と祈りの日が五輪の熱気で脇にやられないかと案じられた。今は「平和の祭典」との不思議な重なりをむしろ生かし、重んじられないかとも思う▲長崎市は、東京五輪の閉会式で核兵器廃絶を願う「黙とう」をするよう大会組織委員会に働き掛けるという。胸に平和のトーチをともしつつ、誰もが静かに目を閉じるさまが浮かぶ▲長崎で被爆した歌人、竹山広さんの晩年の一首にある。〈原爆を知れるは広島と長崎にて日本といふ国にはあらず〉。原爆のことが知れる、分かるのは二つの被爆地であり、日本という被爆国ではない。そういう嘆きだろう▲被爆を脇にやるまい。平和あっての五輪だと、原爆の日に重ねて被爆国こそが世界に告げたい。(徹)

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