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サン(3)キュー(9)の語呂から「ありがとうの日」となっている3月9日。
卒業シーズン、さらに日付そのものも、レミオロメンが2004年にリリースした名曲のタイトルであることから、「なんとなく気になる日」という人は少なくないはずだ。
そんな3月9日を思わせる、「39」の背番号を好んできた選手たちがサッカー界にはいる。
国内外から4名をピックアップしてみた。
ニコラ・アネルカ
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マンチェスター・シティ(39番:2002~2005)
フェネルバフチェ(39番:2005~2006)
ボルトン(39番:2006~2008)
チェルシー(39番:2008~2012)
上海申花(39番:2012)
WBA(39番:2013~2014)
ムンバイ・シティ(39番:2015)
背番号39といえば、まずはこの選手。
フランス代表のアネルカはアーセナルやPSG、リヴァプールで9番を背負ったのち、2002年に加入したマンチェスター・シティで“約束の番号”にたどり着いた。
このシティ時代にストライカーとして復調したこともあってか、以降ほとんどのクラブで39番をつけている。
トーニ・クロース
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バイエルン(39番:2007~2009、2010~2014)
レヴァークーゼン(39番:2009~2010)
現在はレアル・マドリーの8番として知られるクロース。しかしブンデスリーガでは、デビューから一貫して39番をつけていた。
ローン先のレヴァークーゼンで同じ番号を背負い、そこで選手としてブレイクしたことが愛着につながったのかもしれない。
なお、1歳年下の弟フェリックス・クロース(現ウニオン・ベルリン)もハンザ・ロストックで2009年にプロデビューしたとき39番だったが、プロ2年目以降は別の番号をつけている。
宇佐美 貴史
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ガンバ大阪(39番:2013~2016)
アウクスブルク(39番:2016)
日本人選手で真っ先に思い出される39番はやはり宇佐美だろう。
現在所属するフォルトゥナ・デュッセルドルフでは33番をつけているように、元々ラッキーナンバーが“3”。2013年にガンバ大阪へ復帰する際も33番を狙っていたのだが空いておらず、39番に決めたようだ。
また、バイエルン時代の同僚トーニ・クロースがお気に入りの選手のため、以前テレビ番組では「クロースの番号を真似させてもらいました」と冗談気味に話していたという。
泉澤 仁
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大宮アルディージャ(39番:2014~2016)
ガンバ大阪(39番:2017~2018)
ポゴニ・シュチェツィン(39番:2019~)
今年1月、ポーランドのポゴニ・シュチェツィンへ移籍した泉澤。
大宮アルディージャ時代はJ屈指のサイドアタッカーとして活躍したが、2017年に加入したガンバ大阪では期待されたほどのプレーが見せられず。昨シーズン後半はJ2の東京ヴェルディでプレーした。
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そんな彼が27歳にして海外移籍を選択。新天地での背番号は、慣れ親しんだ39番だった。
個の能力は間違いないだけに、どこまでやれるか注目される。