「さすのみそ」後世に 福島の女性が鎌倉で体験教室

玄米こうじ、塩、煮大豆を混ぜ合わせてみそを仕込む参加者

 福島県飯舘村に長く伝わるみそを後世につなぐ取り組みが、県内でも広がっている。東京電力福島第1原発事故で全村避難を強いられ、手作りみそも一時、生産中止を余儀なくされた。被災地の食文化の危機を知った関東地方の市民有志が事故後、仕込み方を学ぶ教室を各地で開く取り組みを始め、先月には鎌倉市内で開かれた。飯舘村の女性たちは「村の遺伝子を伝えるみそ造りがずっと続いてほしい」と願っている。

 2月24日。モンタナ幼稚園(同市津)で教室が開かれ、親子連れら約50人が参加。その場に、飯舘村佐須地区で「さすのみそ」を生産する加工グループに名を連ねる、菅野榮子さん(82)と菅野芳子さん(81)も招かれた。

 さすのみそは、前年に造ったみそを「種みそ」として混ぜて仕込むのが特徴だ。参加者は、ビニール袋に玄米こうじと塩を入れて振り、煮大豆を加えて手でもんだ後、榮子さんらが造った種みそを混ぜた。

 2人は約30年、さすのみそを製造してきた。だが8年前、原発事故によって平穏な生活は一変。グループのメンバーも避難でバラバラになり、みそ造りも中断せざるを得なかった。

 榮子さんは事故から4カ月後、同じ福島県の伊達市に用意された仮設住宅に転居。一方、芳子さんは両親とともに息子の暮らす埼玉県へ避難した。両親はその後、故郷に戻ることなく他界。地元への思いが募った芳子さんは榮子さんがいる仮設住宅に身を寄せた。

 さすのみその窮状を知った山梨県に住む増田レアさん(60)らは「後世に伝えよう」と2011年12月、「『味噌(みそ)の里親』プロジェクト」を始めた。増田さんは事故前から飯舘村の大豆を使ってみそを仕込んでおり、榮子さんとも交流があった。相模原市を皮切りに、プロジェクトのメンバーが講師となり、みそ造り教室を関東各地などで開催。これまでに約2千人が参加し、7トン超を生産した。鎌倉市では14年から毎年、教室が開かれている。

 17年3月、飯舘村は帰還困難区域を除き、避難指示が解除された。榮子さんは「8年かかったけれど、2人で寄り添い、飯舘村の土を踏むことができた」と振り返り、芳子さんは「孤独だったが、榮子さんがいてくれてよかった」と榮子さんに感謝する。2人は18年12月には仮設住宅から退去。みそ造りも再開した。

 教室が終わり、榮子さんは笑顔で感想を述べた。「避難者のことを心にとどめてくれ、ありがたい。昔を思い出すと寂しくなるけれど、これからもみそ造りを続け、皆さんにおいしく召し上がってもらいたい」

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