相模トラフ、室町期も 三浦の洞穴に津波堆積物

室町時代に起きた関東地震の証拠として注目される津波堆積物が見つかった現場(白石洞穴遺跡学術調査団提供)

 相模トラフで繰り返すマグニチュード(M)8級の巨大地震が室町時代にも起きていたことを示す津波堆積物が、三浦市南部の洞穴から見つかった。1923年の大正関東地震(関東大震災)と同じタイプとなる相模トラフのM8級は、鎌倉、江戸時代にそれぞれ発生したことが確認されているが、その間に起きたとみられる地震については証拠が不足していた。M8級の発生パターンやサイクルなどの解明につながる成果として注目されそうだ。

◆巨大地震解明へ新証拠

 津波堆積物が見つかったのは、三浦市南部の海岸にある白石洞穴遺跡。東大などの学術調査団が2014年から続けている発掘調査で、洞穴内の標高7メートルほどの地中に、海側から押し流されてきたとみられる火山灰などの層(厚さ約60センチ)が含まれていることが分かった。

 年代を調べた結果、堆積時期は15世紀後半~16世紀と判明。解析した産業技術総合研究所地質情報基盤センターの藤原治次長は「(鎌倉の大仏殿に津波が及んだと解釈される)1495(明応4)年の明応の地震が有力」とみている。

 堆積層には、洞穴内に本来存在していなかった丸まった石などが含まれ、水流が複数回行き来したような構造も呈していた。藤原次長は「押し波と引き波が繰り返した可能性が高い。このような痕跡は高潮では考えられない」と説明。「洞穴内だったため、風雨による浸食の影響を受けずに保存されてきた」と判断している。

 文献に記述はあるが、地質的な記録が見つかっていなかった1495年の地震を巡っては、その3年後に起きた南海トラフの巨大地震(明応東海地震)の誤記だと長年考えられてきた。しかし、藤原次長らが調査した相模湾西部の静岡・伊東で津波とみられる堆積物が見つかり、その標高の高さなどから、南海トラフでの「明応東海地震」とは別に、相模トラフで「明応関東地震」が起きていた可能性が浮上。政府・地震調査委員会による評価ではまだ認められていないものの、地震の専門家や歴史研究者の間で注目されている。

 調査に協力した神奈川災害考古学研究所の上本進二代表も「30年ほど前から遺跡などに残る地震の痕跡を調べてきたが、確実な津波の跡が見つかったのは県内で初めて」と意義を強調。沿岸部まで開発の進んだ神奈川では、津波堆積物が残りにくいとされているだけに、「いろいろな偶然が重なって、当時の状況が保存されてきた貴重な場所」と受け止めている。

 また、明応の堆積層の下側に、より古い時代の津波がもたらした可能性がある複数の堆積層が確認されており、「該当する地震を探る研究が今後さらに必要」という。

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