心境赤裸々に 川崎・高津で「フォトボイス」展

マリリンさん撮影の「ぼくは東京で暮らしたい」

 家の基礎だけが残った野原、避難先でひとり登校する息子の後ろ姿-。東日本大震災で被災した女性たちが自ら撮影した写真に心境を書き添えて紹介する「フォトボイス」の展示会が22日まで、川崎市高津区の川崎市男女共同参画センター(すくらむ21)で開かれている。16日には、出展した被災者らが写真に込めた思いや避難経験を語り、課題を提起する防災・減災講座を催す。

◆被災女性ら撮影、防災講座も

 同展と講座は震災後、NPO法人フォトボイス・プロジェクトが全国で実施。川崎での開催は初めてで、約20点の「フォトボイス」を展示している。

 福島県南相馬市の女性が撮影した「わたしの原点」と題する写真は、津波で流された自宅跡を写す。遠くまで建物が一つもない土地が広がり、伸び放題の雑草から自宅だった場所の基礎部分が見える。「29年前に生まれ、育った場所」とのコメントに続き、「1年目。胸が苦しく涙があふれてとまらなかった場所」「2年目。目を閉じて思い出せる景色を忘れてしまうのではないかという焦燥感をかき立てられる場所」と、毎年この場所に立った際の心境を赤裸々に語った。

 東京電力福島第1原発事故後、福島県から名古屋、東京、広島、そして再び東京と移りながら避難生活を続けるマリリンさん(仮名)は、仕事の関係で福島に戻った夫と離れ、息子と2人で暮らす。傘を差すわが子の後ろ姿を捉えた「ぼくは東京で暮らしたい」というタイトルの写真は、2018年12月撮影。原発事故への不安から家族ばらばらの生活を選んだ現状に触れ、「原発事故はまだ終わっていない」と記す。

 宮城県女川町で被災し、避難所の責任者を務めた経験のある遠藤優美子さんの写真は、町の中心部を走る道路が工事で通行止めとなった15年7月の風景を切り取った。復興工事で慣れ親しんだ風景が様変わりする寂しさと、新たな町への期待という複雑な胸中をつづっている。

 同県東松島市の女性は、水も食料もなかった避難所で自分の母乳を飲む見ず知らずの赤ちゃんの写真を撮影し、出展した。

 16日の講座では、遠藤さんとマリリンさんが撮影時の思いを語るほか、フォトボイス・プロジェクトの湯前知子共同代表がこれまでの活動を紹介。川崎市で活動する市民団体「女性の視点でつくるかわさき防災ブロジェクト」が日ごろの備えについても説明する。

 展示会、講座を企画してきたすくらむ21の脇本靖子事務局長は「災害時に犠牲になりやすいのは女性との研究結果もある。防災、減災について考える機会の一つにしてほしい」と来場を呼び掛けている。

 16日の講座は午前10時から。定員30人。無料。問い合わせ・申し込みは、すくらむ21電話044(813)0808。

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