【動画】島原半島・旧大野木場小 大火砕流の恐ろしさ伝える

大火砕流で骨組みや壁を残して焼けた旧大野木場小(手前)。左奥は溶岩ドーム=南島原市深江町(小型無人機ドローン「空彩3号」で撮影)

 1991年9月15日。雲仙・普賢岳の大火砕流が水無川一帯を襲い、旧南高深江町の大野木場小や民家を焼いた。骨組みや壁だけ残して立つ校舎は現在、被災遺構として災害の恐ろしさを観光客や地域の小中学生らに伝える。
 同校は2000年に町内で移転。旧校舎の隣には大野木場砂防みらい館があり、溶岩ドームの変動を監視している。校庭のイチョウの木は火砕流でいったん焼けながらも、翌年に再び芽吹いた。この力強い生命力をモチーフに第二校歌「生きていたんだね」が作られ、在校生に歌い継がれている。
 地元で暮らす大山貴之さん(39)は当時、同校6年生。自宅が焼け、3年半以上の避難生活を強いられた。今は消防団で活動。16年度にPTA会長を務め、17年に同校で被災体験の講話もした。「災害以来、人と人のつながりが大切だとよく感じる。月日がたてば住民でさえもみんな忘れてしまうので、経験を伝えていきたい」

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