MXU(映画「BADDREAM」監督)- 現代版アンネの日記、"障害者の排除が推進される日本"は悪夢か現実か。畳みかける展開のカオスなジェットコースタームービー!

ファッションとしてのダイバーシティ(多様性)消費への問題定義

──まずは、主演のお笑いコンビ「脳性マヒブラザーズ」との出会いを教えていただけますか。

MXU:市民団体にいがた映画塾という新潟市内の映像制作団体に(脳性マヒブラザーズの)DAIGOさんと私が所属していて、以前から一緒に作品を撮ったりしていました。相方の周佐さんは今回初めてお会いしました。

──なぜ「障害者の排除が推進される日本」という題材で映画を制作されたのでしょうか。

MXU:近年ヘイトスピーチをはじめとした、排外主義にとても危機感を持っていたのですが、それでも「いつの時代にもあった」とやり過ごしていました。そんな中で2016年に相模原障害者施設連続殺傷事件が起きて、「これはもうダメだな」と。犯行前、容疑者が「ヒトラーの思想が降りてきた」と語っていたので、「それならアンネ・フランクだろう」ということで自然とプロットができあがりました。別に障害者じゃなくても良かったのですが、私自身が内部障害者だったり、DAIGOさんが身近にいたりと、一番作りやすいしリアルに問題提起できるかなと。あと、それでも世の中は良くなっていると思っている人も多くて、そのいらだちとかも大きかったです。ファッションとしてのダイバーシティ(多様性)消費みたいなものというか。

──「脳性マヒブラザーズ」は実際に脳性麻痺という障害を持っていますが、この映画の脚本を見てどんな反応でしたか。

MXU:DAIGOさんはともかく、周佐さんは初対面でしたし、いきなり「本人役で途中で死にます」なんて言ったら怒って断られると思ったのですが、すんなりOKをもらって拍子抜けでした。他の出演者・スタッフ含めて、重い内容なので、はじめは「誰も協力しないんだろうな、DAIGOさんと二人でスマホで撮るか」くらい思い詰めていたのですが、多くの方がほぼボランティアみたいな形で協力してくれて驚きました。未だになぜ協力してくれたかよく分からないのですが、多分根底にある問題提起について共感してくれたのではないかと思っています。制作全面協力いただいた「にいがた映画塾」、美術協力いただいた新潟市内の表現集団「手部」、脳性マヒブラザーズ所属「NAMARA」、ロケ協力いただいた「沼垂テラス商店街」、上映いただいた「新潟・市民映画館シネ・ウインド」「コミュニティシネマながおか」はじめ、突拍子もない企画を暖かく受け止めてくれる新潟の市民力なしには作ることはできませんでした。制作費は50万円。本当に感謝しています。

──"大きな声もあげられない中で隠れて暮らす"という状況の中、壁に向かって小声でコントの練習をし続ける様子は悲しいながらもどこかコミカルでした。音楽もふくめ悲壮感の過剰な演出がないせいか、まるでドキュメンタリーのようにも見えました。

MXU:脳性マヒブラザーズはじめ役者はできるだけ当て書きで、平行世界でこういう状況だったらどう振る舞うか、といった感じでナチュラルな演技をしてもらうよう心がけました。あんまり細かい演出はしなかった気がします。脚本を読んでもらい、あとはお任せでとりあえずカメラを回して、編集でつなぐみたいな感じにしました。そのせいかもしれません。

──障害者が排除されない世界が来たら、外に出てやりたいことが、「恋がしたい」「きしめんが食べたい」だったりするところに人間味を感じて感情移入もしやすかったのですが、「復讐をしたい」などネガティブな感情にしなかったのは意図的だったのでしょうか。

MXU:はじめはポジティブでむしろ今の生活を楽しんでいる感じを出そうと思いました。「アンネの日記」を読むと、閉鎖された共同生活の中でも笑いあり恋もあったり濃密な時間を過ごしていて、無縁社会化が進む日本では人によっては羨ましくも映るかもしれない。映画でも、初めは共同生活がそこそこ楽しいから、DAIGOさんはあまり社会に対する怒りを持たない。異常気象で台風が過ぎ去るのを待つみたいな。ただ、そこが唐突に壊れることでDAIGOさんの意識が変遷する過程を描こうと思いました。

マイノリティーへの自己責任論は日本は断トツに大きい

──医者に行けないばかりに、食中毒でも命の危険があるというのは現在の日本にも似ていると思いました。たとえば、保険証がなかったり治療費がなかったり。そういった格差について目の当たりすることもあったのでしょうか。

MXU:幸い身近に目の当たりすることはあまりないのですが、日本の医療制度は今でも世界的には優しく手厚いものだと思います。ただ、マイノリティーへの自己責任論は日本は断トツに大きい。その辺の世間の冷たさとかを考えると、有事になったり大不況とかなったりしたら、一変するだろうなとも思います。自分も手厚い医療の恩恵を受けているのですが、そのへんはずっとびくびくしています。

──DAIGOさんが部屋から逃げるときに、死んでしまった相方のかわりに空っぽの車椅子を連れていくシーンは見るのが辛かったです…。ただ、あの場面では「ひとりひとりの人生をなかったことにしないぞ」という監督の決心のようなものを感じたのですが、どういった想いがあったのでしょうか。

MXU:この映画を作るにあたって図書館でナチスをはじめ人類のジェノサイドの歴史みたいな本をかなり読んだのですが、信じられないくらい多くの人が無茶苦茶な形で死んでいました。そういった無念の想いで亡くなった人たちを何とか映画を通して少しでもつなげたいというのはありましたし、そういう気持ちを込めたと思います。

──壁の落書きに「beautiful Japan」という文字が映るシーンがありました。これは相模原事件の植松聖被告が、犯行後にツイッターに投稿した言葉ですが、植松被告の望んだ世界はモノクロでしかないというメッセージに思えたのですが、監督のお気持ちはいかがでしょうか。

MXU:モノクロにしたのは、単純に予算的に少しでもクオリティ上げるにはモノクロが良いというのと、なるべく情報量を減らして見る人に想像してもらいたいという意図だったので、そういう意見はとても新鮮です。あの「beautiful japan」は「自分たちにとって美しいもの以外は排除したい」という欲求の表れで、植松被告の動機の本質を表しているので映画に入れました。確かに白か黒かの潔癖な世界観なのかも知れません。

いざとなれば容赦なく手のひらを返してくる、それを乗り越えようとするならば…

──差別はいけないという基本的なスローガンを掲げつつも、実際、障害を持つ方に初めて会ったらとまどったり、どうしたらいいかわからず避けてしまう人も多いと思います。"違う世界"として終わらせないためにはどうしていけばいいでしょうか。

MXU:それは未だに自分も明確な答えは出せていません。「乗り越えられる」「いや無理だわ」っていう問答を繰り返しているというか。差別構造って社会的なカーストで、そういう烙印を取っ払うには一対一で深いコミュニケーションをすることしかないかなと。障害者はじめ多様な人たちが同じ空間・時間を過ごすインクルーシブ教育やアート活動などの取り組みは、本当に素晴らしいと思います。ただ、一方人間は多かれ少なかれ差別的で攻撃的な本能が備わっているし、社会はそもそも差別構造がないと成り立たないのかも知れません。今の「多様性」とか「共生社会」も言外に「ただし平時に限る、かつ二級市民として」というのがあると思うし、例えば、相模原事件や国の障害者採用とか出生前診断とかの受け入れられ方もそのへん越えられない線がはっきり見えます。総論として、いざとなれば容赦なく手のひらを返してくる。それでも、それを乗り越えようとするなら、キレイな言葉は拒否して、差別はなくならないし、ハシゴは外される、やるならやるぞ、とか厳しい現状認識で過剰にネガティブに発信していくのも必要かなと。その軋轢から何かヒントが見つかればなと思っています。

──DAIGOさんが道路の真ん中に座って咆哮するシーンは特にかっこよくて、原監督の『さようならCP』のオマージュかなと思ったのですが、これまでに影響をうけたもの/ひとなどを教えてください。

MXU:『さようならCP』はよく言われるのですが、実はまだ見てなくて、見なきゃいけないのですが…主人公横田さん所属の「青い芝の会」関連本は読んだりしていて、「安易な問題解決の道は選ばない」とかあの行動綱領はじめ、かなり重なると思います。また影響は色々あり過ぎて書き連ねられないのですが、この映画に関しては「アンネの日記」と「連合赤軍事件」、あと今まで聞いてきた洋楽の影響がかなり大きいです。特に脚本づくりではU2の90年代のライブ「ZOOTVTOUR」の、メディア・政治・人間愛・男女・宗教・科学・暴力など何でもありのごった煮で最後はプレスリーの「恋せずにはいられない」で謎めいて終わる展開を参考にしました。あとアップルミュージックでプレイリストを作ってRAGE AGAINST THE MACHINE、NINE INCHI NAILS、N.W.A、KENDRICK LAMAR、上松秀実などをひたすら聞いていて、そのへんの歌詞の影響とかかなり大きかったです。いわゆるロッキン・オン系ですが、ロキオン本社のある渋谷で上映できるのはとても感慨深いです。また特に影響を受けた映画は「ジョゼと虎と魚たち」ですね。あの終わり方はないだろうと。そのためレジスタンスメンバーでジョゼというキャラクターも登場させました。

──とても野暮な質問になってしまうのですが…観る人によってハッピーエンドにもバッドエンドにも感じるラストシーンに思えました。監督なりの解釈としてはどのようなイメージでしょうか。

MXU:ボブディランやデビットボウイとかのどうとでも取れる歌詞みたいに、見た人が終わった後も想像を巡らしてもらえる作品にしたいと思ってあのラストになりました。私としては世の中に絶望して脳内彼女と森で生きるイメージです。映画「惑星ソラリス」っぽい、クソ現実だったらあえて優しい嘘を選ぶみたいな…取りあえず死んだら終わりなので、居場所がなくてもタフに生きようというメッセージをハッピーとバッドが入り混じる感じで込めました。

真のダイバーシティは同調圧力に屈しないこと

──この映画は、「殺るか殺られるかに抗うひとりの人間の物語」で、監督にとってはそれが撮影することであると感じたのですが、次はどのようなテーマを撮りたいなど構想はありますか。

MXU:「殺るか殺られるか」を強いる集団と個の問題については、ライフワークとしてこれからも掘り下げていきたいし発信できたらなと思います。真のダイバーシティは同調圧力に屈しないことだと思うので、今度は身の危険を顧みず、抵抗する一市民を主人公にBADDREAMの続編を撮りたいなと考えています。初期マッドマックスみたいな3部作にできたらと思っています。

──20日のイベントは監督の他に主演のDAIGOさんや豪華なゲストさんもいらっしゃいますが、どのようなトークになりそうでしょうか。

MXU:皆さんバラエティー豊かで様々に活動している方なので、一筋縄でいかないトークとなると思います。それぞれの体験などぶつけ合い、共生社会への新しい手がかりが見つかったら嬉しいです。また、ご来場いただいた方とのトークでも議論を深められたらです。

──これから映画を見る方にメッセージをお願いします。

MXU:いろいろと熱い想いは込めているのですが、とにかく退屈しない・眠くならないように畳みかける展開のカオスなジェットコースタームービーなので、ぜひ構えずに見ていただけたら嬉しいです。3月20日東京上映は多分当日券も出そうなので、年度末お忙しいと思いますが仕事帰りにぜひともお越しください!

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