過酷な長時間労働 「私は『たまに家に帰ってくる人』」 平成の正体 第2部 分断と格差の経済史 プロローグ

厚木市内のパーキングエリアでつかの間の休憩を取る武田豊さん(仮名)

 日曜の午後10時から仕事は始まる。はしごをよじ登るようにして乗り込む10トントラックを荷主の倉庫の前に付け、月曜の朝を待つ。できるだけ先に並んでおかなければ荷積みの開始が遅れるからだ。

 大型トラックの運転手になって10年。関東と関西を行き来し続けてきた。首都圏に住む30代の武田豊さん(仮名)は、繁忙期には1カ月に400~500時間の残業を繰り返してきたという。

 残業時間500時間-。

 月曜日の未明から神奈川や東京など関東圏内にある工場や倉庫を転々と巡り荷物を積み込んでいく。

 「積み上がると東名高速道路を6~8時間かけて関西へ向かう。積んだ荷物を下ろし、空になったトラックに再び荷物を積み込み、関東へ戻ってくるのは水曜日。下ろして積んでまた関西へ。これを土曜日まで繰り返す。帰宅できるのは土曜日の夜10時ごろ。そして日曜日の夜にはまた荷主の倉庫に列を作って並ぶ…」

 関東へ戻ってくる水曜日に1日休みが取れるときもあるが、繁忙期には土曜の休みも消え去った。

 「これだけ働き続けても、10年間で手取りが40万円を超えたことはありませんでした」

 昇給はない。固定の基本給もない。完全歩合制のため、逆に閑散期には月給は大幅に削られる。手取りが12万円だったときもあったという。

 小学生の娘2人と、妻が家で待つ。しかし平日に帰宅できることはほぼない。「私は『たまに家に帰ってくる人』でした」

 異常な独り言、激太り、激やせを繰り返してきた。

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 1989年12月、日経平均株価が史上最高値を付け、崖から転がり落ちるように始まった平成の経済はいま、壮絶な長時間労働と増え続ける非正規社員、破綻した日本型雇用慣行によって、破滅のときをひたすらに先送りしている。崩壊の現場と平成の経済を追った。

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