【世界から】カナダのボクシングジムに長与千種のポスターがあった理由

トロント・ニューガールズ・ボクシングジムに貼られていた日本の女子プロレスポスター。名前とともに若き日の長与千種が写っている=谷口輝世子撮影

 今年1月、カナダのトロント市で、古びた日本の女子プロレスのポスターを見かけた。1980年代のものだろう。その中心に、若き日の長与千種が写っていた。びっくりした筆者は、知り合いでもないのに隣にいたカナダ人に、昨年11月に起きた出来事のてんまつをまくし立てるように伝えた。長与千種が札幌市内の駐車場で、夫から暴力を受けていた女性を救った話。私が興奮しながら話をしたのにはわけがあった。

▼被害者を支援

 ポスターが貼られていたのが「トロント・ニューガールズ・ボクシングジム」だったからだ。カナダでは初となる女性のボクシングジムオーナー、サボイ・ハウさんが経営しているのだ。

 ハウさんは同国オンタリオ州にあるブロック大学運動学部のキャシー・バン・インゲン准教授と提携して性的暴行やドメスティックバイオレンス(DV)の被害に遭った人たちをサポートする「シェイプ・ユア・ライフ」というプログラムを提供してきた。ボクシングの練習を通じて心身の健康を取り戻してもらうことが狙いだ。被害者の言葉にできない気持ち、自らに非があったのではと責めてしまう心、自信喪失。対話によるカウンセリングだけでは、心身の傷を癒やすことができないケースもある。それをボクシングによって補ってきた。プログラムは2006年にスタートし、これまでに1300人以上が参加しているという。

 このジムでは女性だけが利用できる時間を設けている。男性ボクサーがリングで打ち合う姿を間近で見ると、恐怖を感じる人もいるからだ。

同ジムでは女性だけが利用できる時間も設けている=谷口輝世子撮影

▼なぜ、ボクシングなのか

 「シェイプ・ユア・ライフ」で行うのは、あくまでもレクリエーションとしてのボクシング。だから、相手と打ち合うことはしない。サンドバッグやコーチのハンドパッドを打つところまでだ。

 運動が心身の健康に役立つことはよく知られている。ならば、ヨガやランニングなどのエクササイズでもよいのではないか。そこで、「なぜ、ボクシングなのか」という疑問が湧いてきた。

 「今も、女性が何かをやりたいと思った時には、誰かに許可をもらわなければいけない感覚があります。誰かに支配されている感覚があります。ボクシングは女性がやるべきスポーツではないと考えられていました。だから、このジムに来てボクシングをすることによって、やりたいと思ったことを、やっていいのだ、という自由を感じることができるのです」

 ボランティアでコーチを務めているロレン・マッケオンさんは、直接的にはこのプログラムを指導していないと前置きした上で、狙いについてこのように話してくれた。

 女性たちは現代においても、周囲から求められる伝統的な女性らしい考え方やふるまいに縛られることがある。女性にはふさわしくないとされてきたボクシングをすることによって、そのような呪縛から心身を解放する。自分の体を他人に支配されない、自分の体は自分のものである、という強さが得られるようだ。

 女性がボクシングを習うと聞けば、護身のためかと思う。しかし、それはあくまで二次的なもので、第一の目的ではない。

▼政府も支援

 2016年11月には、カナダのトルドー首相の後押しを得ることにも成功した。会員制交流サイト(SNS)上でトルドー首相に招待状を発信し、「女性に対する暴力撲滅デー」にジムに来てほしいと呼びかけたのだ。首相はスケジュールの都合でジムを訪問することはできなかったが、財政面から補助することなどを明言した。

 現在、「シェイプ・ユア・ライフ」はトロント・ニューガールズ・ボクシングジムの手を離れ、別の団体に引き継がれて、被害者のサポートを続けている。一方のトロント・ニューガールズ・ボクシングジムでは、支援の手をカナダ以外の国で生まれた移民女性、男性から女性に移行したトランスジェンダー、10代の女性たちにまで広げるため、新しいプログラムを立ち上げた。

 被害に遭った女性たちに、ボクシングを通じて自分の体を取り戻してもらおうと、奮闘してきたトロント・ニューガールズ・ジム。そこに長与千種のポスターがあったのは、偶然とは思えなかった。女性を助けた長与千種。被害者が自分の体を取り戻せるように後押しするジム。プロレスとボクシングの違いはあれども、両者の思いがリング上で共鳴しているようだった。(米ミシガン州在住ジャーナリスト・谷口輝世子)

同ジムのリング=谷口輝世子撮影

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