野球少年に大人気、野球YouTuber・トクサンとは? 力不足と悔しさ知った高校時代

「トクサンTV」で人気を博している野球YouTuber・トクサン【写真:編集部】

帝京高で2002年夏の甲子園にベンチ入り、創価大ではリーグ首位打者という経歴の持ち主

 今や野球少年たちに知らない人がいないと言われる野球YouTuber・トクサン。2016年8月にスタートさせた「トクサンTV」のチャンネル登録は間もなく40万人を突破する勢いで、再生回数は2億3000万回を突破。野球の上達を目指す少年や、草野球を楽しむ選手には必見のチャンネルになっている。3月4日に発売された初の著書「超 バッティング講座」は発売即、重版が決まるなど好調。野球の技術も高いトクサンは、どのような人生を歩んできたのか。「トクサンって誰」とまだ知らない野球少年の“お父さん”世代の疑問を前編、後編で解消します。(取材協力・IWA ACADEMY)

 小学校3年生の時から始めたソフトボールでトクサンの野球人生は始まった。地元の軟式野球チームで力を付け、中学3年生の時に甲子園優勝経験のある帝京高校のセレクションを受けることになった。自分の意志というよりも周りの勧めだったそうだが、野球に対する自信もあり、挑戦することにした。

「帝京の前田三夫監督から『3年間、補欠でもいいなら、いいよ』って。本来なら、そう言われても、自信を持ってアピールするものなのですが、同級生に会った瞬間に判断を“間違った”と。同い年に思えないくらいの体のでかさ、自分は160センチくらいで、こんなやつらに会ったことがないという衝撃を受けました。『マジ、終わった……』と思いましたね。プライドはその瞬間に全部捨てて、ボール拾いでも、自分の足を見せようと頑張りました」

 同学年には後にプロに進んだ高市俊(現日本ハム打撃投手)、松本高明、吉田圭(ともに元広島)がいた。他にもプロから注目される選手もいたほど、全国トップレベルの選手がそろっていた。その中で50メートル5秒台の足を生かすために本来、右打ちだが、スイッチヒッターに挑戦。高校2年夏まで帝京での練習後、中学時代の監督の自宅に通い、スポンジボールを約2時間、1000スイング、打ち込んだ。

 3年生が抜け、新チームになった1年秋に代走要員としてベンチ入りすることができた。

「レギュラー以外はどんな選手でも重要視されていなかったんじゃないですかね。元気を出していたのがベンチ入りにつながったのかと。それまで試合にも出ていなかったので、手応えも全然ありませんでした。『あ! メンバー入った。やったー!』という感じでした」

「僕が補欠でよかったと思えるのは、上には上がいるということをすぐに理解できたこと」

 学年が上がるたびにレギュラーの遊撃手に手が届きそうだったが、実力者揃いの帝京メンバーの中で定位置を奪うことはできなかった。それでも3年夏はベンチ入りメンバーとして東東京大会を制して、甲子園出場した。ベスト4まで進出した。今では技術本を出すほど、技術を追求しているトクサンだが、当時の自分に教えられるならば、どんなことを伝えたいか。

「当時の“土俵”に僕を重ねるなら、帝京は遠くに飛ばす選手が求められ、大振りになっていた気がしました。バットも目一杯、長く持つのではなく、一握り、二握り余して、三遊間をシャープに間を抜くバッティングを心掛けていれば、とは思いますね。あと、僕はおっちょこちょいな自分もあったので、一個一個を丁寧にプレーしなさい、個性を伸ばしなさい、とあの時の自分に伝えられるなら伝えたいですね」

 帝京という強豪で、全国レベルの野球を知れた。上下関係、厳しさも学んだ。この後、トクサンはプロを目指していくのだが、この経験がベースになったという。

「僕が補欠でよかったと思えるのは、上には上がいるということをすぐに理解できたこと。まだまだ上がいるから、自分の限界値を作らせてもらえなかったというか、限界値が見えないところにいられたことがすごくよかったです」

 自分の野球のレベルはまだまだ――。補欠という立場が試合に出場したいという渇望となった。創価大学に進み、野球を続けることを決めた。

 試合では楽天の青山(八戸大)や同学年のパドレス・牧田(平成国際大)らと対戦。2年生からレギュラー。4年では主将となり、秋にはリーグ戦で首位打者、盗塁王にもなった。

「(打撃の覚醒は)異例だと思うんですけど、バントのコツをつかんだ時に覚醒しました。小柄、守備も売りだったので、そんな選手がバントができないといけないと思いました。下手だったのでイチから練習して、狙ったところに転がせるようになってから、しっかりととらえられるようになって、めちゃくちゃ打撃が良くなりました。それまで漠然と打っていました」

 ボールをとらえるタイミング、膝の使い方が打撃に生きた。試合に出られればスカウトが見てくれるという一心で野球に打ち込んだ。

 スカウトが注目する選手にもなり、ドラフト直前では指名候補選手に名前が挙がっていた。しかし、現実は指名漏れだった。

「野球はやれると思ったらどこまでも続けていってほしい」

「就職氷河期で、指名されなかったら社会人へ、というのが許されるのは上位指名の選手くらい。その枠がおさえているくらいで、僕らはドラフトを待つのか、初めから社会人でお世話になるのか、どっちかにしてくれということが多かったです。ドラフトが終わった後に野球部の枠はないので、すぐに就職活動をして、一般企業に入りました」

 プロ野球選手への夢を諦め、警備会社に入社した。その後、大学の先輩らからトクサンが野球を辞めることを聞き、「なんで続けないんだ」とその才能を惜しむ声があったが、その時はもう遅かった。

「もう心が(野球を辞めると)切り替わっていたので、働こう、と思いました。都市対抗野球を見て、『ここでやりたいな』と思っていたのに……」

 名門だった社会人野球チームがなくなる時代に生きてきた。独立リーグからプロへという道が今のように多ければ、また違った野球人生があったのかもしれない。

 野球をする人を応援する立場になり、伝えたいことがある。

「野球はやれると思ったらどこまでも続けていってほしいですね。やれる環境は日本だけでなくアジア、オーストラリア、野球途上国でもある。納得いくところまでやってほしいです。終わりだなと思ったのなら、それでも草野球も続けてほしいです。僕は草野球で最高に楽しい思いをしていますから」

 プロを目指すための野球は、志半ばで終えた。もっと情報を集めて、続けるために所属先を探せたかもしれない。しかし、気持ちをもう取り戻すことができず、トクサンは不完全燃焼のまま、社会人生活をスタートさせた。

(後編に続く)

トクサン プロフィール
本名・徳田正憲 1985年3月18日、東京都大田区出身。34歳。小学校3年の時にソフトボールを始める。帝京高、創価大で野球を続ける。卒業後は一般企業に就職しながら、クラブチームで野球を続けるなど、今でも草野球へ情熱を燃やしている。2016年に始めたYouTube「トクサンTV」が大ヒット。チャンネル登録数39万人。再生回数は2億3000万回を突破。3月4日に著書「トクサンTVが教える新・バッティング講座」を発売。好きな食べ物は、ハンバーグと小籠包。好きな選手は仁志敏久(元巨人)、源田壮亮(西武)(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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