プロ選手を目指さない新種の留学!アルビレックス新潟バルセロナ松田氏インタビュー

3月某日、プロ選手を目指さないちょっと変わったサッカー留学の事業を行っているアルビレックス新潟バルセロナの松田氏に話しを伺った。自身のスペイン留学を生かし、サッカー業界への就職、転職を目指す人をサポートする松田氏の本音に迫る。

幼少期の試合観戦がきっかけでアルビレックス新潟の虜に

辻本:本日はよろしくお願いします。

松田氏:よろしくお願いします。

辻本:まず初めに松田さんがサッカーを始められたきっかけを教えてください。

松田氏:私は奈良県に生まれましたが、親の転勤の都合ですぐに石川に引っ越したり、広島や新潟など色んなところに住んでいました。サッカーを始めたのは広島に住んでいた年長の時でした。通っていた幼稚園にスポーツクラブがあったので入りました。

辻本:広島でサッカーを始められたのですね。その後アルビレックスのサポーターにならなれたのですよね?

松田氏:はい。広島には小学校2年生くらいまで住んでいましたが、一時期サッカーから離れていた時期もありました。その後、日韓ワールドカップが行われた2002年に新潟に引っ越しました。そこで新潟にもJリーグクラブがあることを知り、父と共にビッグスワン

スタジアムに試合を見に行きました。

何度か見に行っている間に毎試合約40000人の観客を集め、満員のスタジアムにびっくりしました。当時、アルビレックス新潟はJ2でしたが、昇格争いをしていて観客も多く集まる同クラブに魅力を

感じてサポーターになりました。サポーターになったこときっかけで、再びサッカーを始めることになり、小学校3年生の時にアルビレックス新潟のサッカースクールに入りました。当時の将来の夢はもちろん「サッカー選手になる」ことでした。

高校時代は選手権に出場。そしてアルビレックス新潟バルセロナの留学との出会い

辻本:アルビレックス新潟の影響で再びサッカーを始められたとのことですが、その後のサッカー人生はどのようなものだったのでしょうか?

松田氏:その後、大学までサッカーを続けましたが、高校は奈良の一条高校で全国高校サッカー選手権大会にも出場しました。沢山のハイレベルの選手たちを目の当たりにし、「プロになるのは無理だな」と感じました。高校生の頃にはプロ選手になることは難しいことだと薄々感じており、プロ選手を目指すことはあまり考えていませんでした。

その中でも言葉遣いなど全てサッカーから学んできました。「だからサッカーに恩返しをしたい」と

思っていまたし、そのサッカーを始めるきっかけを与えてくれたのが「アルビレックス新潟」でした。

そこで私の将来の夢は同クラブで働いてサッカーに恩返しをすること、それに加えて毎試合40000人入っていた時代の新潟を知っていた自分が「あの満員のスタジアムの中でクラブが勝つ光景をもう1度取り戻したい」というものに変化していました。

辻本:大学ではスポーツビジネスを学びながらサッカーを続けられたのですよね?

松田氏:はい。夢がアルビレックス新潟のフロントに入ることだったので、スポーツビジネスが学べる大学に進学しました。また、サッカーを続けた理由としては、高校サッカーをやり切れなかったという思いがあったからです。

辻本:なるほど。それでアルビレックス新潟バルセロナの留学に行くまではどのように過ごしていたのでしょうか?

松田氏:いわゆる普通の大学生活を1年くらい送っていました。授業を受けて部活でサッカーをしてバイトしてという平凡なルーティンを繰り返していましたね。そんな時、「このまま過ごすとまわりと全く変わりのない人材になるな」と感じました。

それと高校時代に自分で限界を決めて、サッカーをやり切れなかった自分を変えたいとも思っていました。そこでこの状況を変えるためには「リスクのあることでも挑戦するしかない」と思っていました。

そんな時にアルビレックス新潟バルセロナの留学プログラムができたことを知りました。これに自分は運命的なことを感じ、元々アルビレックスが好きでこのクラブで働きたいと思っていたので両親と相談して留学することを決めました。

辻本:そういう経緯だったんですね。留学するのは最近では珍しくないかと思いますが、お金のことやサッカー界への就職が約束されているわけではない状況の中で、両親に反対されたりはしなかったのでしょうか?

松田氏:そうですね。私は常々アルビレックス新潟に就職したい、サッカー業界で働きたいと両親に話しをしていました。そして留学プログラムができた時に、父親に「お前、この留学に行かないとお前の夢は叶わないぞ」と言われ、背中を押されました。

辻本:親御さんに背中を押してくれたのは心強いですね。

松田氏:はい。この留学に行かなかったら今、サッカーの仕事をできていなかったでしょうし、もちろんアルビレックスにも入ることはできなかったと思うので、両親には感謝しています。

大学を休学しスペインへ留学 人生の大きな転機に

バルセロナに留学中の松田氏

辻本:スペインへの留学が決まった時の心境はいかがでしたか?

松田氏:正直自分の中では、今まで海外にすら行ったことがなかったことから海外生活に対する不安や、言葉の面、「留学に行って何も得られなかったらどうしよう」というような不安や葛藤がありました。また、大学を休学していくため、卒業が1年遅れるので残りの大学生活も含めて不安しかなかったです。

辻本:不安のほうが強かったのですね。

松田氏:そうですね。正直、留学が近づくに連れて、嫌だなと言うのは言い過ぎかもしれませんが

緊張やドキドキでとにかく不安でした。

辻本:大学でスポーツビジネスを学んでいた松田さんのまわりにはスポーツ業界を目指している方が

在籍されていたと思いますが、松田さんが留学をすることを知ったまわりの反応はいかがでしたか?

松田氏:私は2年生の夏に休学して留学に行っていたので、比較的早いほうだと思います。ビックリはされましたね。ただ、周りの友達に恵まれていて、送別会をやってもらったりしました。

そして幸いにも仲の良かった数人の友達は皆どこかしらの国に留学していたので、卒業するときは一緒だったりで最後まで充実した学生生活を送ることができました。

辻本:類は友を呼ぶという言葉がふさわしいですか?

松田氏:そうですね(笑)。まさにその通りですね。

辻本:では実際にスペインに行ってみていかがでしたか?

松田氏:過ごしているうちに感じたのは「生きてはいける」ということそして、最初は全く分からなかったスペイン語も理解でき、話せるようになりました。それらの経験もあって、自分の価値観が変わっていることを肌で感じました。そして、今までだと全く見えなかった世界が見えたり、選択肢が増えていることをスペインにきて本当に感じることができました。

辻本:不安だらけだった留学前とはかなり違いますね。

松田氏:はい。気が付いたら留学前に抱いて不安は無くなっていました。そして、挑戦することで

その人にしかできない経験をできること、他の誰にも負けない武器を手に入れることができて留学に行ったからこそ今の自分がいると思います。不安が自信に変わるという経験ができたことは、人間的な成長ができた要因の1つとして最も大きなものとなったと感じています。

辻本:なるほど。スペインに実際に行かれて不安が払拭されたかと思いますが、変化を感じ始めたのはいつ頃からでしょうか?

松田氏:そうですね。ホームステイだったので、ホストファミリーがすごく良くしてくれていたこともあり、生活に慣れたのは1ヶ月くらいですね。そして、バルセロナは凄くいい街で最初からマイナスの印象を抱くことはありませんでした。言葉に関しては、全く0の状態で行きましたが、語学学校にも行っていましたし、3か月くらいで相手の言っていることが少しずつ分かるようになってきて

そこから楽しくなってきて、よりモチベーション高く語学学習に励むことができました。

辻本:なるほど。言葉以外にも治安や文化で日本と違うと思いますが、そのあたりはいかがでしたか?

松田氏:そうですね。ただ、1ヶ月住めばそのあたりも慣れましたね。ただ、最終的には留学への不安が全く無くなったことに気が付いたのは留学が終わってからですね。

というのも、留学中は1日1日がすごく新鮮で、毎日がむしゃらに過ごしています。全留学プログラムを終え、帰国直前にバルセロナでの生活を振り返った時、留学前に抱いていた不安は全くなくなっており、それらが全て自信に変わっていたんだと気づきました。

辻本:なるほど。ちなみに留学に行くと決めてからと行った後でスペインのイメージなど変わったことはありましたか?

松田氏:私は留学に行く前はスペインどころか、海外に全く興味がありませんでした。留学に行くって決めてからもバルセロナのことを特別調べたりはしませんでした。スペインと聞くとFCバルセロナが強いとかポゼッションサッカーとかのイメージはありましたね。

辻本:カタルーニャリーグでプレーのほうもされたかと思いますがプレーはいかがでしたか?

松田氏:日本より戦術がしっかりしてますね。自由にやっているように見えて何パータンも戦術があって、ディフェンスへのプレッシャーのかけ方とか1つ取ってみても違いますね。頭の良い選手じゃないと成功しない国だと感じました。また、フィジカルコンタクトや審判の見えないところでの汚いプレーだったり、勝利への執着心はやはりすごかったですね。

辻本:なるほど。その他にはありましたか?

松田氏:スペイン人は意外と規律を重んじていました。日本人のほうがルールに厳しいイメージはあり、スペイン人は陽気で緩いイメージがありましたが、チームでの決め事などもしっかりとありました。それはギャップでしたね。

辻本:なるほど。留学プログラムでは当時から寮生活とホームステイを選べたのですよね?

松田氏:はい。留学と言えばホームステイのイメージもありましたし、語学面での成長も見込めると思いホームステイを選びました。

辻本:ホストファミリーはどんな人たちでしたか?

松田氏:元々日本人を積極的に受け入れてたみたいですごく良い人達でした。練習から帰ると「今日はどうだった?」と聞いてくれて、毎日密なコミュニケーションを取ってくれました。親戚とのパーティも結構ありましたが、距離の近い人たちをたくさん紹介もしてくれて、家族同然のように扱ってくれました。帰国するときは凄く寂しかったですが、今でもスペインに行く時は会いに行っています。

辻本:なるほど。松田さんが留学した6年ほど前のスペインと今のスペインでサッカーの立ち位置などは変わったりしていますか?

松田氏:当時からスペインにはサッカーが文化として根付いていて、サッカーの価値観などは変わっていないと思います。毎年スペインに行っていますが、そこが今も昔も変わらないと思います。

辻本:なるほど。日本とスペインでのサッカー文化や育成の違いや日本より優れている点ついて教えてください。

松田氏:文化として根付くのは歴史も関係あると思うので、そこはやはり違うと思います。ただ、日本でもサッカーが文化として根付いてる地域もありますよね。Jリーグが開幕してから今年で26周年ですが、世界的に見ても素晴らしいリーグですし、ヨーロッパで活躍する選手たちも増えてきています。ここまでハイスピードで日本サッカーが発展しているという点は素晴らしいことだと感じています。

ただ、育成に関しては参考にするべき点はいくつかあると思います。最近は色んな指導者が海外に行っていて勉強してますよね。それはすごく良いことだと思います。ただ、日本は部活文化が根付いているのでサッカーをビジネスとして捉えるようになったのは本当に最近で、まだまだマネタイズできていない部分があることは課題だと思います。

ただ、文化として根付くのを待っていても仕方ないと思うので、私のような人たちが海外に行きやすい環境を作ってあげ、「世界で通用する人材の育成」をすることが大事だと思います。

辻本:やはりスペインは凄いですね。ありがとうございました。

1年の留学が終わり、日本に帰国 そして就職活動へ

アルビレックス新潟で仕事をしている松田氏

辻本:スペインへ留学する前と後で1番変わったことは何ですか?

松田氏:1つは言葉ですね。スペイン語という言語を習得できたことです。そして、もう1つはチャレンジ精神ですね。留学をして様々な経験をして日本に帰ってきて、挑戦することへの不安や怖さなどは無くなりました。挑戦することでしか得られないものがあるということを、自身の留学経験から肌で感じられたからです。

辻本:そうなんですね。ここからは就職活動について聞きたいと思います。就職活動で最終的にアルビレックス新潟に入られていますが、どのように就職活動をしていましたか?

松田氏:本当はアルビレックス新潟への就職につながるものだけに絞ろうと思っていました。ただ、実際はまわりの就活生と同じ一般企業も受けていました。その一般企業もスポーツ業界の企業でしたが、私はアルビレックス新潟に入りたかったので、正直面接などに熱が入りませんでした。「アルビレックスに新潟に入りたい」という思いが強すぎたのだと思います。

辻本:なるほど。最終的には新卒でアルビレックス新潟への内定を勝ち取りましたよね。

松田氏:はい。アルビレックス新潟に関係のない企業は受けるのをやめたものの当時、求人は出していませんでした。そこでスポンサー企業を受けていて、面接の時にアルビレックス新潟に入りたいと話していました。すると面接が進んでいった段階で人事の方がアルビレックス新潟の方を

紹介してくれました。そこから面接を2回受けて内定を貰いました。

辻本:なるほど。アルビレックスの留学プログラムのほうでサポートはありましたか?

松田氏:留学プログラムで色々コネクションもできましたし、現アルビレックス新潟の代表取締役社長の是永とも留学中から沢山話をする機会もありましたし、留学後もとてもお世話になりました。

辻本:なるほど。念願のアルビレックス新潟への就職が決まった時の心境はいかがでしたか?

松田氏:とにかく嬉しかったです。両親もとても喜んでくれて、留学に行って良かったと

思いました。そして思ったのは「夢は叶うものだ」ということですね。

辻本:なるほど。アルビレックスからの内定の通知が来までに時間がかかったりはしましたか?

松田氏:そうですね。面接を受けてから3ヶ月くらいありました。内定通知は11月頃にきましたね。

ただ、待つだけだったので不安はありませんでした。万一ダメだったら自分の力不足なだけなので

またお金を貯めて留学し、武器を増やしてから再チャレンジしようと思ってました。

辻本:そうだったんですね。ありがとうございました!

後編では松田氏がアルビレックス新潟に入ってからのことについて触れていきます。

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