4月1日に改正入管法施行 新元号「令和」に歓喜する日本社会の影に潜む不安 東京入管前リポート

「令和」という新しい元号が発表され新たな時代の節目が訪れようとしています。この令和の意味ついて安倍首相がこのように語りました。「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」。この非常に美しい言葉に、期待と不安が同時に訪れます。

その後面会はできたものの、収容されている家族のその姿を見て心配し、日本の支援者を頼りに抗議までに発展しました。入管施設では何人もの収容者が亡くなっており、その上で今収容されている家族を思えば心配になるのは当然のことです。抗議は夜通し行われ次の日の昼過ぎまで行われました。その間心配した親戚や支援者が2回救急車を要請するも入管側の看護師が「病院へ行くほどではない」と救急隊の人に容態を見せることなく追い返しました。

参考記事入管施設のクルド人が呼んだ救急車が帰らされる

抗議が始まりその翌日に私も現場を訪れ、事の経緯やその時点の様子やクルド人の方の声を伺いました。

「私たちも同じ人間です。今まで入管所のことを信じて真面目に働いてきたのに、なんでこんなことされなきゃいけないんですか」。この声に私はもどかしさを感じてしまいます。

難民として逃げてきたはずが日本でも違う形で被害にあってしまっているこの状況の一方で、快楽を求め笑って生活をしている私は胸が苦しくなりました。

抗議の末、収容されていた方は病院へ搬送され安堵したのですが、入管所では別の問題も発生しました。私はこの問題に、怒りと悲しさで絶句してしまいました。病院から戻ってくるのを待つためクルド人の方々が心配して入管所で待っていたのですが、一人のクルド人男性がある入管所の警備員の人に「まだいるのか」と嘲笑されたのです。彼らの想いや立場を汲み取ることができればその言葉は出ないはずが、その警備員の口から出てしまったのです。ちょうど私もその現場にいたので驚きを隠せませんでした。

その現状が今もこの日本で行われている中で、「令和」の言葉の意味のように美しくなれるのか疑問を隠せません。本当にこの言葉の意味に信念があるのなら、どんな人であろうと生きるために支え合いが必要ではないでしょうか。(文・写真◎宮原塁)

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