被爆地ヒロシマで誓う、母国アフガンの復興 戦渦生き抜く女性ら、国連プログラムで来日

アフガンからの訪問団の女性たちに原爆ドームについて説明するUNITARのナイジェル・ガンさん(右端)=広島市

 長引く戦渦を生き抜いてきたアフガニスタン人女性たちがこのたび、国連機関の研修プログラムで広島市に滞在し、被爆の実相に触れた。武装勢力による襲撃やテロ、女子教育抑圧…。自らが置かれてきた境遇が、理不尽な暴力で人生が狂わされた被爆者の思いに重なる。「いつかヒロシマのように復興を遂げてみせる」。約10日間の滞在期間中、同行取材を続ける中で目の当たりにしたのは、荒廃した母国の再建に向け、誓いを新たにする女性らの姿だった。(共同通信広島支局=新冨哲男)

 ▽被爆証言にすすり泣き

 静まりかえったホールに、すすり泣きが響く。昨年11月末、原爆資料館の地下。皮膚が垂れ下がった大勢の人々が路上を歩いていたこと、川面には無数の死体が浮いていたこと―。8歳の時に爆心地から約2・4キロで被爆した小倉桂子さん(81)が、研修プログラムに参加したアフガン女性20人を前に、英語で当時の体験を証言していた。

 原爆資料館長を務めた夫の馨さんと1979年に死別した小倉さん。遺志を継いで英語の勉強を重ね、広島を訪れる海外各国の政府高官や民間人に被爆の惨劇を伝え続けてきた。証言の最後、小倉さんは政府と反政府武装勢力タリバンの戦闘が続くアフガンの現状に思いをはせ、こう締めくくった。「努力を続ければ、きっと平和は訪れる。子どもたちを戦争の巻き添えにしてはいけない」

 連帯の意を表し、全員が椅子から立ち上がった女性20人は、普段はアフガン国内のNPOや報道機関、政府機関で働く20~30代だ。その半生は、79年の旧ソ連軍事介入を機に内戦状態に陥り、混迷が続いてきた母国の近代史と重なる。

 「すべては私たちに懸かっている。力を結集しなければならない」。声を震わせながら小倉さんに謝意を伝えたシーラ・サミミさん(27)は、アフガン財務省の職員。職場周辺や母校の大学は、テロの標的にされてきた。犯行はいつも、明確な予兆もなく起きる。身の安全を完全に確保するすべはない。

被爆体験を証言した小倉桂子さん(左端)に謝意を伝えるシーラ・サミミさん(右端)=広島市

 治安回復の足音は遠く、安心して外を出歩けない日々。「みんな恐怖を抱えながら生きてきた。これから生まれてくる子どもたちにだけは、私たちと同じ思いを味わわせたくない」。命を落とした同窓生らの姿が被爆者と重なって見えたというサミミさんは、女性ならではの視点で復興事業に身を捧げていくと決意を強めていた。

 ▽「私たちのお手本」

 「社会的説明責任とは?」。昨年12月初旬、窓から原爆ドームを望む会議室では、女性の社会進出などをテーマに熱心な討議が交わされていた。ひときわ存在感を放っていたセタラ・ハサンさん(31)は、アフガンの民間テレビ「Zan TV」で最高経営責任者(CEO)を務める。滑らかな英語と意志の強そうな瞳が印象的だ。

アフガンの民間テレビ「Zan TV」最高経営責任者(CEO)のセタラ・ハサンさん

 男性優位の風潮が根強いアフガンでは、女性に対する差別や中傷、暴力が絶えない。「最も被害を受けるのは、いつも女性」。現状を変えたいと、約2年前の番組放送開始以来、女性の権利向上をテーマに据える。選挙の女性候補や国連職員と時事問題を語り合う討論番組を企画し、女児がレイプされた事件では真相を掘り下げる特集も組んだ。約50人のスタッフの大半は20代女性。鋭い感性に、男性視聴者も好意的な感想を寄せる。

 悲劇は自分の周りにもあふれていた。武装勢力に襲撃された母は、首に被弾の痕が残る。巻き込まれた親戚は助からなかった。難民として隣国パキスタンに逃れるトラックの荷台で、少女だったハサンさんは寒さと恐怖に震えた。

 私がアフガンの隣国イランで駐在生活を送っていた時、深夜の路上でゴミ箱を漁るアフガン難民の少年らの姿を幾度も目にした。「幼かった時のことは、実はほとんど覚えていないの。防御本能で、記憶から消し去ってしまったのかもしれない」。そう語るハサンさんは、難民のための学校で勉学に励んだ。その間、語り尽くせない苦労があったのだろう。

 デンマークに移り住み、大学で修士号を取得したハサンさん。そのまま欧州でキャリアを積むという選択肢もあったが、現地では当たり前だった民主主義や言論の自由は、不正が横行するアフガンにこそ必要との思いが次第に募った。約20年ぶりに踏みしめた母国の地は少女時代と変わらず、戦渦にまみれていた。

 原爆資料館で被爆直後の写真を目にした際、トイレに駆け込み、声を上げて泣いたと、ハサンさんは打ち明けた。「ヒロシマの復興は私たちのお手本。視聴者にも伝えたい」。滞在中に感じたことは、今後の報道に反映させていくつもりだという。

 ▽未来の世代に体験伝える

 研修プログラムは、途上国の人材育成を行う国連訓練調査研究所(UNITAR)広島事務所が主催した。「アフガンは重大な時期を迎えている」。担当職員ナイジェル・ガンさん(32)は、昨年10月の下院選がタリバンによる投票所襲撃を受けながらも実施されたことなどを前向きな兆候だとし、若い女性リーダーを育てる重要性を強調する。

 「焼け野原からここまで再建を果たせるなんて」。高層ビルや街路樹が並ぶ広島の街並みにため息をついていたのは、シャブナム・サルワリさん(24)。幼少期は、旧タリバン政権下で女子教育が禁止されていた。バッグの底に教科書を隠し、銃を手にした兵士の目をすり抜け、近所の先生の家に通った。

UNITARの研修プログラムで発言するシャブナム・サルワリさん(手前左)=広島市

 国連児童基金(ユニセフ)の調査によると、アフガンでは今も7~17歳の約半数が学校に通えていない。サルワリさんは苦学を重ね、英語での教育カリキュラムを組む学校の副校長に就いた。「悲しい出来事ばかりだけれど、きっと復興はできるはず」。広島での体験を生徒らに伝え、未来を担う世代の育成に全力を尽くす考えだ。

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