【MLB】米殿堂副会長が明かすイチローの逸話「歴史についても偉大な研究者だった」

米野球殿堂には引退を表明したマリナーズ・イチローのユニフォーム等が展示されている【写真提供:米野球殿堂】

イチローは野球殿堂博物館を7回も訪問「現役選手で並ぶものはいません」

 3月21日、東京ドームで行われたアスレチックス戦を最後に、現役生活に幕を下ろしたマリナーズのイチロー元外野手。アメリカで19年間のキャリアで数々の偉業を達成した日本の誇る安打製造機は有資格1年目となる5年後の米野球殿堂入りが確実視されている。

 日本で9年、米国で19年、計28年間のキャリアで日米通算4367本安打を放った背番号51。球界のレジェンドが祀られているニューヨーク州の小さな町クーパーズタウンからも、その引退を惜しむ声があがる。米国野球殿堂のジョン・シェスタコフスキー副会長は「野球に最も深い敬意を抱き、本質につながっていた選手」と語る。

「イチローが引退してしまいました。日本のファンだけでなく、アメリカのファンにとっても、私自身にとってもあの試合は特別な瞬間でした」

 クーパーズタウンにある米国野球殿堂のシェスタコフスキー副会長は、イチローが、メジャーデビューイヤーからベースボールに対する尊敬の気持ちを示してきたという。

「イチローが初めてクーパーズタウンにやってきたのは2001年シーズンのオフでした。最後にやってきたのは2016年シーズン終了後のオフです。彼はこれまで7回、クーパーズタウンを訪問していますが、現役選手の訪問回数としては史上最多です。並ぶ者はいません」

「ここはベースボールのホームで、最も神聖な場所で、数々の先人の功績が讃えられています。イチローは野球の歴史についても偉大な研究者でした。自分が活躍する以前にどんな選手がいたのか、先人について知りたいと考えていた。野球という本質に常につながっていた選手で、それに対する最も深い敬意を持っていた選手と言えます」

 マリナーズ、ヤンキース、マーリンズとプレーしてきた19年間で、クーパーズタウンに誰よりも足を運んだイチロー。ストイックな求道者はフィールドを離れても、野球の歴史から誰よりも多くを学ぼうとしていたとシェスタコフスキー氏は証言する。

イチローは現役時代から25点以上の用具を提供「最大限の協力をしていただいています」

 米野球殿堂では3つの展示場で、メジャーの歴史を彩ってきた様々な記念品を展示している。研究者イチローが足を踏み入れたのは、一般人が目にできない世界だったという。

「米野球殿堂には、試合で実際に使用されたユニフォーム、バット、グラブなど、約40000点が収められています。ですが、実際に展示されているものは、その10パーセントです。イチローの場合、倉庫に招待されるので、彼は全てを目にできる機会があります。彼は先人がフィールドで実際に使っていた用具に大きな興味を持っていました。バットの形状や素材、エキップメントに注目していました」

 シェスタコフスキー氏はこう明かす。そして、イチロー自身もすでにメジャーの歴史の一部となっており、現役中から米野球殿堂に数々の伝説の逸品を寄贈してきた。

「イチローは現役時代から25点以上の記念の用具を提供してくれています。我々はMLB、チーム、選手と協力していますが、イチローはすごく寛大。当初から野球殿堂のミュージアムアーカイブのために最大限の協力をしていただいています」

 輝かしいイチローのキャリアを彩ってきたグッズは米野球殿堂のミュージアムに並べられているが、MLB最多記録のシーズン262安打を記録した2004年の記念品の充実ぶりは素晴らしいという。マリナーズのビジター用ユニフォーム、200本安打、261本目と262本目の安打を記録した際のバット、グラブ、リストバンド、スパイク、サングラス、肘当てが寄贈されている。

 さらには、メジャー挑戦前のオリックス時代に使用していたバットや2006年のワールド・ベースボール・クラシックでの日本代表ヘルメット、2007年のオールスターで史上唯一のランニングホームランを放った際のボール、2016年にメジャー通算3000本安打を記録した際のマーリンズのユニフォーム上下、スパイク、リストバンド、グラブ、肘当て、ソックスも寄贈している。

 変わり種としてはイチローの大ファンとして知られるエイミー・フランツさんが作成したヒット数をカウントする「イチメーター」、そして、音楽家ベン・ギバードが作曲した応援歌「イチローズ・テーマ」の手書きの歌詞も収蔵されている。

 背番号51の輝かしいキャリアの数々のマイルストーンの証人はすでにクーパーズタウンにある。「ハンク・アーロンは殿堂入り後に全ての用具を寄贈してくれました。イチローもかつて、全てを寄贈したいと話していました。彼の殿堂入りの有資格一年目は2025年にやってきます。その日が来れば、クーパーズタウンはイチローの祝祭一色になるでしょう。我々は日本人史上初となる殿堂入りを心から歓迎したいです」。シェスタコフスキー氏は華麗なキャリアに幕を下ろしたイチローに待つ、5年後の晴れ舞台に早くも思いを馳せていた。(Full-Count編集部)

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