田中将大VS斎藤佑樹の名勝負に米メディアが注目「タナカとサイトウはライバル」

田中将大と斎藤佑樹【写真:Getty Images、荒川祐史】

田中はMLBで開幕投手、斎藤はプロ入り後78登板と「対照的なキャリア」に

 8日(日本時間9日)のアストロズ戦で、6回3安打1失点と好投したヤンキースの田中将大投手。今季、ここまで3試合に先発して防御率1.47と抜群の安定感を誇り、順調なシーズンのスタートを切っている。

 田中将大といえば、日本ハム斎藤佑樹投手と壮絶な投げ合いを演じた夏の甲子園決勝が有名。このほど、米スポーツ専門メディア「ジ・アスレチック」では、この田中と斎藤佑との甲子園決勝での投げ合いを特集。その試合は田中の若かりしころのキャリアの中では「初めて迎えた正真正銘の大舞台」だったと紹介している。

 2006年夏の甲子園決勝戦は1試合で決着がつかず、翌日再試合になった。記事では、前日の試合で斎藤は15回を1人で投げ切り178球、田中は3回から登板して165球を投げたこと、さらに斎藤は翌日に行われた決勝戦再試合でも先発し、田中は1回途中から登板したことに言及している。

 記事では「この時点で、ファンたちはマウンドに上がって投げ合う2人の少年の姿に、釘付けになっていた」とし「特にサイトウは若きスターとなった」と紹介している。斎藤の美男ぶりに「(同年代の)女子高生と若い女性はゾクゾクさせられた。彼が母からもらったハンカチで額の汗を拭うその習慣から、彼は『ハンカチ王子』の異名を得た」ということも紹介している。

 田中についても、大会序盤で体調不良となりながらも、マウンドに立ち続け、注目度を上げていったとしている。「この2試合でタナカとサイトウはライバルと目され、決勝再試合の盛り上がりを高めた」が、田中は最終打者として斎藤と対戦して三振に倒れた。

 2018年で100回目を迎えた甲子園の歴史で「タナカVSサイトウの決勝戦は、多くのドラマを生んだ甲子園の歴史における最も偉大な試合の1つとして数えられている」と紹介。2人は頻度は減ったものの、12年半の月日が経った今でも、未だにその試合について尋ねられることがあると記事では言及されている。

 記事内では「あの大会を振り返ると、タナカが学んだ最も重要なことは、大舞台で登板するという感覚だった。彼はチームと結束でてきていた感覚も覚えているが、若きタナカの心に残った最大の印象は、最終戦の緊迫感だった」と指摘。「凄まじいまでの競争心が存在するヤンキースのクラブハウスの中でも、タナカは最も激しい競争心を持っている選手であろう」としている。実際に田中はポストシーズンに5試合先発し、3勝2敗、防御率1.50と大舞台での強さは健在だ。

 高校卒業後の進路についても記事内で紹介。田中はプロ入りし、斎藤佑は進学することとなったが、「彼らの歩んだ道のりは、彼らにプロとして対照的なキャリアを導くことになった」としている。田中はヤンキースの開幕投手を務めたが、斎藤は「怪我の影響で不安定なプロとしてのキャリアを辿っている」としている。

 プロ入り後は両者ともに怪我に苦しんできた。田中は2014年に内側側副靭帯損傷、肘以外にも怪我を負い、過去5年で年平均投球回数は165回弱である。しかし、5年連続で二桁勝利を達成するなど「内側側副靭帯の損傷を負いながらも活躍ができている」としている。一方で斎藤佑は2011年の日本ハム入団後、昨季終了時までで、わずか77登板と期待されていた活躍をできていない。

 今年で31歳を迎える2人だが、田中はヤンキースの主力として活躍する一方で、斎藤佑も復活を遂げようと必死に戦っている。アメリカでも注目される“ライバル”の2人が今後どのようなキャリアを歩むのか注目だ。(Full-Count編集部)

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