大谷翔平の“後輩”がオランダリーグ挑戦 花巻東出身左腕の異国での挑戦

東北学院大学時代の小野寺祐人【写真:本人提供】

米国でのトラベリングチーム「アジアンブリーズ」に参加した小野寺祐人

 2月21日から米国各地で行われてきた試合を通じ、プロ契約を目指したトラベリングチーム「アジアンブリーズ」。約1ヶ月の戦いを終えて、4名の選手が海外でのプレー機会を勝ち取った。その1人が花巻東高校出身の小野寺祐人投手だ。

 小野寺は岩手県奥州市出身で140キロの直球とカーブを操る左腕。高校は花巻東高で、エンゼルスの大谷翔平投手の2学年、日本ハムの岸里亮佑外野手の1学年後輩にあたる。卒業後は東北学院大に進学し、昨秋の仙台六大学リーグではノーヒットノーランを達成するなど、ベストナインに選出された実績を持つ。

 高校、大学と結果を残してきた小野寺は、卒業にあたり次なる進路に向けて悩んでいた。そんなとき知人からイランやパキスタンなどアジア3か国で代表監督を務めた色川冬馬氏を紹介された。色川氏は当時、米国各地で試合をしながらプロ契約を目指すトラベリングチーム「アジアンブリーズ」を立ち上げて選手を募集していた。お互いの経験話や野球談議に花を咲かせるにつれて小野寺自身に選手としての選択肢が増えたという。

「いくつかある選択肢の中で海外で楽しく野球をやっているイメージが出来たこと、その選択肢の中で自分が1番成長できる環境が海外だと思ったのでアジアンブリーズに参加しました」

 こうして参加を決めた小野寺は2月下旬、米国へと旅立った。アジアンブリーズには国内外から20人の選手が集結。チームには日本からではなく、香港やフィンランドといったさらなる高みを目指す選手たちが在籍し異国の地で生活を共にすることになった。最初は食事や通訳なしで首脳陣とコミュニケーションをとることに苦労したというが、日が経つにつれて自然と順応していった。

 小野寺が在籍したアジアンブリーズの対戦相手はドジャースやレンジャーズといったメジャー球団のマイナーチームやメキシカンリーグのチームなど、日本では対戦機会がないチームだった。小野寺自身はドジャース戦に2試合登板して、ともに無失点の好成績を残した。

オランダリーグの「デ・フラスコニンフ・ツインズ」からオファーを受け入団を決意

 こうして3週間での好投が認められ、オランダリーグに所属する「デ・フラスコニンフ・ツインズ」から入団オファーが届いた。小野寺はオファーが届いた当時の心境について「(アジアンブリーズでは)野球をツールに言語や文化を学んだり様々な経験を積むことが挑戦の目的であったので、オファーを頂いて素直に嬉しかったし、ワクワクしています」と目を輝かせて話した。

 ツインズは昨年、元ヤクルト中島彰吾投手が在籍していたチーム。小野寺は契約書にサインした後に、中島自身にアドバイスを求めた。すると、中島からは「チームメイトは良い人達ばかりだから楽しく野球ができるよ」と温かい言葉が。これに力をもらった小野寺は新たなスタート地点に立つことになった。

 3週間の戦いを終えた小野寺は改めてアジアンブリーズでの日々を振り返る。「収穫としてはある程度抑えることができ、真っ直ぐでも変化球でも空振りが取れてパワーのある選手たちとしっかり勝負出来たことが自信になりました」と手応えがあった。その一方で外国人投手の体の大きさや球速に圧倒されたこともあり、92マイル(約148キロ)まで球速をアップさせることを課題に掲げた。

 今年は菊池雄星投手がマリナーズで、久保康友投手や荒波翔外野手がともにメキシコでのプレーを決めた。MLBをはじめとする米国だけでなく、海外の様々な国で日本人選手がプレーする機会が増えている。小野寺自身もオランダのマウンドに立つことになり、彼ら同様に異国の地で現役を続けることになる。

「今回の挑戦ではフィンランド人や香港人をはじめ話す言葉や文化の違う人と仲良くなったり、日本人も境遇は違えど自身の野球や人生に熱い想いを持った人たちと3週間過ごせたことが自分自身の財産になりました。このことから挑戦することでしか得られないものがあるのかなと思ってます」

 この挑戦に得たものについて、考えを巡らせた上で語った小野寺。わずか3週間という短い期間ではあったが、プレー面だけではなく人生面でも大きな財産を得たことだろう。現在、小野寺は4月中旬の出国に向けて準備に追われ、多忙な日々を過ごしている。プレーする場所は違えど、高校の先輩である菊池や大谷翔平投手のように世界へと羽ばたく。(豊川遼 / Ryo Toyokawa)

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