人が集い、想いを伝える。手作りマルシェという「場」で作る住民目線の復興イベント開催

3月23日(土)、こちらの記事で紹介した広島市安芸区矢野在住の北野直美さんが企画したイベント『矢野シタマチ×マルシェ』が、尾崎神社の境内で開催された。

マルシェには北野さんの友人知人を中心に、ハンドメイドやフード、マッサージなど約20ブースが出店。
多くの地元住民で賑わった。

再会を喜びあう住民とボランティアたち

当時ボランティアスタッフとして毎日矢野サテライトを訪れていた人や、社会福祉協議会の職員や民生委員も多く訪れ、北野さんの姿を見つけては駆け寄ってくる。
災害直後に矢野の復旧に尽力した人たちにとって、さながら同窓会のようでもある。

受付をしていたのは、災害後の7月18日から広島に入り、矢野でボランティア活動に従事していたRQ災害教育センターの村田収さん。西宮市から前日、広島に入ってこのイベントに駆けつけたそうだ。

「ここで、これからも生きて行く方たちが一歩を踏み出さないと何も始まらないですから。こうして地元の中から、企画されたイベントが行われたことが素晴らしい」

と、北野さんの活動にエールを送る。

もう一人、北野さんが再会を心待ちにしていた人がいる。
災害直後に矢野で2ヶ月間ボランティア活動に従事した旅商人拓こと、横山拓さんだ。
このイベントのために埼玉県からキッチンカーで駆けつけた。

再会を喜び、笑顔で言葉を交わす北野さんと拓さん。
テンポよく弾む二人の会話を聞いていると、半年というブランクは全く感じない。

「災害直後、北野さんは拓さんの「なんでもいいので来てください」というメッセージに救われたそうですね」と声をかけると、照れながらこう答えてくれた。

「足手まといになっちゃうとか気にして、(ボランティアに)行く行かないで尻込みする人が多いんだけど……僕は東日本大震災で初めてボランティアを体験をして、最初は実際に足手まといになっていたし、ベテランさんから「(足でまといになるから)来るな」って言われたこともありました。だけど、2度、3度と現場に足を運んでいれば慣れてくるし、するべきこともわかってくる。だから僕はみんなに「来て、来て」って言うんです。その代わりに来てくれた人を手持ち無沙汰にさせないよう、その人ができる作業を考えて、マッチングをがんばるんです。「僕に任せて」という気持ちで

拓さんが来ていると噂を聞きつけた住民やボランティアとして活動していた人たちがひっきりなしに拓さんの元を訪れる。

「よく来てくれたなあ」「お元気でしたか?」そんな会話がたくさんの人たちとの間で繰り返される。
中には「あんたがコーヒーを淹れとるところ、初めて見たわ!」とコーヒーを淹れる拓さんをからかう人も。

拓さんは矢野に滞在した2ヶ月間、自身のキッチンカー『矢野復興カフェ』は別のボランティアに任せて、自分はヘルメットをかぶり毎日現場の床下に潜っていた。
だから、拓さんがコーヒーを淹れる姿をこのイベントで初めて見るという人も多かったのだ。

そんな拓さんの人となりや『矢野復興カフェ』の活動内容は、カフェのボランティアスタッフの手によって模造紙8枚にまとめられ、今回のイベント会場となった尾崎神社の社務所に掲示されていた。

コラージュされた写真とびっしり書き込まれた文章を、私も読ませていただいた。当時の情景やみなさんが一生懸命活動している様子がまるでそこで見ているかのように伝わって来た。

人が、人と会って話せる場を作っていきたい

互いに助け合いながら、それぞれができることをする。「ほぼイメージ通りにできた」と、
無事イベントが開催できたことに安堵する北野さんに、今後の展望を伺ってみた。

1月に参加した安芸区ボランティア研修会で、被災者の方たちにグループになってもらって、気持ちを書いてはきだすというワークショップをさせてもらったんですが、そこに「死にたい」と書いていた人がいたんです。元気そうに見える人もまだまだ心の中に辛い思いを抱えている。だからこそ、人が人と会い、気持ちをはきだす「場」を作ることは必要だと思うんです

被災された方の中には、心に負った傷をまだ癒せないでいる人もたくさんいる。
そうした人が求めているものは何なのか。
顔を合わせてただただ話に耳をかたむける、そしてなんでもない会話を重ねていく。
そんな「場」があるだけで救われる人は、案外と多いのかもしれない。

今後もこのような地域発信のイベントが継続的に行われることを切に願う。

 

いまできること取材班
文・写真 イソナガアキコ

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