【卓球・森薗美咲#1】森薗家のアネゴが語る、プロ卓球選手の意外な活動実態

写真:森薗美咲(TOP名古屋)/撮影:ラリーズ編集部

日本卓球の黎明期をリード

昨年10月24日、Tリーグ開幕。その歴史的瞬間は、森薗美咲(トップおとめピンポンズ名古屋、26歳)のサーブで幕を明けた。

写真:森薗美咲(TOP名古屋)/提供:築田純・アフロスポーツ

弟の政崇(岡山リベッツ)、いとこの美月(木下アビエル神奈川)ら森薗一家の「アネゴ」的存在である森薗は、同級生の石川佳純らとともに日本の女子卓球界を牽引してきた。

日本ではまだ珍しい女子のプロ卓球アスリートは日々どのような生活を送るのか。その活動実態に迫った。

「すべて自分で」 厳しい日本のプロ事情

かつてない盛り上がりを見せる日本の卓球界だが、プロ卓球選手・森薗の日常生活は、一体どのようなものだろう。

「全てのスケジュールを自分で考え、練習場所も相手も自分で探します」。意外にも、実業団からTリーグに移籍したプロ選手が抱える一番の課題が「練習環境の確保」だ。

あまり知られていないが、日本ではプロ選手より実業団選手の方が練習環境に恵まれていることが多い。「一番懸念していた点はそこでした。(実業団の)日立化成時代は専用の卓球場があって、トレーナーさんがいてコーチがいて選手もいる。なので練習相手に困ることは1度もなかった。Tリーグでは専用の練習拠点を持っているチームはまだ少ないし、拠点があるチームでも常に練習相手がいるわけではない」。

恵まれた環境を捨ててまで実業団を辞めてプロとして活動をスタートしたのはなぜか。

「高校を卒業してから7年半所属していた日立化成には感謝しかありません。バックアップを受けてワールドツアーに沢山参加させて頂いたし、日の丸をつけて世界選手権にも出られた。全日本2位にもなれました。

でも同じ場所にずっといると甘えが出てしまう、一度環境を変えなければと思い、個人で活動をしようと決めた後にタイミング良くTリーグが立ち上がった」。

Tリーグが無ければ個人でスポンサーを集め、選手活動を続けようと思っていた森薗にとって、Tリーグからのオファーは渡りに船だった。しかもトップおとめピンポンズ名古屋(以下、TOP名古屋)からはキャプテンに指名された。

写真:森薗美咲(前列左から2番目)とTOP名古屋のメンバー/提供:©T.LEAGUE

「正直、嬉しさよりも自分がキャプテンで大丈夫かなという気持ちが強かった。日本人選手の中では一番年上ですが、チームには私よりも経験豊富で年上のサマラさんやソヒョウォンさんもいる中でキャプテンとなったので、当然責任感が生まれますよね。

海外選手が多くて言葉が通じない分、全員が同じ目標に向かう難しさはある。とにかく明るく振る舞うことを意識していました」

森薗のキャプテンシーの効果もあってか、TOP名古屋の各選手のSNSでは、チームの仲の良さが伝わる投稿が非常に多く見られる。そして卓球ファンの間で人気球団の1つとなりつつある。

とってもキュートな#呉穎嵐 その髪型、やっぱり気になります。😁😁😁 明るく、チームワーク 最高です!

TOP名古屋さん(@top_nagoya)がシェアした投稿 –

「もちろん負けたらロッカールームでは落ち込みますよ。でも少ししたらまた明日頑張ろうという明るい雰囲気に切り替わる。これがTOP名古屋のいいところ。ただみんな仲が良すぎるので、このチームワークを結果に繋げるようにしたいですね」。1シーズン目を最下位で終えたという結果には、キャプテンとして悔しさを滲ませる。

選び続けた最高の環境

森薗のキャリアを振り返ると、福原愛、水谷隼、丹羽孝希らを輩出した青森山田中高で腕を磨き、卒業後は大学に行かず女子実業団トップの日立化成で7年半プレー。そして昨年からはTリーグTOP名古屋に所属しプロとして活動している。

「その時々で一番強くなれる環境を選び続けてきました」。森薗は“今ここでプレーすべき明確な理由”を、自身が過ごす環境に求める。

「強い男子選手と沢山試合をできる環境こそが自分を強くすると思っていました。青森山田はそういう環境でした」と伸び盛りの中高時代を振り返る。

写真:森薗美咲(TOP名古屋)/撮影:ラリーズ編集部

中学2年生からは全国トップクラスが集まる青森山田学園の男子選手と毎日試合をし、女子との練習では体感できないスピードや回転のボールを受け続けた。「女子選手は意外と試合をしたがらないけど、私は実戦を通じて強くなるタイプ。当時の青森山田の久保女子監督、吉田(安夫)先生、板垣(孝司)先生がそういう私を理解してくださったんですよね。普段は男子と練習や試合をし、大会の直前だけ女子の球質に慣れるために女子と練習。その繰り返しで強くなれました」。

2009年の世界選手権では丹羽孝希と混合ダブルスに出場。そして2010年には石川佳純や前田美優らと、世界ジュニア団体で当時7連覇中だった中国を倒し金メダルを獲得した。数えきれないほどこなした青森山田でのゲーム練習が、狙い通り森薗の試合勘を研ぎ澄ました。

高校卒業後は「もちろん大学への進学も考えました。でも純粋に卓球が強くなれる環境を追い求めた結果、実業団がベストだと判断しました」。

その甲斐あって、2013年の世界選手権にシングルスとダブルスで出場、2014年には張一博と組んだミックスダブルスで全日本チャンピオンに輝き、2015年には全日本シングルス2位と安定した結果を残した。世界ランクは最高25位まで上がった。

再び、日の丸へ

自分が最も強くなれる環境に身を置くことにこだわる森薗美咲は今、どのような日々を送っているのか。

「日立化成時代から指導をお願いしている張良コーチの所に通っています。横浜で個人で卓球場を経営されているのでそこで指導を受け、見つかった課題を自分でやり込みます。練習は神奈川方面の実業団、大学、高校などでお世話になっています。母体ではないのに身内のように扱って頂いていて、結果で恩返ししなければという気持ちが強いです」。

組織から独立して活動し、再び日の丸を目指すと公言する森薗にその具体的なプランを聞いた。

「ワールドツアーに参戦しながら世界ランキングを上げつつ、全日本社会人などの国内大会でも結果を出す。そして世界選手権の選考会での優勝を目指す。本当に狭き門ですが、この方法しかチャンスは無いですね。難しい目標というのは自分が一番よくわかっていますが、最後までこの目標を掲げながら卓球をしていたいです。結果がどうあれ、現役生活が終わる最後までひとつの目標に向かって頑張り続けたい。そうじゃないと今まで長くやってきた自分に対しても、支えてもらった人たちに対しても申し訳ないから」。

若手が台頭し、国内のレベルが上がる中、自らに高い目標を課す森薗のモチベーションの原点はどこにあるのか。

それは盟友・石川佳純が見せた、ある一戦でのファイティングスピリッツにあったという。(続く)

文:川嶋弘文(ラリーズ編集長)

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