ブラック校則が防災教育を阻むワケ 4月に防寒不可、下着は白の思考停止

桜の季節の悪天候、理不尽な校則に振り回されていませんか(出典:写真AC)

合理性ない判断は命の危険も

2019年4月、全国各地で雪が観測されました。まさか、うちの地域で4月に雪なんてという声も各地で聞こえてくる一方で、1988年の昭和最後の4月8日にも関東で雪が降っていたという報道もありました。みなさんの地域ではいかがでしたでしょうか?

雪の予報が出た時、小中高生の親たちの間で「4月に雪だと、一体どうすれば?」という声があがりはじめました。というのも、学校の校則に以下の規定がある地域がいくつか 存在するからなのです。

「防寒着(コートやセーター)の着用は11〜3月までとする」

防寒着は3月までと校則で決まっているので、4月に雪が降っても防寒着を着ることできないのです。とはいえ、雪が降るのに防寒着なしだなんて不自然だと思ったとある保護者が、学校に「さすがに明日は着用してもいいですよね?」と問い合わせたところ、確認してみますと数時間待たされた後、かえってきた返事は、「規則なので、ダメです」というものでした。

みなさんはどう思われますか?

4月以降でも、春の嵐やメイストームという言葉があるくらい、実は、暴風雨や猛吹雪の被害が過去には起こっています。さらに、もしも雪の時に地震が発生したら、防寒着も着ていないとなると、寒いと感じる否かを超え、生死に関わる問題になってしまいます。たとえ、地震と重ならなくても、人によって寒く感じやすい人もいれば、体調不良で暖かい服装にしたい人もいるはずです。なのに、一律に4月になったら防寒着禁止とする校則に合理性はあるのでしょうか?

さらに、この校則があることで、夏にクーラーで寒いと感じても、上着は不可とされるのだそうです。何のガマン大会なのかと思います。

また、防災では現場での臨機応変な判断が必要とされる事や、現場が判断しやすいよう権限を移譲しておくことが大切と言われています(ここ、今回は詳しく説明しませんけど)。学校に何か問い合わせた時、校長先生以外、誰も判断できないということはよくある事ではありますが、雪というプチ災害が心配される時でさえ、確認に数時間かかるという体制で、災害時こどもたちの命を臨機応変に守ることができるか不安があります。

機能よりも見た目にこだわる傾向

とはいえこんな事は、学校あるあるだよねという声が本当に多いのです。4月以降は防寒着不可だけではなく、ヘンな校則、ナゾな校則は他にもお聞きしたので、紹介しますね。結構、全国でも多いなと思ったのが、

「防寒着としてセーター着用可、カーディガン不可」

という、カーディガン不可校則です。理由は、カーディガンのほうが、「華美」だから禁止とされやすいようです。でも、アウトドアの防寒対策では、暑ければ脱ぐ、寒ければ着ると、温度変化にあわせて早めに微調整することが、命を守ります。寒いのに我慢して、低体温症が進行してしまうと、判断することも行動することもできなくなるので、早めの対応が重要なのです。

■災害時も役立つレインウェアを普段使いに
https://www.risktaisaku.com/articles/-/1839

カーディガンは、前のボタンを閉じたままの時は、「断熱材となる動かない空気」をためて保温でき、開ける事で「動く空気」にして温度を下げることができます。そのため、着たまま微妙な温度調整できるという機能を持ち合わせています。ところが校則では、カーディガンの機能には、全く着目することなく、規制する側にとって主観的な「おしゃれかどうか」「華美かどうか」で禁止しているということですよね。

また、カーディガン校則で興味深いと思うのは、カーディガンを全く問題視していない学校も結構あるいうことです。華美がどうかの主観はそれぞれなので、結局、どっちでもいい問題ということですよね。

理不尽多い体操服

また、防寒着についてはこんなのもありました。

「コートの長さは制服の上着の丈までとする」

コートなのに、上着の丈以上はダメなんだそうです。意味がわからない…。

こんな校則もありました。

「女子は制服の下に体操服を着用する」

学校指定の体操服はコットンの量が多めで厚手の場合も結構あります。その上に制服を着たら動きにくそうです。そして、コットンは濡れると保水するため、気化熱で体を冷やす性質があるのですが、この学校では体育の授業で汗をかいても、体操服はそのまま制服の下に着用しないといけないのだそうです。なぜ、女子にだけ、体操服を着ることを強制しているかといえば、体育の授業の時、更衣室がないため、クラス全員が同じ部屋で着替えるためだからだそうです。少子化でも、空き部屋がないのでしょうか?

女子だけに体操服を強制するよりも、他に着替え場所を作るなど、「着替えで嫌な思いをしない」という目的を達成できる手段が他にあるかどうかを検討すべきではないでしょうか? 検討をしないで禁止をするということは、思考停止を生む学校教育になっていそうです。この学校では、洗濯が間に合わず、体操服にカビが生えたというお話も聞きました。体操服は着用指定が多い所も多く、

「足首まであるジャージを着る下には、必ず短パン着用」

という理由が不明の所もありました。

ちなみに校則がないスイスの学校に引っ越したお子さんの声が以下です。

「ジュネーブではね、体育の授業は何を着てもいいんだよー。 日本は冬でも半袖で、先生は長袖着てるのにさー。 風邪引くよ」。

子どもは大人をよく見ていますね!

体操服といえば、こんなものもありました。

「男子は青、女子はピンクのラインの体操服の指定」(小学校)

ずいぶん減ったように思うのですが男女差で色分けをするケースの残存事例ですね。そして、男女差の問題というだけでなく、性別が違う下の子におさがりを使えないので、余計な出費が増えて困るという声も多い事例です。学年ごとの体操服の色分けも、おさがりを有効活用できないので同じ不満がでやすいです。

白に白は透けやすい

色についての話題がでたので、色指定について。セーター・カーディガンなどの色指定はよくお聞きします。

「セーターは、紺はOK。白やベージュは不可」

など、白やベージュは境界事例のようです。

でも、これはないでしょうと思うのは、下着の色指定です。

「下着の色は白とする」

セーターで白はダメとするところでも、下着は白にすべしというものがあったりします。

そもそも学校が下着の色に口を出す事自体がセクハラっぽくて気持ちが悪いです。会社でこれをやったら社会的に問題になることは必須です。それなのに学校では許されるのが不思議です。でも、首都圏では結構あるのです。この下着が白っていう校則が。で、学校があげる理由は、こうでした。

「白以外の下着は透けて見えるので不可」

白ならばブラウスから透けないので、白に指定というのが主な理由です。ところがです。どの色が透けやすいのかを東京都板橋区議の五十嵐やす子さんが実験された写真がこちら。

板橋区では、下着についての何らかの決まりがある学校が22校中12校、そのうち下着を白とする学校は6校あるので、この実験をされたそうです。

色見本に

(提供:五十嵐やす子・板橋区議)

ブラウスに見立てて白い布をかぶせると

 

白の方が透ける!!

下着を白にした方が透けて見えることがわかりました。むしろ赤のほうが透けて見えないくらいです。

でも、これはあたりまえの現象でもあるのです。中学1年では、光の性質を習い、その中で色の見え方も学習します。

色というのは、光が反射しているわけですが、赤色が赤く見えるのは、赤以外の色を吸収して、赤だけ反射しているからです。

白という色はどうやって見えているかというと、光を吸収しないですべて反射しているのです。これは、中1で習います。

中1理科 光の性質

光をすべて反射する白なのだから、白の下着の上に白の ブラウスを着ても、素材が違う白どうしがそれぞれ微妙に異なる反射率ながらも、白であるがゆえに光をすべて反射して白として見えています。光を吸収する色よりも、反射する白だから際立って透けて見えやすいことは、中1で理解できるはずなのです。さらに厳密には、異なる物質である白色の服と空気の接触面で光の屈折も起こり、光はさらに乱反射されて白にみえています。白だからこそ、よく見えるということになりますよね。

学校で科学として色の見え方を教えているのに、校則では科学に基づかない情報で禁止してしまっているとすれば、それは教育といえるのでしょうか?例えば、すでに否定されている「地震雲」がいまだに防災情報として話題になってしまう現象などは、科学よりも、主観や思い込みを校則としてまで伝えてしまっている学校教育の負の側面も原因にあるのではと思ったりもします。

多様性の時代に禁止の髪型

さらに、校則を聞いているとこんなものもありました。

「校則は社会生活やマナーを守ることだけです。生徒の自主性を尊重しています」

という事なのですが、なぜか生徒にだけ配られる冊子があり、そこには、悪名高き、地毛証明(地毛が茶色の人は証明書を添付すること)という項目があるというのです。さらに、地毛証明をとったとしても、髪が傷んでいたら黒染めをしないといけないとのこと。日常生活でも髪が傷むことはありますよね。傷んでいたら染めているはずと決めつけられる状況に、自主性ってあるのでしょうか?

ブラック校則の典型例として有名な黒染めが校則ではないといいつつ、根拠が不明瞭な規範で決まっているという事は、何が禁止になるかは明確ではない分余計に、先生の顔色を見て判断しようという子どもを多く育ててしまうような気もします。

防災教育では豪雨の際、避難情報が出ていてもなぜ人は避難しないのかということが話題になります。「隣の人が逃げなかったから」「周りが逃げていないのに、自分だけ避難できない」と自分の判断よりも隣の動きを気にして逃げ遅れる現象も指摘されています。このような隣や周りの判断を気にする姿勢は、まわりの顔色を伺う教育の成果ではないかと心配にもなります。

このことは次の事例からも見て取れます。

最近は女子のスラックスOKの学校も増えてきましたが、それが明記されていない制服のある公立小学校で、寒い日に、スラックスをはいて通学した方がいました。制服なしの地域から引っ越してきた転校生だったので、まさか小学生の制服指導が厳しいとは思わず、防寒を優先されたそうです。すると「地域の住民から学校に通報がはいった」そうです。学校に呼び出され、校長先生から「郷に入ったら郷に従ってください」と怒られたそうです。スカートの下にジャージならいいようです。自分の判断より、周りを見なさいという教育そのものですよね。

同じ方向性で、

「流行のものはすべて不可」

という校則もあるそうです。なにが流行かは不明瞭なので、流行っぽいものと感じたら、周りの顔色をみてやめておくよう判断させるようです。

さて、髪の毛の話も出てきたので、髪型校則の事例もいくつかお伝えします。

「三つ編み、お団子は華美なので不可」

(出典:sobimaによるPixabayからの画像)

かつては、三つ編みにしなさいとか髪をゴムでとめてひとつにまとめなさいと推奨する学校もあったくらいなのですが、編み込み技術が発達した昨今では、かえって不可になってしまっています。

最近の男子髪型で鉄板ともいえる校則は、

「長髪とツーブロック禁止」

(出典:写真AC)

ツーブロックは、「さわやかな髪型」として人気があったり、ホテルマンでもおもてなしの一環としておすすめ髪型とされていると言われているのに、禁止とされることが多いので、よく話題になっています。昔の校則だと、男子の髪は耳にかかるものは不可となっていて、その基準からすれば、耳の横を刈り上げるツーブロックはむしろ推奨髪型でもあるのですが、不可になっているのです。つまり、禁止の理由は、昔いわれていた清潔さの問題ではなく、流行のもの、おしゃれと思われるものは不可としていることが推測されます。

中学入学に際し、自主的に切る事した男の子の髪(提供:千葉県・Kさん)

長髪も性の多様性が言われる中、なぜ「男子」だけ禁止なのか、今後は検討が必要でしょう。

防災に必要な自主性が育たない

さらに、珍しい校則としてこんなものもお聞きしました。

「学年ごとに使うトイレは一カ所とする」(東京)

なんで??混んでいても空いているところにいかずガマンしなさいということでしょうか?ナゾ校則です。

「所属の部活以外の試合の応援は禁止」

過去に何かトラブルでもあって一律禁止にしたのかわかりませんが、友達を応援できないってどうなのでしょうね。兄弟なら可という細目もあるそうです。

「近隣の文化祭・体育祭の立ち入り禁止」

というものもありました。

次に有名な水筒禁止校則について

夏の水筒持参禁止校則は、熱中症で小学生がなくなった悲しい事件の反省から、持参可に変わったところが増えましたが、まだ不可のところもあるそうです。可にしたものの、

「部活での飲食物購入禁止」

という校則のため、夏に移動中持参の水が足りなくなった場合、購入できず、熱中症の危険があるので、水分補給は許可してほしいという声があがっています。

その他、校則(ルール)の話題では昔こんなのがあったというのもお聞きしました。今でもあるのでしょうか?

「トイレットペーパーの使用は一回につき男子30センチ、女子50センチ」(静岡)

ブラック校則グランプリレベル…。つっこみどころ満載。

「掃除の際には、一切話をしてはいけないという無言清掃」(長野)

修行僧?

「男女交際禁止。男性で学校に連れてきていいのは、父親のみ」(私立女子校)

祖父や兄は文化祭などを見ることができなかったのでしょうか?

「帰宅前に教室のカーテンを片方にまとめて止める」(東京)

ただの掃除の手順では…?

「制服からすぐに個別番号がふられた体操服に着替え1日中体操服ですごす」(静岡)

囚人扱い…。

「食事の前には手を洗い、本や机を触らない」(東京)

机に一切触れないように緊張しそう…。

「廊下を歩く時は時速4キロ以下」(熊本)

時速って…。4キロって…。

という事で、過去のものは、笑ってしまうものから背筋が寒くなるものまであって、なくなってよかったなと思いますが、現在でも不思議校則がたくさんあるのがわかります。そして、それらは、防災という観点から見ても、問題があるのではと思っています。

科学的根拠や合理性がなくても校則であればそれに従う人を育ててしまっていること、合理性のある情報をえた上で、自分で判断して行動することより、隣近所の判断と行動に依存する人を育ててしまっていること、どれも防災教育で伝えたいこととは対極になります。この問題、まだまだ事例がありそうなので、みなさまと一緒に考えていければと思っています。

(了)

 

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