第4回:社会関係資本 災害時の適応能力を上げるカギ

 

前回は、人間資本が失われることの影響について書きました。人間資本がシンボル資本を兼ねている時は、法律や公的な取り決めに沿って復旧手順が進んでいくため、影響が大きくなる、ということでした。
これまで、経済資本、組織資本、人間資本、シンボル資本、とそれぞれ見てきましたので、社会関係資本に焦点をあてたいと思います。といっても、これまでの記事の中で、復旧プロセスにおける社会関係資本の働きについて触れてきています。今回は、福島県双葉町の事例をもとに、改めて社会関係資本について見ていきます。

キャピタルの種類と定義*

双葉町には、東京電力福島第一原子力発電所の5号機と6号機があります。同発電所の1号機から4号機は南に隣接する大熊町にあり、双葉町からはおよそ2キロメートルの距離です。

2011年3月11日、双葉町の情報部門職員は、開会中の町議会の告示を外すため庁舎の外に出て、庁内に戻った瞬間に大きな揺れに襲われました。すぐにサーバー室に確認に向かいました。目視による大きな被害は確認されなかったため、システムのシャットダウンは行わず(庁内は停電しませんでした)、後で詳細の確認をするつもりでサーバー室を後にしました。

双葉町が行政機能を移転した旧埼玉県立騎西高校(写真:2012年1月12日撮影)

3.11を振り返る

同日の20時50分、福島県対策本部が福島第一原子力発電所1号機の半径2キロメートルの住民に避難指示を出しました。同日21時23分、内閣総理大臣から福島県知事、双葉町長および大熊町長へ福島第一原子力発電所1号機の半径3キロメートルの住民に対する避難指示、および半径10キロメートルの住民に対する屋内退避指示が出されました。3月12日早朝、国から福島第一原子力発電所1号機の半径10キロメートル圏内の住民への避難指示が発令されました。

この時、情報部門職員は、サーバー室で11日時点のバックアップ用のテープをセットしていました。住民たちは、町内に設けられた避難所から車や町のバスに乗り合い国道114号線を西に進むことになりました。道中は近隣の町からの避難者で混雑し、通常1時間30分程度の道のりを、5~6時間かけて避難先の福島県川俣町へとたどり着きました。町の職員も、住民たちの避難を見送った後に避難を開始しました。すぐに庁舎に戻るつもりであったため、着の身着のままの状態でした。

川俣町に着いてからは、双葉町民の避難所(11カ所)で避難者名簿の作成や食料・毛布等の物資配給が行われました。3月19日にはさいたま市のさいたまスーパーアリーナへ移動しました。さいたまスーパーアリーナには、新潟県刈羽村からプリンタとパソコン各10台が届いており、町職員はこれら端末を使い避難者情報の入力を行いました。埼玉県が、業務に使用するための固定電話を手配しました。3月20日には、情報システム管理を委託していた事業者の支援を受けて、エクセルでの住民情報閲覧を可能にし、突き合わせを行いながら、同日から被災証明書(建物の被災を証明する罹災証明に対して、個人に対する被災証明)の発行を開始しました。3月11日からの異動処理は各業務部門で行われました。同じころ、NTT埼玉の支援を受け、町ホームページの災害版が立ち上がりました。

3月31日には、加須市内の旧埼玉県立騎西高校(2008年に廃校)に行政機能が移転されました。そこで、双葉町埼玉支所として業務を行うことになりました。職員は、3月末と4月初旬に自衛隊とともに双葉町へ一時立ち入りをして、業務に必要な機器や、3月12日にセットしておいたバックアップテープを持ち出しました。埼玉支所にて、このバックアップテープを用いて住民情報システムを仮サーバ(ノートパソコン)で立ち上げ、住民票の発行が可能となりました。支所内ネットワーク構築とインターネット接続は4月初旬に行われました。4月18日に、税証明、住民票、戸籍謄抄本、印鑑証明発行業務を再開しました。

4月22日には、双葉町内全域が警戒区域になりました。現在は福島県いわき市にあるいわき事務所に行政機能が移っています。

双葉町埼玉支所入り口(写真:2012年1月12日撮影)

新潟県刈羽村がプリンタやパソコンを提供

さて、どの文脈がどのキャピタルに相応するのか、ご自身で考えてみてください。

双葉町の行政機能は、2011年3月19日にさいたま市に、3月31日には加須市へと移転することになりました。さいたま市ではさいたまスーパーアリーナ、そして加須市では廃校となっていた高校の校舎という、元々行政機能を執行するための環境として作られたのではない場所を使わなければならなかったのです。ここでも、経済資本(庁舎としての建物)の代替性が分かりますね。しかしながら建物があったとしても、そこでゼロから業務環境を作っていく必要がありました。職員のみなさんは着の身着のままで避難してきたのです。

新潟県刈羽村は、双葉町の要請を受けずに、新潟県中越地震や新潟県中越沖地震といった過去の災害経験を踏まえて、さいたまスーパーアリーナにプリンタとパソコンを提供しました。これは社会関係資本の働きと言えます。同じ基礎自治体同士だからこそ、何が必要なのか分かっていました。情報システムの委託ベンダーも、大槌町の事例の時と同様に、業務システムの復旧をサポートしています。これは業務契約には記載のないアクションでしたので、社会関係資本と言って良いと思います。

実際の災害が起こるまでは、どの社会関係資本が、どのキャピタルの復旧に寄与するのか予測することはできません。また、日本は文化的にもソーシャルキャピタルの強い国として知られていますので、他の国の災害に、ここで見たような社会関係資本の働きを当てはめるためには更なる事例分析が必要です。しかしながら、大槌町と双葉町の事例から分かることは、社会関係資本によって災害時の適応能力(本連載の事例の場合は業務環境の復旧プロセスの迅速化)が上がるということです。東日本大震災後、産官学の様々なプレーヤー間で災害協定が結ばれるようになりました。このような動きも社会関係資本を深める上で重要だと思います。

一方で、社会関係資本の働きがあったとしても、内部の人間でないと行うことのできない復旧業務(これまでの自治体の例であれば住民情報の扱いや選挙人名簿の作成など)はどの組織にも存在します。日ごろ、「災害時に自分たち(組織内の人間資本)でなければできないこと」と、「外部の助けを受けて復旧できること」をしっかりと考えておくことが大切だと思います。

  • A. Dean and M. Kretschmer, “Can Ideas be Capital? Factors of Production in the Postindustrial Economy: A Review and Critique,” Academy of Management Review, vol. 32, no. 2, 2007, pp. 573-594. および M. Mandviwalla and R. Watson, “Generating Capital from Social Media,” MIS Quarterly Executive, vol. 13, no. 2, 2014, pp.97-113. を改変。

(了)

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