【写真特集】
「ちまい」。一瞬、聞き違えたかと思った。わずか3語であの時代の金融界経営者たちの〝肝っ玉〟の規模をそうまとめたのが、まさに当時「渦中の人」だったからだ。平成の金融危機、その代表ケースとして挙げられる20余年前の日本債券信用銀行破綻、最後の頭取だった東郷重興氏が4月に「平成とは何だったのか」というテーマで会見した。
日本銀行で国際畑を歩んでいたが、多額の不良債権処理の対応のため同行トップの窪田弘氏(故人、大蔵OB)に請われて日債銀入り。窪田氏と経営再建に力を尽くして1997年に頭取となったが翌年、国有化が決定した。
不良債権の原因をつくったとされ、「A級戦犯」とも言われた旧経営陣は時効などのため罪には問われず、最後にレスキュー隊として駆け付けた東郷、窪田両氏が99年に証券取引法違反容疑(有価証券報告書の虚偽記載)で逮捕された。
東京地検特捜部と警視庁の合同捜査は当初から「国策捜査」と言われていた。両氏は一審、二審で有罪となったが、最高裁が高裁に差し戻して2011年に逆転無罪が確定した。
12年間に及ぶ法廷闘争で、さぞかし当時の「恨み節」を語るかと思っていたが、東郷氏はアナリストが淡々と語るような落ち着いた口調だった。
【1989(平成元)年 株価史上最高値!】
【写真特集】
危機が迫っているのに、貸し渋りにひた走りし、大きく構えようとしない金融界トップたちの気構え、肝っ玉がちまちまとしているという意味で「ちまい」と東郷氏は語ったのだった。98年に何とかその貸し渋りをやめさせようと国が税金である公的資金を注入しようとした際に、トップ銀行が申請したのは一律1000億円。30兆円用意されたのにもかかわらず、その感覚。坂道を転がるように沈む日本経済の担い手たちの実像を東郷氏はそう表現したのだった。
当時の教訓は生かされているのだろうか。平成経済史30年を前半と後半に分けて写真特集としてまとめた。(共同通信=柴田友明)
【1991(平成3)年 4大証券 株の損失補てん】
【1994(平成6)年 就職氷河期】
【1995(平成6)年 ウインドウズ95】
【1996(平成8)年 住専問題】
【1997(平成9)年 拓銀が破綻】
【1997(平成9)年 山一証券が破綻】
【1997(平成9)年 日債銀頭取に東郷氏内定】
【1998(平成10)年 長銀、日債銀が破綻】
(東郷氏の会見は日本記者クラブで行われた)